第4話 闇色からオレンジ(4)
四六時中、足を洗うことばかり考えていたが、雅也は相変わらず私の家に物騒な物を持ち込んでいた。火薬、コード線、重いボストンバッグ。
深夜、これらを運び込むと夕飯も食べずに寝てしまうこともあった。
随分疲れてる……。
上着をハンガーに掛けると、不意にSNS通知音が鳴った。
雅也は油断していたんだと思う。これまで一度もこんなことはなかった。私と会う時はいつもスマホの電源を切っていたと思う。
気になってつい、上着のポケットに入っていたスマホ画面を見てしまった。
『追加の女見つかった?』
数秒間表示される文言に釘付けになった。
『今後も預けたいからよろしく』
差出人は覚えていない。カタカナだったような気がする。
私はその場にしゃがみこんだ。
追加の女って……?
翌朝、出勤する雅也を見送るフリをして追いかけた。緊張して心臓が飛び出しそうだった。
勤め先に嘘はなかった。雅也は都心の高層ビルに吸い込まれて行った。
その後どうしたら良いのかわからず、結局、浮気調査をやっている探偵事務所に駆け込んだ。あまり大々的に調査されると雅也の犯罪に気づかれると思い、依頼内容は会社帰りに会っている女性だけを調べてほしいと限定した。別れるつもりはないとも言い添えた。
探偵事務所は優秀だった。一ヶ月もしないうちに成果をあげたと呼び出された。
報告の写真には、雅也が会社帰りに日替わりで立ち寄る二つの飲食店と、それぞれ、そこに勤める女の子と仲良く歩く姿が写っていた。相手の姿を見て私は愕然とした。
この子、私みたい。
年齢は下に感じるが、雰囲気も髪型も背格好も似通っていた。二人とも雅也が贈ったであろうラベンダー色のバッグを肩から下げている。
雅也がいつも私に預けるように、女の子に紙袋を渡している写真を見た時、ショックで前触れもなく涙が溢れてきた。
依存しているのは私だけだと悟った。
共依存? 違う。雅也は私に依存なんてしていない。私がいなくたって代わりはいくらでもいるんだから。
私は最初から一人だった。居場所なんてなかった。居場所なんてもう、どうでもいい。
私、怒ってもいいよね……?
探偵事務所を出ると、ラベンダー色のバッグを投げ捨てたい衝動に駆られた。商店街に入るとバッグ専門店を見つけ、目に入るものを次々、手に取った。
黒、グレー、紺色のバッグは気分が沈む。緑、青、水色は今の悲しみを増幅させそうだった。赤、ピンク、黄色はまぶしすぎる。
どれも気分に合わない。
最後に手に取ったオレンジ色のリュックサックが一番、今の気持ちと合った。理由はわからない。第六感で決めた。
帰宅するとラベンダー色のバッグをハサミで切り刻んで捨てた。その夜、アタッシュケースを抱えてやって来た雅也に対し、「これを最後にして、二人で逃げない?」と、持ちかけた。私の最後通牒だった。
雅也は露骨に嫌な顔をして「あんまりごちゃごちゃ言うと、もう来ないよ」と睨みつけた。
私が預からないのなら、これからはあの子たちに預けるつもりなんだと察した。
翌朝、雅也が家を出ると、オレンジ色のリュックに詰めた荷物と千鶴がくれたスマホショルダーを肩から下げ、アタッシュケースを持って私も家を出た。雅也は明日の夜、このケースを取りに来ると言っていたが、もう知らない。
アタッシュケースは引っ越す前に住んでいたアパートの近くの交番に置いた。ここは週に三日しか、お巡りさんが来ない。閉まっている扉の前には「ご用方はのこちらへご連絡ください」と、管轄の警察署の電話番号が張ってあった。電話なら警察官と直接、顔を合わせずにすむ。
「拾った物を交番の前に置いておきます」
私は電話口の担当者に伝えた。中身は何だと聞かれたので開けてみた。鍵がかかっていると思ったが、かかっていなかった。
「パソコンが一台だけ入っています」
「最後に、ご連絡を頂いたあなたのお名前を教えて頂けますか」
その質問で私は唐突に電話を切った。
羽田空港へ向かうため、駅へ急いだ。途中、電車が発車せずに止まっていた。諦めて行列に並んでやっとのことタクシーに乗った。
「お客さん、ニュース見なかったんですか。爆弾を仕掛けたって、脅迫状がいろんなところに届いたらしいですよ。電車やらショピングセンターやら点検のために止めたり閉めたりしてるんですよ」
知らなかったし、関心もなかった。十一時二十五分発のバンコク行きの飛行機を予約していた。念のためニュースをチェックすると羽田空港は通常通り動いていた。
十六時過ぎ、バンコクに到着した。予約したホテルへ直行し、明日の仕事に備える。日本語によるコールセンター業務が新たな仕事だ。
翌朝は日の出前に目が覚めた。
カーテンの隙間から窓の外をぼんやりと見つめていると、闇夜が少しずつ明るくなっていくのが見えた。
漆黒から紫、濃紺、薄紫。
薄紫色の雲が、雅也が贈ってくれたラベンダー色のバッグや小物を連想させた。思わずカーテンを閉めようとして、ラベンダー色の雲が、だんだんと朝日の色に染まっていくのを目の当たりにした。
闇色はついにオレンジ色にかき消された。
希望が見えた気がした。私はここで、できる限り生きていくことを誓った。
その後の報道では、東京の爆弾騒ぎは終息し、テロ組織が摘発されたと伝えていた。彼らは実際には東京スカイツリーだけに爆弾を仕掛けていたが、カモフラージュするために複数の交通機関、商業施設に脅迫状を送っていた。
東京スカイツリー爆破は、起爆装置のパソコンを紛失したことにより実行できなかった。予備のシステムも起動しなかった。パソコンは落とし物として地方の警察署に届けられていた。
連日、ネットニュースを読み続け、私がタイに来る直前まで住んでいたマンションで殺人事件があったことを知った。四階の共用廊下で土下座するような格好のまま後頭部を撃たれた男性。
身元を示すようなものは持ち去られていた。記事にはスーツを着た三十代くらいの若い男性と書いてあった。
これが雅也なのかはわからない。雅也だとしても、もう、同情の余地はない。
それから数年後、私はバンコクで知り合った現地の人と結婚し、タイの国籍を取得した。夫は素朴でとても優しい人だ。私が役に立つ、立たないに関係なく接してくれる。依存とはちがう、心の拠り所になってくれている。
タイに来てから、人との距離を一から見直した。日本にいた時よりも同性の友達が増えた気がする。彼女たちと会うと、千鶴を思い出す。元気にしているだろうか。
月日が経ち、還暦を迎えると、今までの自分を振り返る余裕が出てきた。
日本での自分の行いを懺悔しつつ、今朝もラベンダー色の雲間から昇る、燃えるような太陽を見ながら甘いタイティーを口へ運んだ。
闇色からオレンジ 桐中 いつり @kirinaka5
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