地酒とノドグロとおじさんと遠距離恋愛
碧月 葉
ひとり旅の夜に
(ひとりなら、やっぱカウンターかな)
10月、島根県松江市。
ホテルのフロントで勧められた居酒屋に入った私は、お店の人と会話できるカウンター席に腰を下ろした。
私はひとり旅が好きだ。
もちろん複数人でワイワイ行く旅も嫌いではないが、自分のペースで旅先のものを見て回る方が「旅」自体に集中出来る気がする。
「オススメは何ですか? 旅行で来ているので山陰っぽいものが食べたいです」
店のおばちゃんに聞いて、ちょっと贅沢に「ノドグロの煮付け」「しじみの酒蒸し」「旬野菜の天ぷら」そして地酒を注文した。
しっかりコクのある日本酒を味わい、お通しで出てきた「豆腐ときのこの和物」をつまむ。
ふふふ、幸せ。
美酒に酔いながら、今日一日を振り返る。
昼間見た松江城は素敵だった。
黒い板張りの天守は、大人シックな雰囲気でとてもお洒落だ。
やはり国宝になるのはこういった城なのだろう。鉄筋コンクリート造りの地元のものとはひと味も二味も違う。
時代を感じる桐の階段を登った先の5階の最上階は高さ30メートルほどで、そこから360度見渡せる松江の町並みも美しかった。
その後、武家屋敷が軒を連ねる「塩見縄手」にも立ち寄った。
これぞ城下町という感じ。200年前の景色をそのまま残した風情が正直羨ましかった。
戊辰の炎で焼け落ちなければ地元でも見られたかもしれないのかな……なんて。
さて、明日は神社を巡り、はにわロードからの八雲立つ風土記の丘! 古代日本の魅力にどっぷり浸かって存分に楽しむ予定だ。
蒸したて、ふっくらぷりぷりのしじみに舌鼓を打ち、旅気分は盛り上がるばかり。
しかし、お酒も進みますますご機嫌な私に、水を差すようなひと声がかかった。
「隣いいですか?」
50代くらいの男の人が訊いてきたのだ。
「良くない」と思った。
自意識過剰だが、こんな場所で声をかけてくる男性は下心がありそうで緊張してしまう。
私の心の平穏のために出来れば遠くに座って欲しかった。
が、「嫌」と言えない気の弱さにより、おじさんは隣に座ってしまい、私の幸せな夕食タイムは終わりを迎えた。
社交辞令的褒め言葉を連発するおじさん。
ひとり客同士という事もあり、やたらと話かけてくる。
大した会話スキルを持たない私は、取り敢えず当たり障りなく応対した。
おじさんは、名刺を差し出す。
わりと名の通った会社のそれなりの役職の人で出張中だという。
社会人一年目の習性により、そこそこ爽やかに返してしまったのも良くなかったのだろう。ほぼ仕事モードの私は延々とおじさんの話を聞く羽目になってしまった。
せめて話題が地域の歴史やおすすめスポットなどなら良かったのだが、おじさんはそういったものには関心が薄いらしい。経歴や会社の話などあまり興味のない話が続き正直しんどかった。
気を使いながらの食事は味が乏しくなる。
せっかくのノドグロが……ノドグロがイマイチ味わえないのが悲しい。
しかも話しているうちにおじさんと同じホテルに泊まっていることが分かってしまった。
なんとなく嫌な予感がした私は、一応予防線として、私の旅の目的は遠距離恋愛中の彼氏に会いに行く事だと伝えておいた。
これはとっとと退散するに限る。
「すみません。先に失礼します」
手早く食事を終えた私は、そう言って席を立った。
ところが、おじさんも食事を終えたというのだ。まだ食べ残しがあるのに!
非常に雲行きが怪しい。
案の定、帰り道。
「私の部屋で飲み直しませんか?」
おじさんは誘ってきた。
やっぱりだ。
怖いっ。大人の世界って怖い。
酔った女とあわよくばってのがあったのかも知れないけれど、私は飲んでも意識はかなり確かな方である。そうでなければひとりで飲んだりしない。
親子ほど年の離れた相手になんてこと言うんだ…… 内心動揺してビビったり引いたりしていた私だったが、翌朝が早出である事を理由に丁重にお断りをして、逃げるように部屋に戻った。
はぁぁぁ。
なんか疲れた。
もっと美味しくお酒を飲みたかった。
ノドグロぉ……じっくり味わいたかった。
せっかくのひとり旅なのに、ペースを乱されまくってしまった。
初期対応を誤ったか……次からはカウンターには座るまい……などと反省点が浮かんでくる。
ベッドサイドに腰掛けて、冷やしておいたミネラルウォーターを口に含んだ。
幸先が悪い。
この旅の最後に遠距離恋愛中の彼に会うのは本当だ。
付き合って2年、頻繁に電話はしていたが、会うのは半年ぶり。
会って、この恋の顛末を真剣に考えるつもりだ。
私たちは夢を叶えて就職した。
幸運な事にお互い適職で、それを楽しんでいる。
しかしこのままでは、2人の道が交わる事はない。
多様なライフスタイルが認められつつあるとはいえ、別居婚などでは子どもを持つ事や親との関係を考えるだけでも相当な困難が予想される。
時間は有限、このままの関係を続けるか、別れるか。
そろそろ答えを出さないと。
「なんでお父さんと結婚したの?」
先日、煮詰まった私は人生の先輩である母に聞いてみた。
「ずっと一緒にいたいと思ったから」
お手本のようなラブラブな答えが返ってきた。
聞いた私が馬鹿だった。
両親は恋愛結婚で今だに夫婦仲が良い珍しい(?)ケースだ。
私の場合、彼とずっと一緒にいたいのかというと分からない。
そこを優先したいならそもそも就職も最初から彼の近くにした。
やはり私は、私の道を行きたいのだ。
ただ、彼との相性は悪くない。
私は決して可愛げのある性格ではないが、そこも含めて好いてくれる。
そして私も明るく向上心と好奇心に溢れ、私に良い刺激をくれる彼が好きだった。
未練がある。
だから中途半端のまま断ち切れない。
仕事、恋、結婚、子ども、円満な家庭。
全てを手にすることはなかなかに難しい。
どういう選択がましなのだろう?
自分ではいくら考えても答えが出てこない。
正解なんてきっと無いから。
という訳で、困った時は神頼み。
明日は朝イチで
八重垣神社は、日本神話の『スサノオノミコト』と『クシナダヒメ』の夫婦がご祭神として祀られており、縁結びや恋愛成就で名高い由緒ある神社だ。
先ずはそこで導いて欲しいと願おう。
地酒とノドグロとおじさんと遠距離恋愛についてグダグダ考えながら更けゆく松江の夜。
これをいつか、笑って誰かに話せる日はくるのだろうか。
神有月の出雲には、全国の神様が集い、縁結びの大会議をしているという。
神さまたちは知っているのだろうか、私の恋の行方を。
地酒とノドグロとおじさんと遠距離恋愛 碧月 葉 @momobeko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます