今ガードレールを鳴らしたのは、誰?

木の傘

妖怪ガードレール弾き

 あの妖怪と最初に出会ったのは、私が小学生の頃でした。


 当時、私は山間の集落に住んでいました。過疎化が進んだ地域だったので、近所に同学年の生徒はおらず、片道一時間以上の道を一人で登下校していました。


 山間というのは、陽が沈むのがとても早いもので……。冬場の夕方なんかはもう早い時間から暗くなってしまうんです。そのせいで、薄暗い闇の中を下校することになりました。


 ど田舎のため、街灯は電柱にくっ付いた小さなものしかなくて、それも数えるほどしかありませんでした。なので、懐中電灯の明かりだけが頼りでした。

 そんな道を子供が一人で下校するなんて、今となっては考えられないことかもしれません。でも、私の子供の頃はそれが普通だったんです。


 だけど、きっと心細かったんでしょうね。その頃の私はいつも、【エクスカリバー】と名付けた木の枝を振り回しながら歩いていました。アーサー王の伝説に出てくる剣からとった名前です。その枝はとても手に馴染んで、振り回しやすかったんです。なにより、何か武器があると安心感がありましたから……。



 ある日のこと、私は崩れかけた廃屋の近くを歩いていました。既に辺りは薄暗く、懐中電灯を付けていました。


 前々から、なんとなく不気味な場所だと思っていたので、エクスカリバーを勢いよく振り回しながら歩いていました。でも、その日は振り回しすぎました。エクスカリバーは私の手からすっぽぬけて、ガードレールの向こう側に落ちてしまったんです。


 通学路と廃屋の間には用水路が流れていました。用水路はガードレールのすぐ下にあったのですが、幅が広く深さもあったため、子供にとっては大変危険なものでした。

 しかし、私はエクスカリバーを取り戻そうと必死でした。ガードレールに手をついて、身を乗り出そうとしたのです。


 その時——ガンッと、ガードレールが大きな音を立てたました。


 私は驚いて、咄嗟にガードレールから手を離して辺りを見回しました。誰かがいたずらで、ガードレールを叩いたのだと思いました。でも、辺りに人影はありませんでした。


 気味が悪くなって、大急ぎでその場を走り去りました。もうエクスカリバーの事は頭にありませんでした。息を切らして、半泣きになりながら走り続けると、ようやく家の灯りが見えてきました。凄くほっとしたのを覚えています。


 でも、玄関に辿り着いたところで、私は驚いて足を止めてしまいました。


 なぜなら、玄関の戸に、びしょ濡れのエクスカリバーが立て掛けてあったからです。辺りを見回しても誰もいません。足跡すらありませんでした。その時はただ怖くて、玄関にすら近づけず、その場で大声を出して家の中にいるはずの母に助けを求めました。


「おかえり~……あら、どうしたの?」


 玄関から現れた母は、そう呑気に話しかけてきました。母に抱きつきながら、私は何があったのかを話しました。母は私を慰めてくれましたが、その間ずっと何かを思案していたようでした。


「それはきっと、【妖怪ガードレール弾き】ね」


 思わず母の顔を見上げました。きっと、ポカンとした間抜けな顔をしていたことでしょう。


「川に落ちそうになったから、妖怪ガードレール弾きが、ガードレールを弾いて注意してくれたのよ。ほら、心配してエクスカリバーも届けてくれたじゃない? 人を驚かせるのが好きだけど、きっと根は優しい妖怪なのよ」


 家に上がると、母はチラシの裏に廃屋から身を乗り出した妖怪の絵を描きました。真っ黒な歯の、爪の長い大入道のような絵でした。母が言うには、その妖怪が私を案じて、ガードレールを弾いたらしいのです。


「かまって欲しくて、昔はみんなを驚かせて困らせていたわ。怖いって言う人もいたけど、私は寂しがり屋で、恥ずかしがり屋な妖怪だと思うの」


 私はその日、妖怪ガードレール弾きの絵を眺めながら眠りにつきました。


 すると、不思議な夢を見たんです。

 夜道を歩く私を、廃屋から妖怪が眺めているという夢でした。


 妖怪が私を驚かそうと身を乗り出したそのとき、私もまたガードレールから身を乗り出していました。それを見た妖怪は酷く驚いて、私を受け止めようと咄嗟に手を伸ばしたんです。

 勢い余って、妖怪の長い爪がガードレールにぶつかり、大きな音を立てました。驚いた私が逃げ帰ったのを見て、妖怪はホッと胸を撫で下ろしました。


 その様子がなんだか面白くて、とても楽しい気分で目が覚めました。


 次の日私は早起きして、片手にエクスカリバー、もう片方の手にお饅頭を一つ持って家を出ました。


 昨日あの妖怪と会った廃屋の前に来て、

「昨日はありがとー!!」

 と大声を出しました。


 すると近くのガードレールが、ガンッと音を立てたのです。私は嬉しくなって、また大声で話しかけました。


「お饅頭持ってきたから、食べていいよー!!」


 妖怪は、またガードレールを叩きました。


 その日から、妖怪ガードレール弾きは、私の秘密の友達になりました。学校の友達は信じてくれませんでしたが、自分だけの友達でいて欲しいような気持ちもあったので、無理に信じさせようとは思いませんでした。


 妖怪と私は独特な方法で会話をしていました。彼は人の言葉を理解しているようでしたが、話すことは難しいようでしたので……。

 話題を提供して、話を広げるのは私の役目でした。具体的に言うと、私が彼に質問をして、彼がそれに答える事で会話を弾ませていました。「はい」なら一回、「いいえ」なら二回、彼はガードレールを弾いて質問に答えてくれました。

 

 私と彼の秘密の交流は、私が中学に入ってからも続きました。私は彼が本当はどんな姿をしているのか、ガードレールをどんな風に弾いているのかも知りませんでした。でも、会話ができることに満足していましたので、無理に姿を見せて欲しいとお願いすることはありませんでした。



 ある日、学校の朝の会で、先生が深刻な顔をして言いました。学区内に通り魔が出たということでした。襲われた人は幸い大事無かったそうですが、とても恐ろしい事が起きたとクラスは騒然としました。


 その日は集団下校をすることになったのですが、私は一番遠くに住んでいたもので、同じ方向に帰る生徒は一人また一人と減っていきました。既に辺りは薄暗くなっていた為、最後に別れた子にはとても心配されたのを覚えています。


 誰もいなくなった後、私は懐中電灯を付けて歩きました。でも、あの妖怪と話したい気持ちがあったので、気楽な調子で歩いていました。その時ふと、後ろの方から物音が聞こえてきたんです。それは、踵を引きずるような足音でした。


 気付かれないように後ろを見ると、フードを目深に被った大人がいました。私との距離は数メートル離れていましたが、薄暗い中でもその人物の様子がわかるような距離でした。

 その人は、片手をジャンバーのポケットに入れていて、もう片方の手はだらんと外に出していました。歳は分かりませんでしたが、体格から性別は男性だったんじゃないかと思います。


 途端に通り魔の事を思い出して、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じました。自然と歩みは速くなります。すると、男もまた早歩きで私を追いかけて来たのです。遂に恐怖が天井に達して、私は走り出しました。


 今思えば、助けを求めて近くの家にでも駆け込むべきでした。でもその時は必死で、ただ家に帰りたいとしか頭にありませんでした。家の近くまでは来ていましたから、逃げ切れるような気がしていたんです。


 でも、それは甘い考えでした。


 突然、背負っていた鞄が引っ張られ、気がつけば仰向けに倒れていました。混乱の中見上れば、フードの男が私の顔を覗き込むように見下ろしていました。その顔からは何の感情も読み取れず、ただ冷たく不気味だと感じました。

 

 ポケットから出した男の手には、カッターナイフが握られていました。


 もう駄目だ。


 そう思って、目をギュッと瞑った時でした。


「うわん!!」


 体を底から震わせるような大声が、闇夜に轟きました。怒声のような、威嚇のような、そんな力強い響きだったように思います。

 その声が聞こえた途端、通り魔の男は急に怯えだし、顔を真っ青にしてひっくり返ってしまいました。


 一体何が起こったのかすぐには分からず、混乱の中、私は周囲を見回しました。すると、私はいつの間にか、あの妖怪が住んでいる家の前まで来ていたのだとわかりました。

 私を心配したが、大声で男を怒鳴り付け、驚かせたたのです。


「ありがとう……」


 そう呟くと、妖怪は得意げにガードレールを弾きました。


 その後、偶然にも近所のおじさんが軽トラで通りかかり、酷く慌てた様子で私を家に送り届けてくれました。

 お母さんも大慌てで、私は怪我もしていないのに病院を受診することになりました。


 後から警察の方に聞いたのですが、犯人は気絶する直前、廃屋から身を乗り出すお歯黒の怪物を見たそうです。警察の方は何かを見間違えたのだろうと笑っていましたが、私は母の描いた妖怪の絵を思い出していました。


 そして、これは大人になってから知ったのですが、私の住んでいる地域には、【うわん】という妖怪が大昔から住み着いていたそうです。「うわん」と大声を出して、人を驚かせるのが好きな妖怪ですが、「うわん」と言い返すと逃げてしまうとか。


 なので、もし私が彼の名前を口にしていたら、彼は逃げてしまっていたことでしょう。


 母も父もあの集落に昔から住んでいたので、きっと妖怪の正体を知っていたのでしょうね。なので敢えて【うわん】の名前を出さず、【妖怪ガードレール弾き】と呼んだのでしょう。そのおかげで、私と彼は友達になる事ができました。


 大人になって、私は一度集落の外に出ました。でも、住み慣れた土地が恋しくなって、最近になって集落に戻ってきました。だけど、いつの間にかあの廃屋は取り壊されてしまっていて、あの妖怪がどこに行ってしまったのかは、わからなくなってしまいました。


 通勤には車を使うため、夜道を歩く機会も無くなってしまいました。だから、彼は今もどこかで誰も通らない夜道を、一人寂しく眺めているのかもしれないなんて、切ない事を考えてしまいました。


 でも、もしかすると彼はまた、新しい友達を得られるかもしれません。


 昨日、近所で遊んでいた私の子供達が、大慌てで家に戻って来たんです。余程驚く事があったのか土足のまま、居間で仕事をしていた私めがけて走ってきました。子供達は私に抱き着くと、涙目で訴えました。


「誰かがガードレールを弾いてるんだよ」

「でも誰もいないんだよ! おばけ?」


 私は少し思案するような素振りをして、

「それは、【妖怪ガードレール弾き】だね。人を驚かせるのが好きなくせに、恥ずかしがり屋な妖怪だよ」


 そう言って、【うわん】の姿を子供達の自由帳に描いてやりました。

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今ガードレールを鳴らしたのは、誰? 木の傘 @nihatiroku

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