第3話 闇色からオレンジ(3)

テレビから得た情報によると、この男はついニ時間前に自衛隊トップの統合幕僚長を刺して逃げたという。統合幕僚長は任期が終わる年のため、退任の挨拶をしに議員会館を訪れていた。建物から出たところを襲われ、今も予断を許さない状況が続いているらしい。


犯人は周りにいた人々と格闘になり、顔を見られたため、目撃証言から身元が浮上し、指名手配になった。


各テレビ局は、とある組織から犯行声明が届いたと騒いでいた。私は自分のしたことの恐ろしさを感じる以上に雅也が心配だった。


殺人にまで手を貸すなんて、いつか捕まっちゃう。



その後、統合幕僚長は一命を取り留め、額に星のある犯人は発見されたが、激しく抵抗したために射殺された。



このニュースが流れた日、雅也は約束通り、隣町の中心部にあるマンションへ引っ越すと言い出した。私はアイスの工場を辞めることになった。


慌ただしさからなんとなく、ここにあの男がいたという痕跡を消し去るために引っ越すのではないかと感じた。


「三葉さん」

引っ越し当日、上階に住む千鶴が訪ねて来た。

「これ、お餞別。色がね、三葉さん、いつも紫とか青とか寒色系の物を持っているでしょ。あたし、三葉さんは暖色が似合うと思ってるからピンクで作ったんだけど……、どうかな」

渡されたのはスモークピンクのスマホショルダーだった。人工皮を縫ってある。確かに自分から手に取らない色だ。

「ありがとう。大事にする。川瀬さん、旦那さんとこれからも仲良く頑張ってね」

私は夫婦で仲睦まじく郵便局へ出掛けていた姿を思い出して何気なく声をかけたが、千鶴は苦笑して「実はね、離婚するの」と言った。

「えっ?」

「今月末にね。でも、アパートも車も私の名義だし、工場も辞めないから名字が戻る以外、特に変化はないんだけど」

千鶴はサバサバと話した。哀愁の欠片もない。

「どうして……」

「そんな顔しないで。前から考えていたことなの。子供は作らないつもりでいたんだけど、向こうは欲しがっていてね。三十代半ばの今ならお互いやり直せるからと思って。ね、あの人、三葉さんの彼でしょ?」 

千鶴は急に話題を変え、駐車場にいる雅也に視線を移した。

「あたしなんか我を通しちゃうから上手くいかなかったけど、三葉さんは人の言うことをよく聞いてくれるから大丈夫だと思う。彼と仲良くね。でもね、三葉さん、もっと自信を持った方が良いわよ」


人の言うことをよく聞いてくれる。


社交辞令なしに同性に褒められたのは初めてだった。


私は雅也が子供が欲しいと言えば産むだろうし、望まなければ産まないだろう。


でもそれって。


私は千鶴の言動を反芻した。


彼女にしてみれば、私は人の言いなりになっているってこと?


千鶴は褒めたのではなくて、警告したのではないか。言うことをよく聞き過ぎている。自信を持って自分の意見を持てと言いたかったのかも知れない。


引越し先に着く頃にはそんな風に考えていた。


鉄筋コンクリート造りのマンションの四階で新生活をスタートさせた。私はてっきり、雅也が部屋を契約して、一緒に住むのかと思っていた。実際は、住居費用の援助はあったものの、名義は自分だし、雅也は今まで通り、同居せずに通ってくるという。私の職場は近所のコンビニに決まった。


不満だった。

雅也と出会って二年近くになる。少しわがままを言ってみたくなった。

「将来のことも考えるって言ってたのに。どういうつもりなの?」

雅也は窓の外を眺めたまま答えなかった。

「ねえ」

催促すると雅也は「今日、警察が来たんだ」と、つぶやいた。

不意をつかれて私は黙った。

「この前、自衛隊の統合幕僚長が刺された事件あったろ。僕が犯人に似たヤツを連れていたって、誰かが言ったみたいでさ。家の中を見て回って帰ったよ」

「……それで、大丈夫だったの?」

「大丈夫だった。調べたって何も出てこないから」

胃がキリキリしてきた。

もう、あんなことやめさせたい。二人で普通の暮らしがしたい。

「……副業、変えない? このままじゃ、刑務所行きだよ」

私はいつか殴られた日のことを思い出しながら覚悟して言った。雅也はチラッと私を見たが、すぐに窓の外へ視線を移した。

「変えない。もう、変えられないんだよ。だからさ、助けてよ」

雅也は哀しそうに笑って振り返った。

「僕を守って」


雅也も苦しんでいると実感した私は、以来、真剣に二人の将来を考えるようになった。


守ると言っても、犯罪に加担したままじゃ、全てを失ってしまうのではないか。


この頃、共依存という言葉に出会った。あまりにも自分にぴったりで思わず笑った。


自己肯定感の少ない人間が陥る心理らしい。幼い頃の家族との関わりも影響するという。

心当たりは大ありだが、機能不全じゃない家族がどのくらい存在するのかと不思議に思う。親の離婚、離婚していなくても不仲、親兄妹、親戚との軋轢。どこもかしこも機能不全の危機でいっぱいだ。


依存の何が悪いの。

今、生きている理由になっているんだからいいじゃない。

お酒や薬に溺れる人と、仕事や子育て、趣味が生き甲斐な人達は何が違うの。生き甲斐だって依存じゃない。みんな少なからず依存しなきゃ生きられないじゃない。


共依存に陥っていることについて、自覚するとともに最初は馬鹿にされているような気がして怒っていたが、結局、悪い状態から抜け出せないのが問題であって、ここで怒りに任せて目をそらしていては何の解決にもならないとの結論に至った。


雅也は預かり屋として犯罪に加担している。私が手伝うから成立している。雅也が望むことをして、雅也が満足する姿を見て私も満足する。人にしてほしい雅也の需要と、人にしてあげたい私の供給が一致しているのだから、これでいいと思っていた。


ただ、漠然と感じる不安や苦しさは、いつも心の中の重りになっていた。


人に寄ってでしか成立しない居場所なんて危うい。そんなの、寄る人が居なくなれば消し飛ぶに決まってる。


わかっていても、私は一人になるのが怖かった。


ものの本には自立することが克服の道と示されていたが、私の望む道と違う。


雅也を一人にできない。まず、二人で預かり屋から遠ざからなきゃ。いっそ、逃げる?






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