第7話 馬謖転生 〜孔明に泣いて斬られてから本気出す〜

 魏の名将張郃は撤退も流石であった。

 手早く敗残兵らをまとめると、自らが殿に出て馬謖軍の追撃を防いでは退き、時には反撃に出ては頃合いを見てまた退く。そしてついには北東の山道へと綺麗に撤退して行った。


「将軍、やりました」

「魏の張郃に勝ちましたぞ!」


 側近の張休、李盛が駆け寄って来た。

 二人の満身は血と泥に塗れていたが、顔には喜びがあふれていた。


 王平も騎乗のままやって来ると、将平に祝福を述べた。


「馬将軍、此度の勝ち戦、おめでとうございます」


 王平は落ち着いた様子で言ったが、彼の甲冑も傷だらけで、顔に浴びた返り血はまだ乾いていなかった。

 張郃軍の背後を襲撃して有利に戦ったはずだが、それでも歴戦の名将張郃が率いる魏の精鋭軍団との戦いは簡単ではなかったことを物語っている。


「勝ったのか」


 将平は三人を見回して呟くように言った。

 実感がわかず、また極度の緊張と疲労から放心したようになっていた。


「はい、我ら漢軍の勝利です。将軍の妙策のおかげです」

「妙策……?」


 将平はぼんやりとしたような顔で王平を見た。


「ええ。まるであの法正どのや諸葛丞相のような作戦、この王平、感服いたしましたぞ」

「丞相……? そんな馬鹿な」


 将平は、初めてふふっと笑った。


「丞相にはほど遠い。それに、この勝利は私の策のおかげではない。張休、李盛どのの二人の陽動、王平殿の隠密行動と奇襲、そして何より、頑張ってくれた全兵士たちのおかげです」

「ほう……」


 王平は少し驚いたような顔をすると、


「しかし、ともかくこれで結果は出しました。あの張郃を破ったのです。これでもはや……」


 ――将軍のことを口先だけの男と言う者はおりますまい。


 そう言いかけて、王平はやめ、


「いや、とにかくこれで街亭防衛の任務は果たせました」

「そうだなあ。とりあえず孔明には斬られなくてすむか」


 と、将平が安堵して言うと、王平、張休、李盛の三人は顔色を変えた。


「丞相のことを孔明などと呼び捨てとは、いくら目をかけられているとは言え不遜でございますぞ」


 張休があわてたように諫めた。

 将平も気づいて、


「そうだ、違う。ちょっと疲れで頭がどうかしてたんだ」

「は、はは……頭に攻撃でも受けましたかな」


 李盛は苦笑いした。


「馬将軍、とりあえず勝鬨を」

「勝鬨? ああ、そうだな」


 将平は頷いた。

 勝鬨の上げ方など知らなかったが、馬謖の頭脳が覚えていた。将平は自ら音頭を取って兵士らに勝利の勝鬨を上げさせた。


 馬謖軍全軍の歓声が、街亭の青空に響き渡った。


 ――勝った。勝ったんだ。歴史を変えたぞ。これで俺は孔明に斬られなくて済む。


 将平も途端に実感がわいて来て、街亭の大空に歓喜の咆哮を上げた。


 だが、一通り喜んでから辺りを見回せば、足下には張郃軍の犠牲者らが死屍累々と散って大地を赤黒く染め、空気は臓物と血の悪臭に充満している。


 将平は一方で自ら歓声を上げ、一方でその凄惨な戦いの痕を見ているうちに、段々と気分が悪くなって来た。


 ――うん? なんかまずいぞ。


 と、思ううちに、どんどんと頭は揺れて吐き気までも覚え、


 ――あ、なんだこれは?


 意識までが遠のき始めたのだが、それがまるで意識が無理矢理身体から引き剥がされるような、自分が自分でなくなってしまうような、そんな経験したことのない感覚であった。


 その将平の異変に気付いた王平が、


「馬将軍、如何なされた?」


 と、心配して声をかけたが、その声はすでに将平の耳には入らなかった。


 将平はついに意識を失い、馬上から崩れるように倒れ落ちた。




 馬謖が張郃軍を撃退した――


 この報告は、すぐに祁山にいた蜀漢の丞相、諸葛亮に届いた。


「何だと? やったか幼常!」


 諸葛亮は聞いた瞬間、思わず床几から立ち上がった。


「王平から送られて来た布陣図を見た時は、ああ北伐は夢と散った。幼常は泣きながら斬ることになるであろうと思ったが……」


 諸葛亮は、机の上に広げていた街亭の布陣図を見た。


「どうやら斬らずに済みそうか」


 諸葛亮は、羽扇をゆっくりと振りながら微笑した。その目は少し潤んでいた。

 諸葛亮は、馬謖の才能を高く買って重用しているだけでなく、性格も合うのでまるで弟のように可愛がってもいた。

 その馬謖が初めて戦場での武功を挙げたのだ。街亭の防衛には魏延や呉懿を向かわせるべきとの意見を押し切って馬謖を抜擢したのもあって、その喜びはひとしおであった。


「さて、あとは趙雲と鄧芝たちが上手くやってくれれば」


 諸葛亮は幕舎を出ると、北東の空を睨んだ。

 



 一方、現代――


 妙な明かりがあちこちに光っている不思議な夜闇の中、青年は路上で目を覚ました。


 ――嗯? 我怎麼了?(あれ? 俺はどうしたんだ?)


 青年は半身を起こした。瞬間、全身に酷い痛みを感じて顔を歪めた。


 ――喔, 痛死了! 到底怎麼了, 我不是在監獄死了嗎? 這在哪裡啊?(痛っ、痛すぎる! 一体どうしたんだ、俺は牢の中で死んだんじゃなかったっけ? どこだここは?)


 痛みを堪えながら立ち上がると、不思議な服装をした中年の男が、巨大な物体から飛び出して駆け寄って来た。


「あ、あんた、大丈夫かい?」


 中年の男は、自らが起こしてしまった事故の重大さに声を震わせていた。

 が、青年は目を丸くして口をあんぐりと開けていた。その目は、男が出て来た巨大な物体に釘付けになっていた。


 ――那是什麼東西啊! 難道丞相開發的新武器嗎?(なんだあれは! まさかまた丞相が開発した新兵器か?)


「おい、お兄さん、聞こえてるかい?」


 中年の男が青年の顔をのぞきこんだ。

 そこで、青年は気付いた。目の前の男が喋っている言葉が、自分の知らない言葉だと。


 ――胡族的話? (羌や鮮卑の言葉か?)


 その時、別の方角から、また知らないスーツ姿の男が慌てた様子で飛んで来た。


「おい、たまたま見かけたぞ! お前今トラックにはねられてなかったか?」

「あ、兄さん、この人の知り合いか?」


 中年の男が、青い顔のままスーツ姿の男に尋ねた。


「ええ。こいつと同じ会社の者です。たまたまあっちの道を歩いていまして、声をかけようかと思ったら……って、え?」


 スーツの男は青年の身体を上から下まで見ると、驚いた。


「すげえ、血が出てない……だけど大丈夫なのか? 馬場?」


 青年は、何故かその言葉だけはすっと意味を理解できた。

 そして不思議なことに、青年は同じ言語で答えることができた。


「馬場とは何でしょうか?」

「は? ぶつかった衝撃で記憶喪失にでもなったか? お前の名前だよ。お前の名前、馬場将平」


 スーツの男が苦笑いすると、青年はぽかんとした後に、鼻で笑った。


「はっはっはっ、人違いですね。私の名は馬謖、字を幼常と言います」



 完



 あとがき


 まずはお読みくださりありがとうございます!

 そして全六回、12/26に最終話UPと言っていたのに、全七回になってしまった上、12/27の最終話UPで申し訳ございません。

 年末で仕事があまりに忙しく、この土日も仕事をしていたので上げる時間がありませんでした。

 また、最終話の字数が思った以上に多かったので、急遽二回に分け、連続でUPしました。

 最初は、コメディタッチの軽いノリにしようと思っていましたが、何故馬謖は街亭に布陣したのか? 本当に生兵法だったのか? どうやったら馬謖は勝てたのか? などと、実際の街亭付近の地図を見ながら戦術から馬謖の心情にまで想像を膨らませているうちにシリアスな物語になってしまいました。

 まあ、この辺りはいずれ近況報告や別の場所に書きます。

 とりあえずお読みくださりありがとうございました、再び御礼申し上げます!


 実際の街亭と思われる場所の画像、及び作中の布陣図と将平と王平の動きを記載した画像を以下のTwitterに載せてますのでご参考としてください。

https://twitter.com/Teru35884890/status/1617108975354531843?s=20&t=B50B7llONGXYRNEv6OMWzw

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馬謖転生 ~孔明に泣いて斬られる前に本気出す~ 五月雨輝 @teru817

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