真面目な彼女の、真夜中の隠し事 【お題 真夜中】

 時刻は真夜中。


 でも、熱に浮かされた様にに集中している今の私には、正確な時刻はわからない。


 夕食を済ませ、お風呂に入り、パジャマに着替え、翌日の着替えも準備した。あとは寝るだけ、という状態になった私は、今、只々ソレに集中していた。


 自己満足だということはわかっている。


 ネットの情報を頼りに好奇心で始めたことだけど、普段は真面目、文化祭といった行事では毅然とした態度で振る舞う、そんな堅物なクラス委員長というイメージの私が、毎晩をしているとは、クラスの誰も思っていないはず。


 必死になって指を動かす。


 家族にも友達にも、誰にも言えない、自分をさらけ出すかのような、真夜中の秘め事。


 もう少し……。


 身体が喉の乾きを訴えている気がするけど、余計なことは考えない。思考の全てをソレに集中させる。


 あと少し……。


 部屋にいるというのに息が上がり、少しだけ休みたい、という思いを振り払う。

 ほんのちょっとでも速く指を動かそうと、余計なことは考えず、ひたすらソレに集中する。


 もう少しなのだ……。


 理性と本能を総動員し、一心不乱に指を動かす。


 あと少し……。


 ……。


 ……っ。



 ……あと少し、あとほんの少しで────私のが書き上がる!



 ────そう、私は今、小説を書いている。



  

 元々私は、読書が趣味だった。勉強が取り柄で、クラス委員長という、おそらく真面目を絵に描いたような人物である私にとって、自由で想像もつかない世界が広がっている小説に、とても、心惹かれた。


 通学中に。勉強の合間に。ほんの数分でもページを捲れば、いい気分転換になった。

 ただ問題だったのは、隙間時間の読書はキリが悪い、ということだった。あと少し、もう少し読んでいたい、あとちょっとで一段落する、という所で時間が来てしまう。それはひどくストレスだった。


 そんな時に見つけたのが、ある大手出版社が運営する、小説投稿サイトというものだった。


 それはプロもアマチュアも関係なく、誰もが自由に作品を公開することのできる場。


 特に大抵の作品は一話につき数分で読み終えられるので、隙間時間に読書をしたい私とは相性が良かった。


 当然私はハマった。


 興味の赴くままに作品を読み漁り、毎日のように利用し続けた。



 そんな日々が続いたある日、ふとソレが目に留まった。


 ソレは出されたお題に基づいた作品を、期限までに投稿する──という、企画。


 それを見た私はなんとなく──そう、なんとなく、参加した。してしまった。


 よくテレビで悪いことをした人達が「魔が差した」と言っているのを聞いて、あなたの意思が弱かっただけでしょう? と意に介してもいなかったけれど、今思えば────あれが“魔が差した”ということなのだと思う。


 理由はともあれ、私はその企画に参加した。

 自慢ではないが学校の成績は良く文章を書くのも苦ではないので、小説を書くのは初めてだったけれど、さほど労せずして最初の短編を完成させることが出来た。邪道かもしれないけど他の参加者の方の作品を読んで傾向を分析し、ある程度作品の方向性を決める参考とさせて頂いた。初心者なのでこれくらいは許して欲しいと思う。


 だが、魔が差した状態の私は気が付いていなかった。…………この企画の恐ろしさを。


 最初はよかった。お題も普通で書きやすかったし、今思えばまだ、余裕があった。


 だが一つ、二つ、とお題を経るにつれ、雲行きが怪しくなっていった。


 お笑い/コメディ…………勉強しか取り柄のない私には、とても難しいお題。

 88歳…………どうしろと? 確か八十八歳は米寿といったはず……それに絡めるべき?

 焼き鳥…………焼き鳥!? 思わず二度見した。


 魔が差した、今思えば平常心とは言い難い状態に加えて、体力的にも精神的にも余裕がなくなっていくのをジワジワと感じていた私は、次第に、ある考えが浮かび始めていた。


 こんなことを考えてはいけない……、こんなことを思うのは失礼だ……。だが、一度芽生えたこの考えは、疑念の火となって頭の片隅に灯ってしまった。


 そう、私はこう思ってしまったのだ。



 この編集部────もしかして頭がなのでは……? と。



 …………いえ、誤解のないように説明させて頂くと、私は社会人の方はとても立派だと思っている。勿論、全員が、とまでは思っていないけれど、会社という組織の中で、仕事をして、お金を稼いでいる。それだけでも、学生の私からしたら立派だと思う。

 中でも読書好きの私からしたら、大手出版社、その編集部で本に関わる仕事をしている方というのは、学生の私には想像もつかないような、立派な、尊敬に値する大人の方達だと思っている。


 でもお題が進むにつれ、私にはある疑念が生まれた。



 もしかしてこのお題────その場のノリで決めていないだろうか……? と。



 私は学生なのであくまで想像でしかないけれど、こういった企画は、立派な大人達による厳粛なる会議によって、真面目に決められていると思っている。文化祭の出し物を決めるような、学生の軽いノリとは違って真面目に。


 ……でも、八十八歳というお題は、ちゃんと会議をして決めたのだろうか?


 焼き鳥……もしかして緩い感じの、会議とは名ばかりの雑談で決めた、とか?

 ……いえ、まさかとは思うけれど、仕事のあとの飲み屋さんでの会話で適当に決めた……とか…………?


 そういえば主人公が小説家や漫画家の作品では、よく言えば個性的、正直に言えば人として問題のある編集者が登場したりする。あれは作品を盛り上げるための架空の人物であり、そもそも物語とはフィクションだ。……でもそれを書いた作者は実在する。編集部もまた然り。もし、アレらの登場人物に実在のモデルがいたとしたら……?

 それに大手出版社の、しかも編集者という方はエリートとも聞く。もしかしたら我々のような下々の人間に無理難題を吹っ掛け、自分達はバスローブ姿でワイングラスを燻らせながら、苦しむ作家達を眺めて愉悦に浸っているのかもしれない……。


 私の頭の片隅に灯った疑念の火は、消えずにゆらゆらと燃え続けた。


 だが、その疑念に思考を傾けている余裕など、すぐになくなった。


 いえ、すでに余裕などなかったけれど、お題の発表から締切まで大体二〜三日。学生、しかも初心者の私にはこのスケジュールはキツかった。

 それに元々読む専門だった私は構想を練り執筆する合間にも、他の参加者の方の作品を読み漁っていた。時間的にも精神的にも体力的にも余裕はなかった。


 そう、初心者の私は頭と指を動かすだけの執筆という作業が、こんなにも消耗するとは思っていなかった。


 そういえば同じ、といっては失礼ですが、素人目には頭と腕を動かすだけのプロの棋士の方は、対局中、昼食をしっかりと摂った上で、糖分補給におやつも食べている。つまり──それだけ消耗するのだ。


 しかもいつのお題の時だったか。お昼休みの時間、ご飯を済ませそういえば次のお題は何かしら? とお知らせを確認しようとサイトを覗いた私は…………震えた。


 そこにはもう、他の参加者の方の新作が投稿されていたのである。


 待って、お題の発表からまだ一時間少々しか経っていないのよ……? それなのに何で、何でもう新しいお題の作品が完成しているの……?


 訳がわからなかった。初心者の私は言葉の選び方、文章の繋げ方といったことに一々悩むので、短編とはいえ書き上げるのに一時間以上は掛かる。

 ええ、初心者の私と経験者、上級者の方を比較すること自体が烏滸がましいとは思うけれど、執筆時間は勿論のこと、何より即座にアイディアをまとめ、物語として構成するその思考速度に私の震えは止まらなかった。

 それに他の方の作品を読むにつれ、同じお題でも私では到底思いつかない物語であったり、勉強ができるだけの学生でしかない私には知る由もない、豊富な知識が盛り込まれていたりと、読者としての私には嬉しい状況だったが、執筆者としての私は、見えない何かが削られているような感覚がしていた。


 でも、良いこともあった。


 実力も経験も余裕もないけれど、それでも自分なりに真剣に書いた作品が読まれた。


 初めて小説を書いた、初心者で無名な私の作品を、読んでくれた方がいる。


 それだけでなく、ある時は応援してくれた方もいた。評価してくれた方もいた。



 とても…………嬉しかった。



 テストで良い点を取った時とはまた違う、経験したことのない嬉しさだった。


 それに書き続けているうちに気付いたが、この企画はおそらく、作家としてのトレーニングの一種なのだと思う。


 人気のある作品というのは大体毎日、少なくとも二〜三日毎には更新される。

 しかも読み易いようにと、一話四千字以下の作品が多いように思う。

 この無茶ともいえるお題とスケジュールの企画はきっと、作家としての引き出しを増やし、思考速度と執筆速度を養うためのなのだと思う。


 やはり編集部の方達は立派な、尊敬に値する人達だったのだ。


 …………頭がアレとか人としてソレとか言って、本当にすみませんでした……。




 ────何はともあれ。


 あと少し……。


 もう少し……。


 あとちょっと……。


 ……。


 ……っ。


「終わったー!」


 最後の一行を打ち終えた瞬間、まるで夏休みの宿題が終わったかのような、爽快な解放感に包まれる。これも執筆する前の私は知らない、新しい経験だった。


 誤字脱字がないか、文章が変ではないかの確認は必要だろうけど、それは明日……いやもう今日だけれど、未来の私に任せよう。


 パソコンを閉じ、ノロノロとした足取りでベッドに入る。集中し過ぎてぼんやりとする頭と酷使した身体を休めるために、目を閉じる。


 今はただ……。


「おやすみなさい……」


 この心地よい疲労感と達成感に包まれたまま、静かに、眠りに落ちたかった。
















 でも、意識が眠りへと落ちる直前、ある考えが一瞬、頭を過った。



 あの…………編集部の皆様。



 焼き鳥っていうお題は、ちゃんとした会議で、真面目に決められたんですよね…………?

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