高二、共学の教室で

惟風

高二、共学の教室で

「昨日、イチモツを筆代わりにして習字の練習してたら祖母ちゃんが来ちゃってさあ」

「せめて昼飯食い終わるまでその話題待てなかったの」

「ちなみに靴下は履いてたからギリ裸ではなかったんだけど」

「そんな補足いらないんだよ」


 よく晴れた十二月のとある昼休み、幼馴染みで親友のシンジが何のてらいもなく切り出した。

 勉強は今一つだけど高身長で筋肉質の卓球部のエース、伊馬谷いまたにシンジ。顔も整っている。

 こいつが突拍子もないことを言い出すのはいつものことなので慣れてはいるけど、今日は流石にひどい。

 よりによって僕は今ウインナーロールを食べているんだが?

「何でそんな、その……アレを筆代わりにしようとしたんだよ」

「いや、彼女で筆おろしする前に『コレが本当の筆おろしだ』ってやろうかなって」

「そんなのSNSに投稿したら炎上しちゃうんじゃないの」

「は? 投稿なんかするわけないじゃん何言ってんの?」

 お前が何言ってんの?

 何で僕がおかしいこと言ったみたいな空気出してんだよ。

 こんな奴に恋人がいて僕にはいない、世の中はすごく理不尽だ。


「それで、竿に墨汁つけようとしてたとこ祖母ちゃんに見つかってびっくりしちゃってさ、墨汁のボトルひっくり返しちゃって。後片付けめちゃくちゃ大変だったわ」

 シンジは意に介さず続ける。二つ隣の席で食事していた女子達が軽蔑の眼差しで僕等を見た後、ヒソヒソしながら離席していった。お願い僕も連れてって。一人にしないで。

「自分のお祖母ちゃんに何てモノ見せてんだよ……」

 ウインナーロールの残りをコーヒー牛乳で流し込む。さっきまで美味しいと思ってたのに、もう味がわからない。僕は一体何を聞かされているんだ。ナニの話か。

「祖母ちゃんには『シンちゃん風邪ひいちゃうよ』って言われちゃった。心配かけて悪いことしたなあ。暖房ガンガンにしてたから寒くはなかったんだけど、やっぱ上は着とくべきだった」

 シンジは形の良い口におにぎりを放り込みながら、肩を落とした。僕は、反省するべきはそこじゃないと思う、という言葉をサンドイッチと共に飲み込んだ。

「もっとこう……ちゃんとした人間になれよ、お祖母ちゃんのためにもさ」


 シンジのお祖母さんには小学生の時に会ったことがある。小柄で丸顔のニコニコした人で、僕にもおやつをくれたり優しくしてくれた。

 僕の記憶には残ってないけど、僕が赤ちゃんの頃には近所のよしみで家に面倒見にきてくれたこともあったらしい。

 卓球部で結果を出してる時点でシンジは帰宅部の僕よりは“ちゃんと”してる気もするけど、ちゃんとした人は肉棒で習字しようとはしないと思う。

「そうだよな……。来年は俺、もっとしっかりした男になるよ。書き初めは『夢』って書こうと思ってたけど、『成長』にする。墨つける前にもうちょい腰使いも練習してみる」

 決然とした目をしている。スポーツマンらしい意志の強さを感じさせる眼差しだ。

 優しいお祖母さんがすごく可哀想。


「脱線しちゃった。それで本題なんだけど、墨汁なくなっちゃったからさ、お前のちょっと分けてくんね?」

「別に良いけど、墨汁くらい新しく買えよ」


 男のプライベートゾーンで習字する話、丸々いらなくない?

『墨汁切らしちゃったから貸して』で済んだよね?

 もう何も知らなかった頃の僕に戻れないんだよ?


「今月小遣い厳しいんだよー。母ちゃんに事情説明してお金貰おうとしたらめっちゃ怒られちゃって、危うく包丁でムスコ切り落とされるとこだった。もちろんお金くれんかった」

 シンジはお茶を飲みながら眉尻を下げた。心底残念そうだ。

「まあそうなるわな」

「母ちゃん鬼みたいな顔して玄関まで追いかけてきてさあ、ちょー怖かった。死ぬかと思った」

 僕はお前のしてる話の方がずっと怖いんだけど。

「父ちゃんに相談したら、めちゃくちゃ笑われた後に泣かれて、お小遣いせびるどころじゃなくなっちゃって」

「親を泣かせるなよ」


 この通り頼む、と拝んでくるシンジに習字セットごと渡していると、無情にも昼休み終了のチャイムが鳴った。

 これまでの高校生活で一番無駄な休み時間を過ごしたと思う。

 それからは午後の授業なんて上の空だった。


 俺は一体何の話を聞かされたの?

 何で愚息で書道しようと思いついたの?

 墨汁冷たくない?

 あんなの塗ったりなんかしたら先っちょから雑菌とか入っちゃわない?

 沁みない?

 どうやって塗るの?

 筆で?

 ちょっと気持ち良かったりするの?

 俺の墨汁使う時に、その筆ボトルの口につけたりしないよな?

 書く時の姿勢どうすんの?

 四つん這い?

 いや、半紙に届かなくない?

 あいつのジュニアそんなに長かったっけ?

 半紙を壁とかに固定して、勃ってもとい立って書くとか?


 いや、それより。

 アイツおかしいこと言ってたよな?

 いや何もかもおかしい話ではあったんだけど。


 シンジは昼休み以降は全くその話を振ってくることはなく、本当に墨汁を借りたかっただけらしかった。僕だけがシンジの奇行に囚われているみたいで癪だったので、奴の前では話題を忘れたフリをして過ごした。

 でも、帰宅途中もバイト先でも、様々な疑問は解決されることなく頭の中を渦巻いた。

 用を足す時が一番最悪だった。

 その都度、自分のモノを摘んで「コレに墨汁を……?」と脳内シミュレーションが始まってしまう。


 夜、風呂に入って浴槽に浸かっている時もまだ、気になっていた。

 湯の中の自分のブツを見下ろす。

「もしやるとしたら……邪魔になりそうだから剃った方が良いよな……あいつ剃ったのかな……」

 黒々とした毛がゆらゆらと海草のように揺れている。シンジの剃毛シーンを思い浮かべてしまい、くらくらした。

 自分の陰部が少し熱を持った気がした。

 クソっ、何て話を聞かされたんだ。


 電気を消して、ベッドに入る。

 部屋が暗くなるだけで、どうしてこうも静かな気がするんだろう、とたまに思う。

 目を閉じる。

 今日一日気にかかっていたことが、脳内を巡っていく。

 親友の凛々しい顔が浮かぶ。

 何なんだあいつは。

 固く目を閉じても、何度寝返りを打っても、「股間の棒で習字をする」などというトチ狂った行為の様子を想像してしまう。

 何より。





「お前のお祖母ちゃん、五年も前に亡くなってるじゃねえか……」


 どこからどこまでが狂っているんだろう、僕の親友は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高二、共学の教室で 惟風 @ifuw

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ