エピローグ
エピローグ
いつも通り、空が高い。まだ夏の気配は遠い。
頭上に広がる空を見上げながら、ショウタはそんなことを思った。
あれから二週間。思いの外早くに日常が戻ってきていた。
町への被害はほとんどなく、人的被害も少なかった。アレだけの数のエクストが出現してこの程度の被害で済んだのはほぼ奇跡と言えるだろう。
町には一時期警戒令が敷かれたものの、すぐに解除される。神出鬼没のエクストを相手に警戒をしていても意味は成さないのだ。
エクストの方もショウタを狙うのを諦めたのか、あれからは鳴りを潜め、全世界的に見ても平和な時期がすぎようとしていたのであった。
****
重要人物であるはずのショウタが、いつも通りの生活を遅れているのは甚だ意外であった。
「俺は、どうなる?」
事件の後、アライアンスに呼び出されたショウタは、目の前でニコニコ笑うヒノワに対してそう尋ねた。
だが、返答は軽かった。
「どうもこうもないさ。いつも通り。ただ、アライアンスに所属はしてもらうけどね」
「エクストは俺を狙ってきたのは間違いないんだろ? だったら、俺を拘束したりしないのかよ? そうでなくとも、原因の究明のための解剖とか……」
「原因ならわかったよ。君の能力だ」
「俺の、能力?」
ショウタのイグナイテッドの能力は、大別した二種類、ヒノワのような発射型やアキホのような固定型のどちらでもない特殊な形である。
「言うなればフルエレメンタライズ。……実はこれまでエクストに狙われた人物全員がこの能力の持ち主だ」
「って事は、やっぱりエクストはこの能力を狙って?」
「恐らくね。これで君は史上通算六人目、現存する中では三人目のフルエレメンタライザーになったわけだ。めでたいやらめでたくないやら」
「世界には俺と同じような能力を持った人間が、あと二人いるのか」
「そう。先人たちも、能力を開花させた後はエクストに狙われる事はなくなったよ。どういうわけかはわからないけど、エクストはその能力を持っている人間を判断する事が出来、覚醒する前に殺そうとするみたいだね」
エクストにとって炎は天敵である。身体全てを炎に変えるフルエレメンタライズは天敵を作り出す原因になるだろう。
それを事前に取り除こうというのは理解できるし、覚醒した後は出来るだけ近寄らないようにしよう、と言うのも理解は出来る。だが、今までバケモノ然としていたエクストがそんなことを考えるとは、かなり意外であった。
「だから、今までの経験から見てもこれ以降、君が異常に狙われる事はないと判断する。まぁ当然のように監視は付くし、完璧に今までどおりって事にはならないだろうけどね。それにくわえてもう一つ」
企み顔でヒノワが人差し指を立てる。
「君のお養父さんとのコンタクトが取れてね。ちょっとした会議が開かれた」
「会議……?」
議題は推測できる。
義正も懸念していた『ショウタがイグナイテッドになってしまったことを口外しない条件』の話であろう。
アライアンス側からしてみればショウタがイグナイテッドであることを秘密にする理由はない。だが義正はそれが世間にバレると具合が良くない。
そのためにお互いの妥協点を探す話し合いを設けたのだろう。
「正直、アライアンス側からしてみれば、君が自分の事をイグナイテッドであるかどうかを公表するのしないのなんて、どうでも良いわけだ。君がアライアンスの監視下で大人しくしていてくれればね」
「だったら無条件で親父の言う事を聞いたのか?」
「それもまぁ、美味しくはないからね。だから条件を一つ設けさせてもらった」
クツクツと笑うヒノワ。その態度がなんだかモヤモヤする。
「何を条件にしたんだ?」
「君が通常通りに生活する事、だよ」
「……はぁ?」
ニッコリ笑ったヒノワが答えたのは、よくわからない条件であった。
「いやぁ、君が学校を休んだ日、例の十三体のエクストが発生した日だけど、その時、僕は君の学校へ出向いてね。君がズル休みをしていたと聞いたんだ」
「ズル休みって……あれは親父の言いつけで仕方なく……」
「そう。だからこそこの条件を出した」
そこまで言われてショウタもヒノワの思惑を察する。
「アンタ、俺の自由を買ったって事か」
「その通り。アライアンスは君のお養父さんから君の自由を買った。つまり、君の自由はアライアンスの手の内ってわけだ」
アライアンスが提示した条件は『ショウタが通常通りに生活する事』。つまり義正がショウタの生活に必要以上に干渉しない事である。
これが破られればアライアンスはショウタが――反イグナイテッド派の政治家である義正の息子がイグナイテッドになった事を公表する。約束が護られている間は口外しない。
義正からしてみれば存外安い買い物であっただろう。他に不利益を被る可能性は幾らでも考えていたはずだ。
代わりにショウタからしてみれば自分を押さえつける頭が挿げ替えられた事になる。
結局、誰かに義理を感じながら生きる事に変わりはないのだ。
「アンタたちは俺にどうしろって言うんだ……」
「なに、そう構える事はないさ。僕たちイグナイテッドアライアンスは君に多くを望まない」
「どういう事だよ?」
「僕らだって微妙なパワーバランスの上に立っていることに関しては変わりない。変に君のような人間を痛めつけて悪評を立てられても困るんだ」
イグナイテッドの立場は依然として変わらない。周りから突かれる要素を極力排除するに越した事はない。
だとしたらショウタを必要以上に締め付ける必要もない。
「君に義理を押し付けて、契約書にサインしてもらえれば、これ以上は何も望まないよ」
「本当かよ……嘘臭ぇ」
「訝るのは当然だけれどね。状況が変わればまた何か要求するかもしれないし」
「結局、誰かの掌の上かよ」
「でも、そう悲観する事はないんじゃないかな」
フッと息を抜いたヒノワはショウタに対して優しく微笑む。
「これは僕なりの、君へ対する贖罪の一環だと思ってくれれば良い」
「あぁ……?」
「僕は君に大きな借りがある。そして君はアライアンスに義理が出来た。これでチャラにしろとは言わないけれど、いくらか考えてくれればそれで良い」
そこでようやく合点がいった。
この譲歩はヒノワが大きく関与しているのだ。
本来ならばアライアンスは義正に対して大きく圧力をかける事も考えていただろう。だがそこにアライアンスのエースでもあるヒノワが口出しして、あまり大きく事を荒立てないようにしたのだ。
それはショウタの生活を護るため。これまでのように普通に振舞えるように配慮してくれたのである。
その事に対して、ショウタの心境は複雑だ。
「そう……か……」
「嬉しくはないかい?」
嬉しくないわけではない。だがそれを正直に吐露してしまうのは、ヒノワの手前憚られる。
故に、ショウタはいつも通りに捻くれる。
「別に。アンタたちが必要以上に関わってこないなら清々するさ」
「はは、そうかい。まぁ、青春を謳歌すると良いさ、若人よ」
「親父臭い言い方してるんじゃねぇよ」
面談が終わると、すぐにショウタは椅子から立ち上がる。
個室のドアに手を掛け、しかしその手を止める。
「……あの時は、アンタにも助けられた。礼を言う」
「珍しいね。イグナイテッドは嫌いなんじゃないのかい?」
「嫌いな相手でも筋を通さないのは気分が悪いだけだ」
捨て台詞を残し、イラだったようにドアを閉めてショウタは出て行った。
「照れ隠しのようにも見えるけどね」
遠ざかっていくショウタの足音を聞きながら、ヒノワはクツクツと笑った。
****
そんなわけで、今日もショウタは学校へ向かうまでの通学路に立っていたのだ。
周りを行く学生たちは、道のど真ん中で立ち止まっているショウタを見て怪訝そうな視線で見てくるものの、ショウタがイグナイテッドになった事を知らない。
それはあの一件が変に報道規制され、詳細のほとんどが伝えられなかった事にもよるだろう。
どうしてそうなったのかはわからない。だが、何か圧力がかかったのは一目瞭然だ。
それはイグナイテッドアライアンスからのものか、それとも義正からのものか。
判断はつかなかったが、ショウタにとってはそれが好都合であったので、乗っからせてもらう事にしたのだ。
今までイグナイテッドを毛嫌いしていた人間がイグナイテッドになっただなんて、ブラックジョークにも似た話である。
「おや、ショウタじゃないか。おはよー」
急に後ろから声をかけられ、背中を叩かれる。
何事か、と思って振り返ってみれば、そこにはアキホがいた。
「……まぁ、俺に構うヤツなんかそうそういないわな」
「おいおい、悲しい事を言うなよ少年。もっと交友関係を広げていこうじゃないか」
「必要ないんだよ」
呆れたようにため息をつきながら、ショウタは通学路を歩き始める。
また、いつもの一日が始まろうとしていた。そこに少し違和感を覚える。
「あー、もうすぐ五月だね。五月病にかかりそうだわー」
「アンタは暢気そうで良いな」
下らない事を呟きながら歩くアキホを見て、ショウタは呆れたように呟く。
「俺は急に環境が変わって目まぐるしいって言うのに……」
「それもまた慣れるよ、きっとすぐに。……それとも、やっぱりまだイグナイテッドになった事、後悔してる?」
「後悔した所でどうにかなるモノじゃないし、そもそもイグナイテッドになってなければ俺は死んでたんだ。後悔なんかないさ」
アキホはたまに、ショウタをイグナイテッドにしてしまったことを気に病んでいるような素振りを見せる。ショウタはそれに気付いていた。
確かにショウタはイグナイテッドが嫌いだ。ヤツらは親の敵である。それは変わりない。
アキホはそれを気にしているのだろう。
だから毎回、ショウタは本心を伝える。
「アンタが気に病むような事じゃない」
「そうかもしれないけどさ。責任は感じるよ」
いつもカラッと明るい太陽のようなアキホが見せる、困ったような笑顔。
それがどこか、ショウタの心を引っかく。
「ショウタの気持ちも考えずに軽率な事をしたかなって、やっぱり思っちゃうよね」
「似合わねーんだよ、そうやってウジウジ悩んでると」
「な、なにをー! 人が折角心配してやってるのにー!」
「そうそう、その方がアンタらしい。……それに」
そっぽを向きながら、ショウタが呟く。
「イグナイテッドにも悪いやつばかりではないってわかったしな」
「んんん? なになに? よく聞こえないぞ?」
「イグナイテッドにも特別バカがいるんだな、って言ったんだよ」
「な、なんだとぉ! もういっぺん言ってみろぃ!」
「何度でも言ってやる。アンタは特別バカだな!」
「むぅぅぅぅ!!」
からかうようなショウタの言葉に、頬を膨らすアキホ。
だがフッと彼女が笑うように息を吐く。
「そっか、ショウタは私の事、特別に思ってくれてるんだ」
「バカだと思ってるけどな」
「もぅ! ……それでも良いよ。イグナイテッドをちょっとでも見直してくれるなら、それで良い」
ニッコリ笑ったアキホに見惚れ、ショウタは一瞬足を止める。
その隙にアキホはショウタの前へと進み、しばらくしてクルリと振り返る。
ヒラリとスカートが舞い、笑顔が輝く。
「私を特別に思えば良いよ。そして、いつか何のしがらみもなく仲良く出来たら良いなって思うよ」
その笑顔が、その言葉が、とても気恥ずかしくて、ショウタは顔を伏せる。
「ホント、アンタはバカだな」
そのバカに助けられている、とは思っても口には出すまい。
「いつまでもアンタに付き合ってられないな。先に行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ!」
イグナイテッドになった事を後悔するはずもない。
こんな風にいつもの日常が送れるのだから。
Ignited Heart シトール @shitor
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