緋(アカ)

深雪 了

緋(アカ)

日差しに「色」という表現が相応しいのかは分からなかったが、オレンジと黄色が混ぜこぜになったような夏の光を浴びながら彼女は歩いていた。


茶色いショートカットの髪型にノースリーブで肩の出た服を着た彼女は、「夏実」という名前にお似合いなくらい夏を体現した少女だった。


夏実は今年の春から大学生になり、東京の大学に通うために田舎から上京して一人暮らしを始めたばかりだった。高校生の時までとは全く違った生活に、彼女は希望に満ちた顔で日々を過ごしていた。


夕方、夏実はその日の講義が終わり自宅へ向かって街中を歩いていた。明日の授業のことについて考えていると、いつも通る公園に差し掛かった。

そこは子どもが遊ぶというよりは、スポーツをしたり花見に利用されるだだっ広い公園で、そこの豊かな緑を眺めながら歩いていると、歩道と公園を隔てるフェンスにもたれかかるようにしてうずくまっている女性を見つけた。


「大丈夫ですか?」


夏実が急いで駆け寄って女性に声を掛けると、その女性は顔を上げた。


綺麗な女性だった。

歳の頃は二十代半ばか後半くらいだろうか。まず目に入ったのは黒くて艶のある長い髪で、切れ長の目を長い睫毛が縁取っている。肌の色は白かったが、それは体調が悪い所為だけではなさそうだった。

そして一番印象的だったのは彼女の瞳の色だった。

真紅、そんな言葉が合うだろうか。瑞々しく、今にも溢れ出して来そうな綺麗な赤色だった。もちろんコンタクトレンズをしているのだろうが、夏実はその瞳に一瞬吸い込まれるようにして囚われた。


「・・・ええ、ごめんなさい、少し気分が悪くて・・・」

夏実の顔を見た女性は少し低めの声で答えた。

その歪められた緋い目を見た夏実はどうにかしなくちゃ、と思った。さっと周囲を見渡すと、公園の中にベンチがあるのを見つけた。


「あそこのベンチまで移動できますか?わたし、支えるので」

女性に聞くと、「ええ、多分」と返事をしたので、夏実は女性の体に手を回しゆっくりとベンチまで歩を進めた。


ベンチに辿り着き女性を静かに座らせると、夏実もその隣に腰をおろした。

女性はももにひじを付きその手で顔を覆っていた。


そのまましばらくそうしていた。夏実は女性が回復するのを待ちながら、ぼうっと公園を眺めていた。

サッカーをする親子や、ベンチに座って楽しそうに話すカップルらしき若い男女がいた。

いちおう日陰のベンチを選んだが、夕方といえど少し暑いな、と思っていたらしばらく俯いていた女性が顔を上げた。


「大丈夫ですか?ちょっとは良くなりましたか?」

夏実が女性の顔を覗き込むと、彼女は薄く微笑んで返事をした。笑うとその美貌が一層際立った。

「ありがとう、だいぶ良くなったと思うわ。ごめんなさいね、迷惑をかけてしまって」

夏実はいえいえ、と言って顔の前で手を振った。

「とんでもないです!全然、大したことしてませんし」

そんな彼女の様子を見た女性はくすっと笑った。

「・・・それにしても、駄目ね。医者のくせに体調を崩して人に迷惑をかけるなんて」

夏実はえっ、と声を漏らした。

「お医者さんなんですか?」

女性は薄い微笑みを崩さないまま頷いた。

「駅前に総合病院があるでしょう?そこで内科医として働いているの。今日はお休みなんだけどね」

「すごいですね、お医者さんなんて・・・!お仕事、大変そう・・・」

夏実が感動した様子で聞いていると、女性は夏実を一瞬観察した。

「あなたは学生さん?」

「はい、今年から大学生で。近くの大学に通ってるんです」

「それはいいわね。実家から通っているの?」

「いいえ、一人暮らしをしてます。行きたい大学と、実家が遠かったので」

女性はそうなの、と頷くとまた夏実を一瞥した。


「私、竹内灯里あかりっていうの。あなたのお名前も聞いていい?」

紅の瞳で夏実を見つめる女性に、夏実も自分の名前を名乗った。

「夏実ちゃんっていうの。とってもいい名前ね。貴女に似合ってる」

そして小さなバッグから携帯電話を取り出すと、それを操作し夏実を振り返った。

「もし良かったらなんだけど、今度改めて今日のお礼がしたいから、連絡先を教えてもらえないかしら?」

灯里の提案に、夏実はすぐ首を縦に振った。

「全然大丈夫です!私からも、よろしくお願いします・・・!」

それを聞いた灯里は安心したように微笑んだ。蕩けるようでいてどこか寂しげにも見えるその微笑は、常に彼女の美貌と謎めいた雰囲気を強調させた。


その日はそこで二人は別れた。夏実は家に着くまでの間ずっと灯里のことを考えていた。自分よりも大人の、それも群を抜いて美人な知り合いが出来た彼女はとても浮かれていた。今度会ったら彼女と何を話そう。そのことばかりを考えて夏実は家への道のりを歩いていた。


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灯里と出会ってから二週間程経ったある日、夏実は例の公園で携帯電話を見ながら時間を潰していた。灯里が先日のお礼にと夏実を家に招いてくれることになっていて、その待ち合わせ場所にこの公園を指定されたのだ。ベンチに座りながら何気なくSNSを眺めていたが、夏実は緊張と期待が入り混じった気持ちを抑えきれずにいた。


五分程待った頃、夏実ちゃん、という綺麗な声が聞こえた。振り返ると灯里が片手を上げて小走りでこちらにやって来るのが見えた。


「ごめんなさいね、待ったかしら?」

「いえ、全然、今来たばかりです!」

夏実が返事をすると、灯里はくすりと笑った。

「それなら良かったわ。じゃあ、行きましょうか」

相槌を打って灯里を見ると、今日も彼女の瞳は赤かった。相変わらず吸い込まれるようなその色に夏実がまじまじと見ていると、視線に気づいた灯里が振り返った。


「あ・・・、目、綺麗な色ですね」

慌てて取り繕うと、灯里は見慣れた微笑みを浮かべた。

「ありがとう。赤色のコンタクトを入れているの。仕事の日はもちろんしていないけどね」

「お休みの日はいつもそのコンタクトをしているんですか?」

夏実が尋ねると、灯里は横顔を見せたまま長い黒髪を耳に掛けた。

「そう。いつもしているの。赤色が・・・好きだから」

夏実に答えるというよりは独り言を呟くように彼女はもらした。夏実はその様子に別段注意を払うことは無く灯里と並んで歩いていた。



公園から二十分程歩いた場所に灯里の家はあった。


そこは空き地を抜けて行った先に建っていて、周囲に他の家は無く建物は彼女の家だけだった。

家は雰囲気のある一軒家で、門扉は灰色の木製で楕円形の形をしており、メルヘンな童話にでも出てきそうな家の門扉だった。


敷地内には庭があり、様々な植物や人の背丈ほどの中木が植えてあって緑が多かった。その緑の中にいくつかのグレーの石材で作られた歩道があり、二人はそこを通って玄関へと向かった。


「立派なおうちですね」


ダイニングに通され椅子に腰掛けた夏実はそうもらした。キッチンにいた灯里はありがとう、と返事をした。

「結構大きいですけど、一人で住んでいるんですか?」

部屋の中のアンティークや家具を見回しながらそう聞くと、紅茶のカップを運んできた灯里がテーブルにそれらを並べた。

「そうなの。大きな一軒家に住みたかったのよ」

「周りにおうち、無いんですね。街に近いのにすごく静かです」

「それも条件だったの。だからこの家を見た時、ここしかないと思ったわ」

「静かなのに便利な立地ですごくいい所ですよね」

灯里はカップに紅茶を注ぎ、カヌレとロールケーキを用意してくれた。そして自分のカップにも紅茶を淹れると、夏実の向かいの椅子に腰掛けた。


「こんなに高そうなお菓子、すみません」

夏実が恐縮して言うと、灯里は顔の前で手を振った。

「いいのよ。あなたが声を掛けてくれた時、本当に嬉しかったの。都会の人って冷たいでしょう。だからあんな風に介抱してもらえるなんて思っていなかったのよ」

「そんな、わたし大したことしてないですよ」

「私がお礼をしたいからこうしてるだけ。迷惑でなければ、受け取ってちょうだい?」

そう言ってカヌレを押し出す灯里を見て、夏実は「じゃあいただきます」と言って笑った。



しばらく菓子を食べながら談笑していると、灯里が「お手洗いに言ってくるわ」と言って席を立った。一人になった夏実は高級なカヌレを味わって食べていたが、十分程経っても灯里が戻って来る様子は無かった。


(もしかして、また体調崩しちゃったのかな・・・?)


先日の今日だったのでその事が心配になり、夏実は様子を見に行くことにした。

しかしトイレと思われる場所に行っても、中に灯里が居る様子はなかった。

広い家だからトイレがいくつかあるのだろうかと思い、夏実は二階に上がってみた。


二階には扉が三つ有った。どれもトイレには見えなかったが、何か用事をしていて具合が悪くなった可能性もある。夏実は目についた一つの扉にノックをしてみた。返事は無い。灯里の名前を呼んでみたがやはり沈黙が返ってくるだけだった。


どうしたものかと思ったが、灯里が心配だった夏実は家の中を片っ端から探してみようと思い、先ほどノックした部屋の扉をおそるおそる開けた。そこに灯里は居なかった。しかし、部屋の中にあった「もの」を見て夏実は目を見開き喉をひきつらせた。


その部屋には、棚の上に置物のような「なにか」が五つ乗せてあった。ガラスケースに一つ一つ入れられたそれは、・・・人間の、五人の少女の白い生首だった。


今度こそ夏実は大声で叫ぼうとした。しかしその瞬間、背後から口と鼻を塞がれた。夏実は叫ぶことができず、意識も薄らいでいった。そして体から力が抜けると、崩れ落ちるように彼女は気を失った。


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ぼんやりと目を開くと、視界がやけに赤かった。

この赤はなんだろう・・・?

よく回らない頭で考えていると、上から声が降ってきた。


「あら、目が覚めたのね」

灯里が夏実の顔を覗き込んでいた。よく見慣れた妖艶な微笑を浮かべている。しかしその彼女も何故か至る所が真っ赤に染まっていた。


はっきりしない意識で確認すると、ここは浴室のようだった。そしてどういう訳か夏実は服を着ておらず、椅子に座って壁に寄り掛かっている状態だった。

やたら視界が赤い。周囲を見ると、浴室の壁もほとんどが赤色に染められていた。緋、緋、緋。

この赤色は一体何だろう・・・?


「ごめんなさいね、恩を仇で返すようなことをしてしまって。でも、ちゃんと出来たから安心して?」

この人は何を言っているのだろう?やけに朦朧とする頭でそう思っていると、灯里はあら、と言って夏実の正面にある鏡の赤を拭き始めた。そして立ち上がると鏡の前から移動し、夏実に見えるようにした。

「ほら、これでちゃんと見えるわ。・・・綺麗に出来た」

囁くような、うっとりしたとも言える灯里の声を聞いた夏実は虚ろな視線を鏡に向けた。


「・・・・・・!!!!」


映っているものが信じられなかった。鏡の中にいるのは裸体の夏実だったが、両腕が、両脚が、そこには存在していなかった。


「いやあああああああああ!!!!!!」


今度こそ夏実は大声を上げたが、彼女の体力はそこで力尽きてしまった。叫び終わった夏実の意識は閉ざされていき、完全に、暗闇に呑み込まれた——。




街から少し離れた場所にある一軒の家。

その家の中の一角に、「六つの」置物のようなものがあった。

中でも一番新しく見えるそれは、茶色いショートヘアーをした少女の首だった。

これは緋色に取り憑かれた美しき殺人鬼と、哀れな少女達の、狂気に彩られたそれはそれは残酷な物語・・・。




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緋(アカ) 深雪 了 @ryo_naoi

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