シルバーリングは、色違い

Storie(Green back)

第1話 若い子の恋愛

洗い物をしながら、悴む手を見て溜息をついた。

水をだんだん弾きにくくなる手。歳を取ったものだ。

タオルで手を拭いて、時間を確認すると12時をすぎたところだった。

もう一度小さく息を吐いてから、風呂を洗う。鏡を見て、やっぱり老けた?と笑った。


寺山明海てらやまあけみ。旧姓、大舞おおまい。学生時代のあだ名はオーマイパスタ。

28歳。大手ファッションメーカー勤務。

自分で言うのもなんだけど、器用な方だ。苦手なことは基本ないし。花型の人生だと思う。

顔も悪い方じゃなかった。どちらかと言えば、綺麗な方だ。

大学受験も成功したし、名企業に就職した。今は出世頭で、後輩や友人にも恵まれている。

唯一男関係を除いては。


風呂に入って、寝る準備を終えると日を跨いで、一時間は経っていた。

今日も帰ってくるのが遅いギャンブル漬けで、仕事もせずに遊び呆けている旦那。

結局今日も顔を見ずに一日が終わる。

1人部屋でシングルベットに入り、また小さく溜息を吐く。

アラームを5時にセットして、

目を瞑ると、遠慮のないドアの音と女物の香水の付いたスーツの匂いがした。


「明海先輩おはようございます!」

「おはよ、早いね」

出勤すると直属の後輩にあたる26歳の宮間みまあいが、起き抜けの頭に挨拶をした。

しっかり者の彼女らしく、ピッチリとしたデスクの上には、ペン入れがされた資料が散らばっている。

まだまだハリのある肌の上には、うっすらとクマも浮いていた。

「はいっ!初めて個人で貰えた仕事ですから!頑張らないと!」

ぐっと拳を握る彼女を横目に自分のデスクに座りながら、彼女のクマをもう一度見てから、

彼女がおそらく昨夜にしたであろう、資料を見た。

寝ぼけ海鼠でやったのだろうか。お世辞にも彼女の全力のようには思えない。

「んーでも、寝不足は感心しないかな。しっかり寝るんだよ」

「でも…」

「息抜きは大事。そうだ、今日飲みに行こっか」

「いいんですか!?」

自分に言い聞かせるように言うと、パソコンの向こうから彼女が身を乗り出した。

この感じだと聞いて欲しい話でもあったに違いない。放っておけないお節介を悔やみながら、

私はスマホを取り出して、彼女が好きそうな店の検索をかける。

視線を浮かせると、安心したような宮間の笑みが見えた。

「うん、お店探しとくね。私今暇だし」

「明海先輩!私もご一緒していいですか?」

どこから聞いていたのか、こちらも後輩の24歳、うちの部の太陽。今野こんのほのが、背後に立っていた。

実は私はこれくらい図太い後輩が好きだったりする。大人びている子よりは、随分可愛げがある。

「うん、いーよ」

「先輩に聞いてほしいことがあったんです!」

「はいはい」

片手であしらいながら、今日の仕事に取り掛かろうとするとパチリと部長と目が合う。

手にはヒラヒラと分厚い資料が踊っていて、重くなる足を出世のため、と叩き起こした。

「寺山。相変わらずモテモテだな」

「まぁ、私ですからね」

資料を受け取り説明を受けた後で、

部長に話しかけられた私は、部長の遊びたい盛りの顔を見て苦笑いを浮かべた。

この人の年齢に合わない無邪気な笑みが苦手だ。スッと目を逸らすと、彼はまた、少し笑った。

「お前も、アイツらの若さに当てられてきてんな」

「私まだ、20代ですけど」

あはははと笑った部長は、私の背中を叩くと言った。

「まだまだ、若い感性を忘れないでくれよ」

「セクハラで訴えますよ」

私の冷めた声に、やっぱり無邪気に笑った。


「すいません。また、ベロベロに酔ったんすね」

深夜に差し掛かった頃、私は手慣れたように後輩の肩を支えて、後輩の彼氏に頭を下げられていた。

このやりとりも慣れたものだ。

少し呆れたようにも笑う彼は今野の、彼氏だ。

今野の話したいことは大体いつも、この言葉足らずの彼氏のこと。今日もそうだった。

「いいのよ、後輩は先輩に頼ってナンボなんだから。でも、彼氏くん」

私はそんな、若い恋人たちを見てはいつも、こうして当て馬にされているわけだ。

少し酒の入っていた私はいつもよりも、お節介を全振りにした。

「女って生き物はね。たくさん愛を持ってる分、そこを埋めてくれる愛が必要な生き物なのよ。

 何も言わなかったら、愛不足で死んじゃうの。言葉にして、愛してあげなさい」

「はい、ありがとうございます」

優秀な彼は言葉にないところまでを悟ったように、

ペコリと頭を下げてから彼の肩に寄りかかる今野を優しい目で見つめた。

そんな姿に酒の混じった息を吐いて、手をヒラヒラと振る。

「いいってばよ。じゃあ、気をつけて帰りなさい」

ネオンの街の先で、温かい家に帰っていく若い恋人たちを見つめながら、白い息を吐いて手を温めた。

羨ましい。少しだけそう思う。

言葉にしてはいなかったとしても、彼は確かに彼女を愛している。

こうして、自分を曝け出して酔ったとしても、彼は肩を支えてくれる。

きっと明日彼女は、幸せそうな顔で出勤してくるんだろうな。と見送った。

後ろに立つもう1人の後輩は、あまり酒を飲まない。

もう一軒行く?と聞くと、彼女が珍しく曖昧に頷いたので、

やっぱり家行ってもいい?と言って、彼女の家に押し入った。


コンビニに寄って買ったビールを煽る。

この家の家主は話の切り口を探すように、何度も座り直しては視線を迷わせていた。

彼女の仕事はそこまで行き詰まっていない。悩んでいるとしたら、プライベートなことだったんだろう。

「で?相談って?」

「彼氏のことなんです」

「え?あんた、彼氏いたっけ?」

思いがけない相談の内容に、ビールが口の端を伝って溢れた。ティッシュを差し出されて、受け取る。

みんなには、言ってないので…と彼女は消え入りそうな声で言う。

「何、彼氏がどうかしたの」

「私の彼氏…既婚者なんです」

ビールが入ってはいけないところへ入ったのを感じて、私は思いっきりに咽せた。

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