猫と星と菫ソースの魔法のクッキー

坂水

 少年と猫はクッキーをたずさえて旅に出る。

 もちろん、ただのクッキーじゃない。食べると人語が話せるようになる魔法の菫ソースのクッキーだ。

 少年が古本に挟んであったレシピを偶然見つけたことからこの旅は始まった。

 彼らの旅の目的は、少年の弟が昔拾った仔猫を捜し出すこと。

 仔猫は、近所のボス猫と喧嘩して逃げたっきり帰ってこない。

 少年の連れ合いはそのボス猫だった。


 ボス猫は後悔している。仔猫を怯えさせて家に帰れなくしてしまったことに。

 でも、ボスにはボスなりの事情があった。仔猫とはいえ、テリトリーへの侵入を見過ごしたとなれば他の猫に侮られる。


 シュガーポットを割ってしまったような夜空の下、野っ原の倒木に腰掛け、人と猫は休憩をとる。二人は歩き疲れていた。

 並んで星空を見上げていると、ボス猫はこんなことを言い出した。


「お前の弟は、俺をうらんでいるだろうな」


 弟は根に持つ性格じゃない。少年はそんなことないと否定し、ずっと聞きそびれていたことを訊く。


「君こそ、僕をうらんでいるだろう」


 ボス猫の片目には大きな傷があった。かつて、ボス猫と仔猫の喧嘩に出くわし、少年が石を投げつけたのだ。仔猫に思い入れがあったわけではないが、弟の猫だったから。

 ボス猫はそんなことないと否定した。

 そんなことはない、けれど互いになくしものは継続していて。 

 二人は大きな溜息をついた。


 ……食べる? 


 少年は宝石めいた薄紫色の星型のクッキーを一枚差し出す。多分、煮詰めた菫の糖衣がけ。ボス猫は遠い昔に一度だけ食べたことがあるという。

 漆黒の瞳孔が、縁だけに金緑色を残して大きく膨らんだ。けれど、それは見る間に痩せ細り、


「おれはいいんだ」


 と、断ってくる。でも同時に、喉元の毛並みがごくりと波打つのが見て取れて。

 少年はクッキーを半分に割って差し出した。


「たくさん焼いたから」

「……そうか」


 そうして二人して星のかけらを齧った。


 菫ソースのクッキーはどんな味がするのだろう。二人はどこへ向かうのだろう。仔猫は弟ではなく少年に見つけられるだろうか、ボス猫と仔猫はどんな再会を果たすのか……?

 いくつもの疑問が湧き、惹き付けられる。

 寒色がメインなのに、あたたかさ感じさせる水彩のような画。動きは多少ぎこちないけれど、逆に紙芝居や絵本の風合いを感じさせる。それらによく合った、哀切あふるるメロディ。

 二人は再び歩き出し、音楽に合わせて流れ出すスタッフロール、暗転、……『END』?



「僕たちの旅はこれからって、観客馬鹿にしないでくれる!?」


 私は混み合う学食カフェテリアで叫んだ。


「そりゃあ、予算とか時間とか技術とかあるんでしょうけど、にしたって中途半端、盛り上がるだけ盛り上げといてこの原作冒涜者!」


 光あふれる広々とした空間に、場違いな怒声が響き渡る。


「名乗りなさい、『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』の監督はどこ!?」


 静まり返った中、スツールを引く音が響いた。奥まった席から立ち上がったのは、長身細身の男。

 私はつかつかと歩み寄り、男もゆらゆらと生気乏しくやってくる。学食の真ん中、採光窓の下でランデブー。


「学生の短編映画ショートフィルムとはいえ、あんな半端な作品垂れ流して──」

「あなたは、あの物語を知っているのですか?」


 は、と意味が分からず男を見上げる。

 男は猫背だけれど、小柄な私よりずっと背が高い。丸眼鏡で癖毛を項のあたりで縛って、いかにも芸術肌っぽく。


「……あの物語を憶えているのですね?」


 意味不明ながら、曖昧にそりゃまあと頷いた。憶えていなけりゃ、文句を言いにきたりはしない。

 眼鏡の奥の長い睫毛が光る。星影を宿したように。

 そうしてやおら男は私を抱き締め、私は男の顎に拳を突き上げた。


 ★


「失礼いたしました。つい、感極まって」

 

 珈琲の湯気越しに、男が頭を下げる。

 私たちは学食から移動して、今は大学近くのカフェにいる。

 男はトリトと名乗った。四回生、映像研究会に所属している。つまりは、設定上、彼は私の先輩にあたった。


「いえ、こちらこそ。私はナナカ、文学部の二回生です」


 抱き締めた者と、拳を突き上げた者。間が持たず、カプチーノのカップを唇に寄せる。小一時間前もこの店で同じものを飲んでいたのだけれど。

 店の奥に設置された小型スクリーンでは短編映画ショートフィルムが流され、沈黙が息苦しい二者の間でほどよいBGMとなっている。

 ここの店主は大学の卒業生だという。映像研究会に所属していたそうで、今はカフェを営み、時折、後輩たちが創った映像を店内で流していた。私が観た『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』もそのくちだった。


「その、好みの、懐かしい感じの作品がいいところで終わってしまったので、ついたぎってしまって」


 彼はじっと私を見つめてくる。


「あの……トリト、先輩?」


 彼は視線を外そうとしない。


「ナナカさんは、あの物語を知っているのですね?」

「は?」

「いつ、どこで知りました? ネオの方に住んでいたことははありませんか?」


 トリト先輩は飲み物の湯気を突き破り、身を乗り出してくる。その眼差しが真剣を通り越して必死で、ちょっと引いた。


「あちこち回っていますが、ネオにはまだ、」


 彼は一瞬、しゅんとした。立ち上がった人間に散歩を期待した犬のように。けれどめげずに、


「私を〝原作冒涜者〟と罵りましたね。ということは、似たような物語を読んだご記憶があるんですよね?」


 と重ねて訊いてくる。


「その、読んだような読んでないような。うんと小さい頃かだったかも、記憶が曖昧で……」


 言葉を濁す私に、彼はがばりと頭を下げた。


「お願いです、一緒にあの物語を憶い出してくれませんか?」


 ★


 トリト先輩が『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』の原作らしき物語を読んだのは小学二、三年生の頃。

 彼は父親の仕事の都合で転校を繰り返していた。


「友だちがおらず、本や映画の虫でした。ある時、たまたまクラスの持ち寄り文庫に並んでいた『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』を貸してもらい──正式なタイトルは違うでしょうが──、気に入って繰り返し読みました。クラスでも流行っていて順番待ちまでして」


 はあ、と気抜けた相槌を漏らす。

 私は途方に暮れていた。目の前にはココア、アップルパイ、チョコタルト、硬めプリンが並んでいる。


「すぐにまた転校して、物語については忘れていました。けれど、ある時、思い出してどうしてもまた読みたくなったのです。図書館で調べてもらったり、ネットで検索したり、本探しのサイトに書き込んだり……色々と手を尽くしましたが見つかりませんでした」


 すでにカプチーノを二杯飲んでおり、スイーツはずっしり重たい系だ。これらはすべてトリト先輩が私の好みも尋ねずに頼んだものだった。せめて珈琲か紅茶なら良かったのに。


「そんなの、当時の、」


 ──クラスメイトに訊けばわかることでは。言い掛けて口を噤む。

 出会ってほんの小一時間でわかる。トリト先輩は人間関係ヘタクソの人だ。私が甘いもの苦手だったらどうする気だったのか。いや、まあ、好きだけど。


「つまり、記憶に残っている箇所を映像にして流せば、知っている人に届くのではないかと?」

 

 トリト先輩はぶんぶんと首を縦に振る。


「そうです、そして目論見通りナナカさんが現れた!」

「それって著作権的にアウトでしょう、訴えられますよ」

「向こうからコンタクトしてくれるなんて願ったり叶ったりじゃないですか」


 訴えられ待ちとか、迷惑甚だしい。

 誇らしげに猫背を反らした先輩にイラッとして、


「でも難しいんじゃないですかね。あんな脚本じゃネットでも大してPV回らないですよ」

「だからこそ、あなたが必要です、ナナカさん」

「そんなこと言われても、あまり憶えていないので」

 

 お役に立てそうにないです、と立ち上がろうとして。

 ぐずり鼻を鳴らす気配に振り向けば、涙ぐんだ強面の店主と目が合った。小型スクリーンにはスタッフロールが流れており、映画は感動的だったらしい。

 テーブルを埋めるスイーツをテイクアウトにしてほしいとも言い出せず、私は急ぎそれらを口に運んだ。



 口中の甘ったるさを解消するために居酒屋に入ったのは間違いだったかもしれない。

 ハイボール一杯でべろべろに酔っぱらってしまったトリト先輩を背負い夜道を歩く。


「ひーていますか、ななはさん。ぼくは、ほんろにうれしい。もうそうじゃなはつた……、ほんも、ほしも、ともだちも。あ、そほ、みぎれす──」


 呂律の回らないナビに従って脚を動かす。何も考えるなと己に命じながら。

 示されたアパートが一階だったのは、不幸中の幸いだった。暗闇の中、1K (であろう)の端にあったベッドにゴミ袋を放り棄てる心地で先輩の身体を落とす。

 さんざんだった。せめてもの救いは、この苦行でカロリーがチャラになったぐらいか。

 さっさと撤収しようと、踵を返し、ぐしゃりという感触を足裏に得る。

 壁伝いにスイッチを捜し出し、照明が浮き上がらせた光景に息を呑んだ。


 壁という壁に紙に絵が貼られ、床という床に絵が重なり落ちていた。どれも『猫と星と菫ソースのクッキー』の場面なのだろう。白黒のスケッチ、彩色してあるもの、ボード、それらさまざまに、猫、少年、街並み、古本屋、キッチン、星空などが描かれている。


 瞬間、連れて行かれた。

 群青色の夜空、白砂の星々、星降る野原、並んで座る猫と少年の後ろ背、菫ソースのクッキーのほろ苦さ。

 それらが、突如、沸き上がった。


 我に帰ってもう一度部屋を眺める。本棚にはぎっしり映画やアニメの創作に関する資料が詰まっていた。小説や画集も多く、収まりきらなかった本がそこかしこに塔を成している。机にはデスクトップパソコンとタブレットが一台ずつ。

 前触れもなく、彼という内宇宙に放り込まれた。そんな気がして、私は途方に暮れてしまった。


 三日後、私はトリト先輩を学食で待ち受けた。


「ナナカさん! 先日は失礼しました、連絡先を交換していなかったから随分捜しました。文学部棟に行っても見つけられず、教務課で問い合わせようにもフルネーム知らないし、もしか、夢だったのではないかと──」

「『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』の制作、お手伝いします」


 開口一番そう言った私に、先輩は目を丸くする。


「その代わり、一つ条件があります。UAAFに出してください」


 UAAFは有名な賞で、プロでも素人でも出品できる短編アニメーションのコンペティション部門があった。賞を獲ったなら、各段に注目度は上がる。呆気にとられた先輩に宣言する。 


「〝本気〟と書いて〝マジ〟でやりますよ」



 まずは脚本の駄目出しからだった。

「いよいよって時に唐突に終わる。これじゃ観客は納得しませんよ。三幕構成どこ行ったんです?」

「でも断片的なシーンしか記憶になくて。ナナカさんこそ憶えていないんですか?」


 私は先輩からの問い掛けには答えず、


「そもそも、一冊の本を映像化する時間も体力も資金もないんですから、割り切らないと。思い出すより考えた方が速いです」


 きっぱり言い切った。

 制作会議はもっぱら学食で行われた。件のカフェでは喋りにくく、トリト先輩の自宅は足の踏み場がない。映像研は使わせてもらえないのかと問えば、気まずげに視線を逸らされた。所属したものの、人間関係ヘタクソで居づらいのだろう。


「設定、葛藤、解決、これ基本ですよね。今は設定だけで物語が終わっている。何か事件を起こさないと」


 弟の仔猫を捜し出すのは壮大過ぎて長編映画になってしまう。仔猫に再会する過程のほんの一幕。


「……クッキーを落とすとか?」

「……それをボス猫と少年が協力して回収するとか?」


 私たちは互いの両手を打ち合わせた。触れた指先がほんのり痺れるほどに。

 回収後、少し休憩して一枚のクッキーを分け合い、また歩き出す。

 他愛のない筋だけれど、凝り過ぎない方が良い。トリト先輩の映像は補ってなお美しく懐かしく、胸を打つから。

 ほどなく脚本が直され、絵コンテが仕上がり、それを元に作画の工程に入る。旧時代のように一枚一枚描くわけではなくほぼデジタル化されているが、やはり作業は膨大だ。UAAFまで一月、トリト先輩ひとりではいずれ限界がくる。先輩は昨日と同じシャツで、靴下はチグハグ。手伝いたいのは山々だけれど、制作に関してはずぶの素人である私が何をできるわけでもなし……


「トリト、お前、学食でアニメ作ってるんだって?」


 学食で何杯目かわからないお茶をもらいに行って戻ってくると、先輩が絡まれていた。数人の男子学生で、私は即座に脳内の情報と照らし合わせる。映像研究会の比較的陽キャな人たち。トリト先輩には及ばなくとも、そこそこのクオリティの作品を創っていた……

 先輩方、と声を掛けて手招きする。

 彼らは顔を見合わせ、次になになにと相好を崩してやってきた。トリト先輩はタブレットで黙々と作業していてこちらの様子には気付かない。どうなのかと思わないでもなかったけれど、集中してくれているならその方がいい。

 最近トリトとつるんでるよね、何学部? おれ文学部だけど顔見ないね、お前のことなんて訊かれてないって──ぺんッと。

 一番手近にいた人の頬をポケットに突っ込んであったオーロラ色に煌めくカードで撫ぜる。本当は現金のが効果あるのだろうけど持ち合わせがなかった。

 きょとんとした先輩方に小首を傾けてできる限り可愛らしく言って見せる。


「アルバイトしませんか? 期間中は学食食べ放題もつけます★」


 他にも数名学生(もちろんスキルは確認済)をスカウトあるいは買収し、作業は突貫工事で進められた。

 今やトリト先輩は総監督という立場で、コミュニケーション難ありで無理かと思いきや、ほとんどの学生がプロトタイプ『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』を視聴すると好意的に手伝ってくれるようになった。つまり彼は認められたのだ(逆に言えば、同じ会に所属していながら先輩の作品は観てもらえていなかったということだ)。

 ひとつ残念なのは原作をやはり誰も知らないことだった。

 深夜の学食での作業中、採光窓から注ぐ月光を浴びながら、彼らは馬鹿話を交わしながら手を動かす。慣れてきたのか、トリト先輩ですらたまに会話に加わっていた。


「あー、きちい。これで何日目の深夜行軍だ」

「しょうがないだろ、〆切迫っているんだから」

「すまない、みんな」


 トリト先輩が謝罪を口にすれば、大丈夫だって、全然いいすよ、お前が根性なしなこと言うから、などと皆に庇われる。そして、ところでさ、と一人がわずかに声を潜めて訊いてきた。


「この物語、転校した学校の持ち寄り文庫にあったって言ってたよな」


 先輩は首肯する。この頃には、制作スタッフ全員が経緯を知っていた。


「それってさ」

「あ、俺も、もしかしてって思った」

「その本の持ち主、女じゃね。しかも可愛い」


 ──つまりは、初恋の君。


 ガタガタタンっ、と大きな物音がした。スツールから転げ落ちたような。

 図星か、と。そこにいる全員が察せるほどに素直な反応だった。


 ──ナナカさんと付き合ってるんじゃないんすか、ってかそれ彼女知ってんの、やばいんじゃねえの──


 そこかしこに上がった疑問やら非難やらを振り切り、私は足音をひそめて階段を降り、今度は高らかな靴音を鳴らしつつ学食へと踏み込む。


「夜食、持ってきました~」


 紙袋を掲げると歓声が上がった。強面主人のカフェからのテイクアウトだ。学食が閉まっている深夜、度々差し入れをしていた。

 サンドウィッチ、ホットドッグ、ミートパイ、サラダ、ポットいっぱいの珈琲。そして今日は特別なスイーツ付きだった。人数分用意された紙袋を一つ取り上げる。


「なんとマスターが菫ソースの魔法のクッキーを試作してくれました!」


 一人ずつ手渡すれば、さっそく開いて、きれい、かわいい、食べるのもったない~と感嘆が漏れる。


「菫ソースはワインの糖衣にしてみたそうですよ」


 あ、俺の星割れてる。こっちもだ。マスター、失敗したから差し入れたんじゃね──下の方にあったクッキーを受け取った面々から呟きが漏れる。ついさっき私が落としたとは告白しなかった。


 三週間の強行軍だったが、なんとか編集段階まで漕ぎ付け、あとは先輩一人の仕事となる。制作チームは試写会まで一旦解散となった。

 それからほどなく先輩から連絡が入った。完成したので、試写会前にチェックがてら一緒に観てほしいと。彼は閉店後のカフェを指定してきた。


 先輩はカフェのスクリーンを借りており、二人きりのシアターとなったカフェには、いつかと同じ席に、いつかと同じく訊かれてもないのに飲み物とスイーツが用意されていた。今回は紅茶と菫ソースのクッキーで、文句の付けようがなかった。

 店内に照明は点いていない。これから映画を観るのだから、当然だ。射し入る月光に、紅茶の湯気の道筋が浮かび上がる。


 ──観る前にお話ししておきたいことがあります。


 トリト先輩は暗闇の中、姿を現さないまま語り掛けてくる。それすら映画の一部のように。


 ──僕は嘘をついていました。いえ、誠実ではなかったと言うべきかもしれません。僕が望んでいるのはあの物語をもう一度読むことではありません。

 あの物語を僕に教えてくれた人にどうしてももう一度会いたかったのです。


 薄々勘付いていた。誠実でないのはお互いさまだと。


 ──あの本の持ち主は、同年の少女でした。転校続きで孤独だった僕の初めての友達。他にも会いたい人はいます。彼女が橋渡しとなり仲良くなった級友。先生、隣の老夫婦、キャンディストアのおねえさん。みんなみんな親切にしてくれて僕は初めて幸せでした。でも、もう、彼らはいない。あの星では、流星雨に惑星固有のガスが反応して大災害が起きたから。


 私はまたもやクッキーを取り落とす。


 ──僕の父は地球連邦政府宇宙開拓庁の高官で、子どもの頃から赴任先へ着いて行きました。

 あれはネオ星系のエルパスという小さな惑星で、政府指定の開拓星でした。エルパスが宇宙災害に見舞われたのは、僕が再び転校して星を離れた三年後。

 ……政府の事前調査が甘かったんです。だけどもちろん、公にできない。役人やその家族にも箝口令が敷かれました。僕は彼らの生死を調べることも叶わなかった。


 夜よりなお濃い闇が動く気配がした。もしかしたら涙を拭っているのかもしれない。


 ──あんなに優しくしてくれたのに。


 自責の念が彼を動かす。方々手を尽くして捜したが見つからない、クラスの皆で読んだあの本。ネオ星系の、しかもエルパスだけで流通していたのだったら……

 彼はおぼろな記憶を辿り、ひとり短編映画を創る。

 もしも、あの物語を憶えている者に出会ったなら。辿り辿れば、いつか懐かしい惑星の恋しい誰かに会えるのではないかと期待して。


「あなたは僕に希望をくれたんです、ナナカさん」


 感謝しています──求婚のように厳かに言われて。


「ごめんなさい、あれ、嘘です」


 つい、真実が口を突いた。

 トリト先輩──いや、トリトが呆然と、どうして、と問うてくる。

 どうしてって……頭が高速回転して正解を導き出そうとする。彼が原作ありきの映画を創っていることは下調べで知っていた。

 でも訊かれたのはそういうことじゃない。

 例えば〝好きだから一緒にいたくて〟とか。

 そう告げたなら、許されるだろうか。彼に二度目の故郷喪失を味合わせた私が。

 ふいに、少年とボス猫が浮かんだ。仔猫を捜す奇妙で複雑な関係の二人。思ったら、〝好き〟なんて死んでも言えないと思った。


 畢竟、私は逃げ出した。


 静止の声を振り切り、カフェを飛び出し、大学構内を突っ切り、エンジンかけっぱなしでコンビニに停まっていたバイクに飛び乗り、パトフラの追撃を躱し、逃げて逃げて逃げた。


 そうして、次の仕事で向かった惑星の宇宙港エアポートであっさり逮捕された。

 私は各星系で人気の、あるいは今後人気が出そうな映画やアニメなどの映像を入手し、ネットワーク外の別星系で違法アップロードして利益を得ていたのだ。

 未来の大監督を青田買いしようと、たまに素人や学生の作品も観る。ごくごく稀に心惹かれる映像もあるわけだ。

 

 罰金を支払い、おつとめを終え、自由の身となった私は、『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』を検索したが、映画としても本としてもヒットしなかった。

 彼はUAAFユニバーサルアニメアワードフェスティバルに出品しなかったらしい。していたなら受賞していたはず。私の映画バイヤー(アングラだけど)としての嗅覚は絶対で、さもなくば出来レースだ。

 私は元制作チームの面々に連絡を取った。いきなり消えた私からの連絡に驚いていたし、トリトの行方を知らないことにも驚かれた。

 情報を総合すると、どうやら彼もまた失踪したようなのだ。私がいなくなった数日後。

 それゆえ、二人がよんどころない事情で駆け落ち(あるいは心中か)したと思われていたらしい。

 

 トリトは二度故郷を喪い、深く傷ついた。もしかしたら、父親の伝手で、私の正体を知ったか。あと、多少好意を抱いた女子に裏切られたショック、とか。

 でも、彼は誰も責めない、責めたくない。だからひっそり、ひとり、姿を消す、なんて。

 

 人間関係ヘタクソ過ぎる。

 

 重く湿った嘆息を吐く。

 悪いことをしたと思う。

 謝ろうにも行方知れず、謝ったところで自己満足、喪失の事実は変わらない。


 ……だったら。


 ボス猫と少年は魔法のクッキーをたずさえて仔猫を捜しに旅に出た。


 私は彼を捜しに旅には出ない。



 ★



『太陽系・興行収入ナンバーワン! 初登場5か月連続第1位! 記録更新中、映画賞ノミネート、全宇宙級大ヒット、超ド級スペクタクルSFセンチメンタル・ファニー感動エンターテイメント!


「君が最後に仔猫を見たのはいつだ?」

「左目が疼くんだ」

「猫と人間、共存できない。どちらかが知性を棄てなけりゃ」

「爆発まであと何分?」

「割れたクッキーは戻らない、魔法がかかっていたとしても」

「でも、分け合うことはできるだろう?」

(バーでの会話、満天の星空、爆発する宇宙船、砕けたクッキー、差し出される毛むくじゃらの腕と肉球)


 『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』全太陽系ロングラン決定! 〜太陽系外ネットワーク、この夏、配信~ ※猫は無事です』


「この映画の企画者に会わせてください、読者を馬鹿にするのもほどがある!」


 ビルのエントランスで喚いていたという男が取り押さえられ、最上階まで連行される。壁一面のスクリーンパネルに流された宣伝を観て彼はさらに吠えた。


「この映画には原作があるはず、でもまったくもってその良さを活かしていない、改悪だ!」


 警察に突き出しますか──色めき立つ秘書やボディガードを制して、私は二人きりにしてと命じる。

 男は床に押し倒されるが、心配することはない。ふかふかの絨毯が敷き詰められているから。社長椅子(他に言い方を知らない)から立ち上がり、歩み寄るが、彼はまだ気付かない。四六時中流している映像のため、フロアは薄暗くしてあるから──


「お久しぶりです。あまり変わられてませんね、先輩」


 ……ナナカさん? 一方、彼は私の変貌に驚いたようだった。立場に合わせたそれなりの格好をしているから。


「改悪した映画を流せば、きっと文句を言いにくると踏んでいました」


 トリト先輩の手法をアレンジしてみました、そう嘯けば、彼は唖然と口を開ける。

 先輩を捜さなかった私は、前職で溜め込んでいた資金で、真っ当な映画配給会社を興した。私の目利きはやはり確かで、スマッシュヒットを手堅く起こし、十分な資金を蓄え、最高のスタッフを揃えるのに十年。満を持して長編映画を制作したのだ。

 映画は大成功を収め、スーパーやコンビニには、菫ソースのクッキーだけでなく、菫スナック、菫チョコ、菫ソーダまで並ぶ。


「まあ、ちょっとヒットし過ぎた感はありますけど。おかげで、先輩以外にも文句を言いに来た人がいます」


 彼の瞳孔が大きくなる。いつか観たボス猫そっくりに。


「『猫と星と菫ソースの魔法のクッキー』の原作者です。あれは彼女が姪っ子のために作った自主制作本で、流通していないのは当然でした。残念ながら姪の方とは音信不通だそうですが」

 

 彼に姪の名前を告げる。見開かれた眼が見る間に潤む。


「私は原作者に映画のリメイクを持ちかけました。原作に忠実なリメイクです、なんだか矛盾しているけど。もちろん法外な契約金を積みましたよ。彼女は監督次第で検討してくれるって」


 契約期日までに監督が現れなかったら、どうしようかと思いました──私はトリト先輩の手をとる。世にも美しい映像を産み出す、この手。

 群青色の夜空、白砂の星々、星降る野原、並んで座る猫と少年の後ろ背、菫ソースのクッキーのほろ苦さが甦る。狭苦しい1Kに広がったあのイメージ。

 監督やってくれますよね、という問いに、彼はどうしてと返す。

 好きだから、とは勘違いさせるだろうか。彼の内宇宙に魅せられ、もっと観たいと思った。

 その映画にはエンドマークは必要ない。代わりに、こう一文添えるのだ。


 〝Remember this Story?この物語を憶えていますか?

 




 









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猫と星と菫ソースの魔法のクッキー 坂水 @sakamizu

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