彼女は物理ぼっち

りつりん

物理ぼっち

 俺の友人である立花さんはぼっちだ。

 俺と友人になった後もぼっちだ。

 なぜなら友人である俺でも彼女に近づけないからだ。

 そんな俺の元に紙ヒコーキが飛んできた。

 それは狙ったかのように俺の前でふわりと着陸する。

 俺は慣れた手つきでそれを拾い、折られた時間よりもはるかに短い時間でそれを開く。

『今日はどこに行く?』

 書かれていたのはシンプルな文章。

 俺はその紙ヒコーキ兼手紙を大事に折りたたんで鞄にしまい、飛んできた方へと顔を向ける。

「今日は公園に行こう。晴れてるからきっと気持ちいいよ」

 そこには、笑顔でこちらに手を振る少女がいた。

 少しだけ遠く。

 嬉しそうに、こちらに想いが届くように手を振る少女がいた。

 そう、彼女はぼっちだ。

 誰も近づくことができない物理ぼっちだ。



 彼女のことを知ったのは今通っている高校に転校してきてすぐだった。

 知った、というよりも視界に強制的に入り込んできた、と言った方がいいかもしれない。

「え? なんで?」

 初めて教室のドア開けた俺が放った一言。

 俺があてがわれた一年三組の教室は他のクラスと別校舎になぜかあり、そしてなおかつ教室の広さも一般的なそれと比べて五倍ほどあった。

 しかしクラスのほとんどの生徒が通常の教室のクラスの広さの範囲に席を置いており、それ以外の部分にいるのは一人だけ。

 そりゃあ転校初日にしてそんな声も出てしまうというものだ。

 そんな俺に反応してドアの近くに座っていた男子生徒が近づいてきた。

「お、君が噂の転校生か」

「あ、う、うん」

「見ての通り、この教室はめちゃくちゃ広い。他のクラスの教室と校舎も違う。驚いただろう? 自己紹介もせずに勝手に話を進める俺に」

「いや、そっち!」

 思わず突っ込んでしまった俺。

 ハッとして口元を抑える。

 転校初日からこれはよくない。

 まだ何も知らないクラスメイトにツッコんでしまった。

「ははっ。いいじゃんいいじゃん。そうでなくっちゃ。なあ、みんな」

 しかしそんな俺の気持ちを無視するかのように男子生徒はクラスの皆に問いかける。

 皆それぞれ反応を見せる。

 笑いながらこちらに手を振る女子生徒。

 俺と目の前の男子生徒とのやり取りにあきれたような目を向ける男子生徒。

 様々だ。

「さて、この教室が何でこんなに広いのかというと、この教室が立花さんのための特別仕様だからだ」

 言って、男子生徒は教室後方に目を向けた。

 彼の視線の先。

 教室の後ろ側。

 壁ぎりぎりに座っている彼女、立花さんと呼ばれた女子生徒はこちらを見てにこやかに笑い、手を振ってきた。

 俺もとりあえず手を振り返す。

 笑顔を作れていたかどうかはわからない。

「彼女のことを説明すると長くなるから端的に言うと、誰も彼女に近づけないからこうなっているんだ」

「近づけない?」

「そう、近づけない。物や動物、その他もろもろは大丈夫だけど、人間が入れないんだ。彼女の半径三メートル以内に」

「どういうこと?」

 今度はツッコみではなく純粋な疑問。

 人間が人間に近づけない?

 そんなことあるのだろうか。

 そんな俺の疑問を察したのか、立花さんに最も近い席に座っていた女子生徒が彼女に近づいていく。

 するとどうだろう。

 一定の距離まで来ると彼女の足は前に前にと動いているにも関わらず、目の前に壁があるかのように進んでいかない。

 そして次々とクラス内の生徒が立ち上がり、立花さんへと向かいだす。

 全てのクラス内の生徒が先陣を切った女子生徒と同じように一定の距離まで来てそこから進まない。

 転校生への盛大などっきりだろうかと思ったが、そんなことをわざわざする意味がわからない。

「ま、見てても半信半疑から脱せないだろうし、実際に近づいてみてよ」

 俺は男子生徒に背中を押されて立花さんに近づいていく。

「本当だ……」

 立花さんまでの距離が残りわずかとなったところで俺の体は壁にぶつかったかのように前に進めなくなった。

 手で触れると透明な柔らかい何かがそこに存在しているようだった。

 そんな俺の視線の先で、立花さんは申し訳なさそうに頬を掻いた。

「こんな感じで誰も立花さんに近づけないんだ」

「なるほど……」

 この時、俺は思った。

 ―――いいな

 前の学校で俺は一人だった。

 ただ一人でいるのを選択しただけだった。

 なのに、気が付けば俺は『ぼっち』と呼ばれていた。

 それが嫌だった。

 俺は一人でいたいからいるだけなのに、勝手に他者がその態度を評価してくる。

 勝手に近づけるからいけないんだ。

 俺に皆が近づくことができなければ俺はぼっちなんて呼ばれなかった。

 目の前の近づけない彼女は、そんな俺の理想を体現していた。

「でもまあ、俺たちからするとあんまり関係ないかな。立花さんって優しいし、一緒にいて楽しいしさ」

 そんな男子生徒の褒めを聞いた立花さんは机の上に置いていたノートをぴりりと一枚破り、何かを書きだした。

 そしてそれを慣れた手つきで折っていく。

 ものの数秒で出来上がったのは小さな紙ヒコーキ。

 彼女はそれを軽やかな腕の振りで飛ばす。

 ふわりと男子生徒の手のひらに着陸したヒコーキ。

 彼はそれをこれまた慣れた手つきで開いていく。

 そこには

『もう、坂本くんったら褒めても何も出ないよ』

 と書かれていた。

「いやいや、褒めてないって。事実。事実。立花さんが作ったクッキーまた食べたいななんて全然、これっぽちも思ってないから」

 クラスから笑いが漏れた。

 立花さんも笑っている。

「なんで紙ヒコーキ? 手紙なの? 三メートルくらいなら普通に声届くんじゃない?」

 瞬間、クラスに溢れていた笑い声が消え去ってしまった。

 俺は再び口を手で覆う。

 しまった、と思う。

 いらないことを言ってしまったに違いない。

 皆の視線が俺に向けられる。

 そんな俺の様子を見て、立花さんはまたノートを破りさらさらと何かを書き、それを紙ヒコーキにすると、今度はこちらへと飛ばしてきた。

 俺は思わずそれが落ちる前にキャッチする。

 手のひらに乗る紙ヒコーキ。

 どうしていいかわからずに俺は立花さんを見つめる。

 彼女は小さく頷いた。

 俺は促されるままに紙ヒコーキを開く。

『喋れないわけじゃないけど、もともと声が小さい方だからこれだけ離れてると声を張り続けるのが辛いの。でもみんなとおしゃべりしたい。だからこうして手紙にするの。意外と楽しいんだよ。こうやって紙ヒコーキで思いを届けるの。物語の主人公になった気分』

 読み終わって俺は再び彼女に視線を戻す。

 立花さんは読んでもらえたのがうれしかったのか、はたまた転校生という未知の存在と触れ合えたのが楽しかったのか、その笑顔はとても晴れやかだった。

「ちなみにスマホでもやり取りはできるけど、それは別に家とかにいてもできるじゃん? だから学校にいるときは彼女の言葉は紙ヒコーキでもらってる。俺らはそれを受け取るのが楽しい。だって、普通は口に出した瞬間、言葉は耳に届くだろ? でも彼女からの言葉は紙ヒコーキを開くまでわからない。その一瞬がすごく貴重に思えるんだよな」

 坂本、君の言葉に、周りの皆も同意とばかりに激しく頷いている。

「そんでもって何より、可憐かつ美しい立花さんの手あかと字の入った紙を合法的に手に入れられるなんてたまらんのよ」

 女子生徒数人が坂本君にローキックを入れる。

「あひゅう!」

 坂本君は情けない声を出して膝から崩れ落ちた。

 そんな彼に新しい紙ヒコーキが届く。

『坂本君には明日から定型文をプリントアウトした紙を飛ばすね』

 立花さんは意外とタフな心臓を持っているみたいだ。



 転校してから十日ほどが経った。

 教室内では頻繁に紙ヒコーキが飛んでいる。

 皆、休み時間になると立花さんの周りで楽しそうに話している。

 一方で俺はというと、喋りかけられれば答えるがいらないことが口から出てしまわないように最低限の返ししかしていない。

 最初は転校生という珍しさもあって不愛想な振る舞いも個性だと思って皆受け入れてくれていたが、徐々にそれが俺の発する棘だとわかると自然と誰も近寄らなくなってきた。

 一人を除いて。

 こつん、と俺の側頭部に何かがぶつかり、机の上に落ちた。

 落ちた何かは紙ヒコーキだった。

 俺は飛んできた方に顔を向ける。

 立花さんが変わらぬ笑顔でこちらを見ていた。

 開けるようジェスチャーまで交えて。

 さすにがこれを無視するわけにもいかない俺は、仕方なく紙ヒコーキを開いた。

『今日の朝ごはん何だった?』

 そこにはそんな他愛のない文章が書かれていた。

 俺は小さく

「目玉焼きとトースト」

 とだけ返した。 

 幸いなのかどうなのか、俺の席は立花さんに一番近い席となった。

 そのため小さくても俺の声は彼女に届いた。

 それは助かっている。

 クラスでの存在感をあまり出したくない俺にとっては。

 彼女は俺の適当な返しにも関わらずとても嬉しそうに笑う。

 そして再び何かを書く。

 書き終わると再びこちらへと紙ヒコーキを飛ばしてくる。

 俺は小さく返事をする。

 毎日何回もそんなやり取りをした。

 正直、少し苛立っていた。

 言葉を当たり前に届けることのできる俺よりも、言葉を当たり前に届けることのできない彼女の方がコミュニケーションをうまく取れている。

 それだけでなくクラスから孤立しかけている俺に気まで遣おうとしている。

 もしかして彼女の目には、俺が哀れに映っているのだろうか。

 不自由な自分よりも自由にコミュニケーションをとれない俺を心の中でせせら笑っているのだろうか。

 そんなどうしようもない薄黒い感情が心の奥底に溜まり始めていたある日の放課後。

「高原っち、一緒にアフターファイブとしけこもうぜ」

 坂本君が俺を遊びに誘ってきた。

 どうやら彼は最初の印象通り、クラスの中心人物らしくいつも楽しそうに誰かとコミュニケーションをとっている。

 いつの間にか俺の呼び方も砕け始めている。

「いや、でも……」

「よし、じゃあ行くか」

「え、ちょ、ちょっと……」

 俺の答えを待つ気のない彼は俺の手を引いて教室を飛び出した。



 坂本君に連れてこられたのはとあるボウリング場。

 ボウリングなんていつ以来だろうとぼんやりと思いながら中に入るとそこには立花さんがいた。

 平日の夕方。

 しかも、町はずれにあるボウリング場のせいか、客は俺たち三人だけだった。

 立花さんはすでに準備万端のようで、シューズを履き、専用のグローブも身に着けていた。

「今日は立花さんと俺、高っちの三人でボウリングすっべ」

 さらに呼び方が砕けてきた。

「え、でも、立花さんには近づけないし……」

「だからだよ。ボウリングは離れれてもスコアさえわかれば盛り上がれるっしょ。それに見てな。立花さんのプレイには感動すっから」

 坂本君はツーレーン離れた立花さんにぐっと親指を立てる。立花さんもぐっと親指を立てた。

 そこからは圧巻だった。

 ボウリングほぼ初心者の俺は、なんとかガーターにならないようにするのでいっぱいいっぱい。

 しかし、立花さんはそんな俺を横目に次々とストライクを決めていった。

 ちなみに坂本君はそんな立花さんのプレイに見とれてガーターを連発していた。

 結果、俺のスコアは75、坂本君は65、立花さんは驚異の260というスコアをたたき出した。

「すごかったね」

 結局その後も二ゲームほど投げ込んだ俺たちは想い想いに喉を潤すためのドリンクを飲んでいる。

 そこへ紙ヒコーキが飛んでくる。

『楽しかったね。立花君も最後のゲームはスコア一気に伸びててすごかった。また来よう?』

 立花さんは少しだけ浮いた足をぱたつかせながらとても、それはとても楽しそうにこちらを見つめる。

 ボウリング中、会話はほとんどなかった。

 それなのに俺は立花さん、坂本君との距離が縮まったように感じている。

 俺は喋ることなく縮まった距離に妙なくすぐったさを覚える。

 小さく頷いた俺に立花さんは満足そうに笑った。



 それからは放課後、よく三人で遊ぶようになった。

 立花さんとの物理的距離はどうやっても縮められないから、縮めなくても楽しめるモノを選びながら。

 俺としてもその方がよかった。

 必然的に会話はそれほどない。

 坂本君が楽しそうに俺と立花さんに喋りかけて、立花さんが紙ヒコーキで何かしらツッコむ。

 俺はその横で笑う。

 その程度のやり取りで三人は緩く繋がっていた。

 浅い、と言えばそうかもしれないが、その浅さは俺も変なことを言う必要がない浅さ。

 結果として俺はぼっちではなくなった。

 いや、ぼっちである必要がない関係を享受できている。

 楽しかった。

 心も、体も離れていて緩く繋がる関係が楽しかった。

 しかしそんな折、立花さんがある提案をしてきた。

『今日の夜、三人でビデオ通話しない?』

 俺の心臓が酷く高鳴り出した。

 冷や汗が背中に滲む。

 緩やかな紐帯であるはずのそれは俺の心の中できりりと軋む。

「お、久しぶりだね」

 坂本君はウキウキと声を弾ませる。

『たまには声出しとかないと本当に出なくなっちゃからね』

「確かに。最近立花さんの声聞いてなかったし、俺も久しぶりに聞きたい。タッチはどうよ?」

「あ、ああ、うん。いいよ」

 断れなかった。

 緩いはずのそれは俺を逃がしてくれなかった。

 いや、ぼっちを望んでいたはずの俺の心が、その繋がりを掴んで離してくれなかった。

 


 その日の夜。

「やっほ。夜の坂本、夜本だよ」

 そんな坂本君の砕けた挨拶からビデオ通話は始まった。

 俺は立花さんの映る枠を見つめる。

「ど、どうも」

「いや、硬い。硬いよタッチ。夜なんだしもっと砕けていこうぜ」

「……う、うん」

「さて、本日の主役の立花さん、挨拶をどうぞ」

 一つ、大きく深呼吸をして立花さんは声を発した。

「声、高原君に聞いてもらうの、初めてだね」

 スマホ越しに届いた立花さんの声はとても柔らかだった。

 こちらの緊張を解きほぐすように、その声は俺の鼓膜を揺らし、体の中に染み込んできた。

「やっぱり立花さんの声はいいね。聞いてて落ち着くよ。な、タッチ」

「う、うん。いい、ね」

「えへへ、ありがと。こうして話できて嬉しい。紙ヒコーキで話すのも好きだけど、こうして声を出して話すのもやっぱり楽しい」

 言って、立花さんは少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いた。

 そうして始まった三人でのビデオ通話。

 これまで築いてきた関係性もあってか、気が付けば俺も転校して初めてくらいの勢いで言葉を発していた。

 我を忘れるほどに。

 それがいけなかった。

 立花さんの物理的な話になった時だった。

 どうやら彼女の周りにある見えない壁は中学生三年生の時に突然現れたらしく、それ以来一瞬たりともなくなったことがないらしい。

 病院に行ったりしたものの、原因は不明。

 治療のしようもなかったらしい。

 それ以来、その壁とうまく付き合いながら生きてきたらしい。

「困っちゃうよね。でも今のクラスの皆はとっても優しいから私もなんとかやっていけてるんだ」

「病院には行ってるの?」

「うーん、最近は行ってないかな。行ってもお医者さん、私のことを直接見れないし」

「どうして? 定期的に通うことで見えてくることもあるんじゃないの?」

 瞬間、俺は久しぶりに口を塞いだ。

 やってしまった。

 せっかく楽しく話していたのに、話せていたのにいらないことを言ってしまった。

 立花さんはずっと見えない壁と向き合ってきたはず。

 そんな立花さんが病院に行っていないというのであれば、それはそれ相応の意味のある、勇気のある決断だったはず。

 そんなことは少し考えればわかるはずなのに、俺の口は勝手にいらないことを吐き出してしまった。

 俺の言葉に返事はなかった。

 画面を見ることができなかった。

 二人の顔を見ることができなかった。

「ご、ごごご、ごめん! 眠いからもう寝るね!」

 そう言って俺は通話を切った。

 同時に、布団に潜り込んだ。

「なんでだよ……。なんでだよ……。なんでなんだよ……」

 俺は唇を強くかみしめ続けた。



 次の日から、俺は二人を避けた。

 もともと距離は離れていたんだ。

 少しそっけなくすれば簡単に離れていくだろう。

 そんな俺の空気を察したのか、二人は俺に話しかけなくなった。

 俺は安堵した。

 最初からこうなることが目的でこの高校に来たんだ。

 目的達成でよかったじゃないかと。

「はい、それじゃあ、タッチ。行こうか」

 三人でビデオ通話した日から一週間後。

 放課後。

 教室を出た俺の手を掴んできた坂本君。

「え?」

「行くぞ」

 彼は俺の意思を完全無視して坂本君は歩き出した。

「ちょ、え、ちょ?」

 連れてこられたのは三人で初めて遊んだボウリング場。

 そこに立花さんがいた。

 あの時と同じように、グローブとシューズをつけた状態で。

「立花君。勝負しよう」

 出づらい声を必死に押し出すようにして立花さんはこちらに言葉を届ける。

「いや、でも……」

「勝負して私が勝ったらこうなった理由をちゃんと話して。もし負けたらもう話しかけない」

「でも俺が立花さんに勝てるわけ……」

「はい、スタートー」

 坂本君が再び俺の意思を無視して事を進める。

 もちろん俺が立花さんに勝てるわけなんかない。

 必死になる俺を無視するように、立花さんはその小さな体を躍動させてスコアを伸ばしていった。

「私の勝ち。それじゃあ、話して」

 俺は下を向き押し黙る。

「そうだね。一方的過ぎたね。じゃあ、私の話から」

 立花さんはあの夜と同じように柔らかな声を発する。

「私ね、昔はとってもおしゃべりだったの。それはもう今からは想像できないくらい。だからね、見えない壁ができた後も一生懸命にずっと変わらず友達と家族としゃべってた。そしたらある日、喉が駄目になっちゃったんだ」

 俺は下を向いたまま彼女の言葉だけを耳に入れる。

「そこから筆談を始めたんだけど、その時に気づいたの。私が皆に届けてきた言葉って、誰かを傷つけてなかったのかなって。自分の言葉を文字にしようとすると、色々考えるの。この言葉は使わない方がいいな、この表現使ったら傷つけちゃうかな、とか。そうしたらね、過去の自分のことが途端に怖くなった。私はこれまでどれほど考えなしに言葉を発してきたんだろう、どれだけ相手のことを見て話せていたのかなって」

 俺は咄嗟に顔を上げた。

 彼女の瞳は潤んでいた。

 これまでの後悔が溶け出したかのように潤む瞳はこちらをまっすぐに見ていた。

「それに気づいてから何も話せなくなった。筆談すらできなくなった。もうこのまま誰とも話せなくなるんじゃないかって思った。でもそれでもいいかとも思った。だって、私はあまりにも無責任に言葉を発してきたから。きっと誰かを傷つけて生きてきたから。だから、それでもいいのかもしれないって……」

 涙から言葉に滲みだしてくる後悔は俺の心をぎゅりっと締め上げる。

 でも、と彼女は続ける。

「そんな時、坂本君が言ってくれたの。なんでそんな難しいこと考えてるのって。言葉って発する側ももちろん考えなきゃいけないけど、受け取る側も考えて受け取ってるからそんな深刻になる必要ないんじゃないって。それを聞いてから心が軽くなったの。前ほどじゃないけど、話せるようになっていった。筆談だけど、相手のことを想いながら言葉にするのが楽しくなってきたの」

 遠くの声が近くに聞こえる。

 彼女の想いがこちらに届く。

「ねえ、高原君。君はどうかな? 君はどう思って距離を取ろうとしたのかな? 聞かせてほしい」

「昔は……こうじゃなかった。俺だってもっと、もっと二人と話したい。一緒にいたい……。俺は……」



 物心ついたころからそうだった。

 俺は話すといらないことまで言葉にしてしまう。

 小学校の頃はあまり気にしなかったが、中学校という多感な時期になると俺のその言葉が皆を苛立たせていることに気が付いた。

 頑張ってひっこめようとするけどどうしても出てしまう。

 徐々に俺の居場所はなくなっていった。

 虐められはしなかったが、こちらが話しかけても無視をされたり、話しかけようとすると距離をとられることが増えた。

 中学を卒業する頃には誰一人友人と呼べる人はいなくなっていた。

 地元の高校になし崩し的に進んだが、既に俺のことを知っている人も多く、入学当初から浮いていた。

 だから、俺は一人が好きなんだと必死に言い聞かせた。

 一人でいたいから、誰かを傷つけたり苛立たせたりするのが嫌だから俺は一人でいる。

 そう思うようにしてきたのに、周囲は俺を勝手に評価してきた。

 ぼっちだと。

 コミュニケーションもまともに取れないぼっちだと。

 それに耐えられなくなって転校した。

 地元から離れた高校に入って、誰も俺のことを知らない状態で過ごして、誰にも評価されることなく空気のように生きていく。

 今度はそこで最初から誰にも関わらずに生きていこう。

 そう思っていた。

 そう考えていた。

 多少は評価されるかもしれないけれど、それはきっと俺の心には届かないだろう。

 それなのに俺より不自由なはずの彼女が俺の心に踏み込んできた。

 踏み込んできてくれた。

 それなのにまた俺は相手のことを考えずに言葉を発してしまった。

 ずっと謝りたかった。

 でも謝ってしまうと、仲が戻ってしまうと、またいつか傷つけてしまうかもしれない。

 それが耐えられなかった。

 だから俺は二人を無視することしかできなかった。



「アホか」

 それまで静かに俺の話を聞いていた坂本君が俺のデコを指先で弾いた。

「タッチがあの時言ったこと、立花さんはむしろ感謝してたよ」

「へ?」

 立花さんを見ると、激しく頷いていた。

「実は私も病院通いしんどくなってきてたんだ。もうどうしようもないかもって。でも高原君が言ってくれたことでまだ頑張ってみようって思えたの。定期的に通うことで見えてくるって考えはなかったから。だからね、ここ一週間はいろいろと病院調べてたの。継続的に通う意味がありそうなところはないかなって。坂本君もそれに付き合ってくれてたの」

「そうそう。俺一人じゃ大変だからタッチにも手伝ってもらおうと思ったのに、勝手にこっちとのコミュニケーション拒否してくるし。二人で話してあの時のことが原因かなーとは思ってたけどさ」

「ご、ごめん」

 俺の口からは自然と言葉が漏れた。

「まあ、タッチは優しいよな。だって相手のことを想って距離をとるってさ結構しんどいぜ。でもさ、それって逆に酷くもあるんだぜ?」

 さらにもう一発、デコピンが放たれる。

「だってこっちはもうタッチのこと友達だって思ってんのに、少しくらい、いや多少傷ついても全然問題ないのに勝手に距離とられんだもん。俺がどれほどこの一週間枕を濡らしたか」

 坂本君は大げさに泣き真似をする。

「ほんとだよ。私もなかなか寝付けなかったよ。昨日も八時間しか寝れなかったし」

「いや、めっちゃ寝てるやん」

「あはっ」

 二人のやり取りに思わず俺は吹き出してしまう。

「笑ってくれたね。これでもう仲直りってことでいいのかな?」

「まあそもそも喧嘩とかしてなかったしな」

「ごめん……」

「謝ることはねーべ。お互いに腹割って話せたしむしろよかった」

 言って、坂本君は笑った。

「あー、こんなにしゃべったの久しぶりだから喉痛い」

「だ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。だから、ジュース買ってから帰ろ?」

「いいね、俺も喉乾いた」

「うん!」


 

「お、じゃあ今日は公園行っちゃうか。途中の商店街でコロッケでも買っていこうぜ」 

 俺の隣を歩く坂本君が嬉しそうに頬を緩ませた。

 彼女の傍に俺は今日もいる。

 もちろん坂本君も。

 そう、彼女は物理ぼっちだ。

 でもぼっちじゃない。

 俺ももうぼっちじゃない。

 三人で歩く道は少し離れていても、心はどこまでも一つであるように。

 俺はそう願った。

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