光なき窓辺の君へ

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光なき窓辺の君へ

 今日もまだ夜……。

 窓の外に広がる漆黒の風景を見つめ、少女はつぶやいた。


 彼女の名はシノ。この、星々の大海原を往く世代型恒星間航行船の中で生まれた最初の子どもである。無菌状態の船の管理室で誕生した彼女は、他の乗員と触れ合う事が出来ない体質であった。

 そのため、船内に作られていた無菌ルームに隔離、保護されている。他の乗員との交流は、備え付けの端末を介してすべて行われており、彼女が退屈しないようにライブラリなど、あらゆる知識を吸収できるような設備が整えられていた。ただ一点、外の風景を映し出すスクリーンが故障したままではあったのだが……。


「――お嬢様」


 背後で声がする。身の回りの世話を焼いてくれるロボットのヤタだ。

 ヤタは、かつて船が出発した母星の、とある島国の神話に登場する三本脚のからす からとられた名前だという。シノにとって「からす」というものは船のライブラリでしか見たことのない存在であったが、それはいま彼女の目の前にてかしこまる、このロボットの見た目とはずいぶん違っていた。


 ヤタは鳥を模した形状の頭部をもっている――いわば鳥人型だ。

 足は、その名に反して二脚。外見はまさに古典に出てくるような自動人形のそれであった。


「お食事の時間です」


 そう言ってヤタはプレートに盛られた人工合成食を差し出す。

 船内で培養されているクロレラを元に作られた毒々しい緑色のペースト……。食事といえばこれ以外をシノは目にしたことがなかった。なんの疑問もなく口に運ぶ。


「美味しいよ、ヤタ」

「それはなによりでございます」


 ヤタは感情のこもっていない音声でそう返した。ロボットなのだから当たり前なのだが、シノにはそれが毎回寂しくもあった。

 思えばこの船の乗員はみなそんな感じだ。モニタごしに会話する父母もしかり。

 父母は仕事が忙しいらしく、一週間に一度しか会話できないのであるが、その時間もせいぜい数分。彼らが本当に自分を愛し、産んだのかどうか、シノにとってはどうでもいい事になりつつあった。


「ねぇヤタ」とシノが話しかける。「――今日も夜のままだね」

スクリーンの機能が故障していますからね。申し訳ありませんが、私には直す手立てがないのです、お嬢様」


 本当ならば窓は晴れの日や雪の日など、さまざまな外界の風景をかわるがわる映し出すものなのだ。漆黒の宇宙における長い航海の途中、故郷の風景を忘れないように――との配慮で設計されたシステムではあったが、シノの部屋の窓は常に夜の闇――宇宙空間が映し出されているだけであった。

 もちろん、故郷である惑星の風景や、そこに繁栄していた動植物の姿はライブラリで閲覧できる。だがそれはしょせん静止画像にすぎない。たとえ映像であったとしても、彼女は窓いっぱいにうつる、外界の景色を見たいと望んでいたのだ。


『シノ、シノ……』


 唐突に部屋のスピーカーから機械音声が降ってくる。〈中枢維持〉と呼ばれる、この船の管理コンピューターのアナウンスだ。


『シノ、お休みの時間です』

「えーっ、まだ眠たくないよ?」


 口ではそう反論しつつも少女はベッドへと向かう。それは日々繰り返されるお決まりの光景であった。


(明日こそは窓が直っていますように……)


 そう願って眠りにつくのであるが、目覚めるたびにその期待は裏切られる。

 そんな事がもう十年以上……シノが物心ついてからずっと続いているのだった。



   ◇



 ある日のことだった。船を微弱な揺れが襲った。

 宇宙空間を航行する船が揺れるなどとはおよそ考えられることではない。学習によって、シノはそれが「地震」というものと同じであることを察知していた。


「ねぇ、〈中枢〉――今の揺れはなんだったの」


 問いかけてみても答えはない。通信やアナウンスは常に一方通行だったのだ。


(これじゃわたし、囚われの身じゃない……)


 事実そうだった。この船の、この管理室の中の世界しか知らない彼女は生まれながらにして船の虜囚である。

 話し相手もろくにいない……年齢を重ねるうちに、寂しさは募るばかりだった。

 しかし部屋の外に出ようという考えはなかった。

 そもそも、出入り口であろうと思われる壁面は、大きな施錠がかけられており、内側からは開かないようになっている。一度、どこか抜け道でもないかと探ってみた事もあったが、〈中枢維持〉の叱責を喰らっただけだった。


 シノはヤタを相手にトランプでゲームを始める。知育の一つとして教え込まれたもののひとつであったが、今では連戦シノの連勝であった。なので、すぐに飽きてしまう。


「ヤタ、この船っていったいどこに向かっているのかしら」

「……」


 彼女の疑問に対する回答を、このロボットは持ち合わせてはいなかった。


(いったいいつ着くのだろう。そして、着いたとして、わたしは外に出られるの……?)


 そのことが日々、シノの心に暗い影を落としていた。




 船を襲う揺れは日増しに強くなっているようだった。それでも〈中枢維持〉も、父母もヤタすらも何も教えてはくれなかったし、窓に何が映るわけでもない。少女の疑念は日増しに増すばかりだった。


 ある時、今まで体験した事もないような大きな揺れ――それはもう揺れとは言わないレベルの何か――が船を襲った。壁面に亀裂が入り、天井の一部が崩落してきた。とっさいにヤタがシノの身を守る。


「いったい何が起きているっていうの!」


 たまらず少女は叫んだ。彼女を監禁している部屋は、もう半ば崩壊しかかっており、出入り口がその扉をあけていた。


『シノ……シノ……』


 弱々しい〈中枢維持〉の声がスピーカーから聞こえる。


「〈中枢〉、何が起こっているの?」

『シノ……お休みの……ガガ……時間で……ス……』

「何を言っているのよ!」


 シノはたまらず部屋の外へと駆けだした。一瞬振り返ると、ヤタが慌てたようにそのあとをついてくるのが見えた。


「お嬢様、お待ちください。外は危険です……」

「ここにいたっておんなじよ」


 もう隔離室は壊れてしまったのだ。外気に当たった彼女がどうなるのか……シノ自身もまったく分かりはしなかったが、そんな事を気にしている余裕はなかった。今は一刻も父母に、他の乗員に会いたい。この事態の真相を知りたかったのである。


 しかし、船の中に人影はなかった。

 あちこち亀裂が入り崩落を始めた船内には、ただの一人も見当たらず、それほど複雑ではない構造の、直線的な通路で仕切られた部屋の一つ一つを見て回ってみても、結果は同じであった。思わず泣きそうになる。


「みんな、どこにいるのよ……」

「シノ」


 途方に暮れる少女に、ヤタが話しかける。その声は今までの無機的な機械音声ではなかった。

 驚いたシノは振り返る。その声はヤタの音声回路を通じて発声されているものだった。


「これから話すことを落ち着いてよく聞いて、シノ」


 声はいつも端末できく母のものだ。

 だが、今耳に届くそれは優しく、そして同時に悲痛な叫びでもあった。


「――あなたは、この船最後の生き残り……」

「なんですって?」 

「この船は……戦争が拡大する地球を脱出するために建造された方舟だった。でもね、間に合わなかったの。この船すらも戦火にさらされて……みんな殺されていった。今これをあなたが聞いている頃には、私たちはとっくに死んでいることでしょう。生まれたばかりのあなたをなんとかこの船の管理室へ隠せたのが、私たちに出来た精一杯だった……」


 シノは茫然として、母の声を聞いていた。

 それではなにか、宇宙船の乗員はみな死滅して、自分ひとりだけがこの十数年間を隠れて生き延びてきたというわけなのか。父母も、乗員だと思っていた人々の声もすべて〈中枢〉によって作られたもので……。


「……船はね、出発してすらいなかった・・・・・・・・・・・のよ」


 それが最後だった。

 音声を再生し終わると、ヤタはその役目を終えたと言わんばかりに、全機能を停止した。

 シノが何度話しかけても、時には叩いてみても、もううんともすんとも言う事はなかった。


「これからどうすればいいというの――」


 かろうじて生きていたシステムに囚われ、そして同時に守られてもいた自分が、この先どうすればいいのかという判断はつかなかった。分かっていたのは、少なくとも――今は完全な独りぼっちだということだけだった。


 シノは船の出口へと向かった。

 巨大な船ではあったが、構造が単純なのでそれはすぐに見つかった。

 船体の外壁は大きく裂け、そこから外気が吹き込んできている。どうやら「外」に大気はあるようだった。


 シノは思い切って「外」へと出る。大地に足を下ろした。

 そこは大規模な戦争によって焼けただれ、荒廃した赤い大地――。人の気配は感じられなかった。

 度重なる地震で、地盤に亀裂が入り船はなかば傾いだ状態にある。この地震が、兵器によるものなのか地殻変動によるものなのかは分からなかったが、あのまま船内にいたらば、いつしか地割れにのまれていたであろう事だけは容易に想像がついた。


 空は抜けるように青い。



 その時、視界をかすめるものがあった。何だろうかと視線を走らす。


 鳥だ。


 ライブラリでしか見たことがなかった空を飛ぶ動物。そうか、あれが鳥……。

 いつしか少女は鳥の飛び去った方へと駆け出していた。時に石にけつまづき、時に足をくじきそうになりながら、一心不乱で赤い大地を駆ける。

 シノはその先に、夜明けを告げる三本脚のからすが羽を広げているのを見たような気がした。

 もう、夜の闇はなかった。

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