迷子の風船~薄黄色の風船~

世楽 八九郎

「迷子の風船を見つけちゃいけない」

「迷子の風船を見つけちゃいけない」


 随分と前に亡くなった祖母の声が耳朶に触れた気がした。

 草葉の揺れる音もない昼下がりの公園。

 かつての言葉の輪郭をなぞるように目を凝らすと緑がかった薄黄色の風船が浮かんでいる。行き交う人のない公園の入り口にたたずむように。

 はあ、と大きくため息をついてから息を吸う。木や草や土の匂いを感じながらもう一度大きく息を吐きだした。それでも私の内側はどこか淀んだままだ。

 想いもよらぬ解雇通知から三か月が経った。決して私は怠惰ではなかった。会社も決して無情ではなかった。それでも結果は非情だ。いまでは就職活動よりもこうやって公園のベンチに根を生やす時間の方が心地よいほどだ。

 風船を見やると、相変わらず静かに浮かんでいた。


「迷子の風船を見つけちゃいけない」


 鼻の奥がツンとする。思わず手を当てるがなんともない。所在なくベンチに触れた指先がやけにカサついた。

 祖母のお小言めいたものがやけに引っ掛かる。見つけちゃいけないとはどういうことだ。そんなもの避けられない事柄ではないか。

 迷子の風船は凪間に揺蕩うように揺れている。その様がやけに優雅に感じられ、悪態の一つも吐きたくなってくる。

 

「迷子の風船を見つけちゃいけない」


 見つけたところでどうだというのだ。

 安らぎのひと時を侵された私は歯噛みして迷子の風船を睨みつける。ぎしっ、と歯が軋む音に紛れて祖母の声が脳裏に過った。


「迷子の風船を見続けちゃいけない」

「……えっ?」

 

 祖母の言葉を思い出した私のことを迷子の風船が見つめていた。顔も目もないはず風船はしかし、こちらの様子を窺っているのだ。ただの風船のはずなのに。いや、あんな薄黄色の風船なんてあるのだろうか。背筋がぞっと泡立つ。気味の悪さに急かされ、この場から逃げようと立ち上がる私の脚が想わぬ方向に傾いた。藻掻くように伸ばした手の先に風船の紐が見えた瞬間、頭を地面に打ち付けてしまった。

 衝撃に揺れる眼球から意識が飛び出るような感覚のなか、何もかもが白んでいく。

 

「迷子の風船を見続けちゃいけない。見続けると……」


 必死に頭を起こした。なんとか天地が定まるとそこには倒れた私の姿があった。


「閉じ込められる……!」


 答え合わせするかのように倒れていた私が立ち上がり、恍惚とした表情で脚に絡みついた風船の紐を嚙み切ってしまった。

 迷子の風船が浮かび上がる。

 すべてを奪われた私ひとりを閉じ込めたまま。

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