エピローグ 『それでも立ち上がれ!』

 小学3年生の頃、『1999年の七の月に世界は滅ぶ』という予言を話題にしているテレビを見ていた。その予言を話題にだして『勉強しなくても大丈夫。だって世界は滅ぶんだから』と言っていた。


 そして世界が滅亡すると予言された最後の日は平和な七の月だった。世界は滅亡しなかった。何が起きたかさえもよく覚えていない。その日を最後に大人たちは世界滅亡の予言のことを何も言わなくなった。


 あれだけ騒いでいた大人たちもマスコミもテレビも何も言わなくなった。そして何事もなかったかのように世界は続いた。


 そんな人々を見て自分を信じようと僕は思った。


 だから僕は努力する。それは全て自分が死ぬ瞬間に満足するためだ。頑張って生きたなと自分自身で思って納得するためだ。明日死んでもいいと思うくらい全力で生きたい。


 他人からみて努力してると見えなくても自分にできる精一杯でいい。努力できたかできなかったかは死ぬ直前の自分にしか分からない。だから死ぬとき満足だと言える人生を生きたなら、それは幸せな人生を送れたんだと僕は思う。


 だからこそ、周りからみてどれだけ成功した人だと言われても後悔しか残らなければ、それは本人とっては不幸せな人生だったということになるだろう。


 でも……。 


 自分が満足できない人生を歩んだと思う人でも、その人の周りの人が幸せだったとしたら? 1人でも幸せだったと思う人がいれば、その人は周りの人を幸せにできた人だと、かけがえのない人だったのだと僕は思う。


 それは人を幸せにできた素晴らしい人生を送れた人なんだと僕は思うのだ。


 だから、僕は僕自身が戸惑うほどの愛情を君にもらった。君に出会って素晴らしい感情を知った。そして逆に悲しみも苦しみも絶望さえも僕は知った。


 人を愛することがこんなにも感情を豊かにすることを僕は知らなかった。幸せを感じる感情は、辛く、苦しく、悲しい気持ちの裏返しであることも僕は知った。君が一言では言いあらわせない程の感情を、僕に気付かせてくれたんだ。


 君は僕を幸せにしてくれた。だから君は素晴らしい人生を送れたんだと僕は思う。僕は君を助けているようで実は君に助けられていた。君との記憶を大切にして、君に出会えたことに感謝して、僕はこれからの人生を生きていく。


 君はこんなにも僕を前向きに考えるようにしてくれたんだ。それがどれだけすごいことか考えたことってあるかな?


 僕という人間の考え方自体を大きく変えたんだよ? 君は、目標も何もなかった僕の人生すらも大きく変えたんだ。だから誇っていい。自信をもっていい。


 君がどう思っていようとも僕は君に感謝している。


 ……でも、そう考えても悲しいという気持ちは変わることはなかった。僕は君と会えなくて寂しいという感情を、どうしてもいやすことができなかった。


 だから当時のことはつらくてあまり考えないようにしている僕がいた。悲しみに負けてしまって、君のことを思い出さなくなっていった僕がいた。


「君は輪廻転生りんねてんせいって信じる? 私は信じてるよ? だって素敵じゃない。生まれ変われるなんて」


 そう言って君は微笑んだ。でもこの言葉を初めて聞いた時、君自身が死ぬかもしれないと思っていたことを当時の僕はまだ知らなかった。


 でも君を亡くし想い出して絶望するたびに、高校2年生のあの時、どうしたらよかったのかを考え続ける僕がいた。





 


 レントゲン写真を確認し、検査結果を見て僕はキーボードをたたいた。


「検査の結果は悪性ではなかったです。一安心ですね」と僕は患者さんに向き合い話をする。


「よかった」と患者さんは安心したようだ。


「でも、暴飲暴食はだめですよ? 病気の元です。気を付けてくださいね」と患者さんに話す。そしてパソコンにいつもだしている薬などを入力する。


「次の診察の予定は6月3日の午後2時頃でいかがですか?」

「はい。この日時で大丈夫です。ありがとうございました」

「お大事に」


 患者さんに挨拶してほっと息をつく。僕は迷いながらも忙しい日々を送っている。まだまだ分からないことだらけだ。君が亡くなって10年くらい経っただろうか?


 僕はまだ君を忘れることができない。君との日常を思い出して朝まで泣きあかし、君のことを忘れようとした僕がいた。


 けれども、いつもの日常は忘れようとしている僕に君を想いださせた。


 例えば食事をして、君が作ってくれたお弁当とその味を想い出し、懐かしんでしまう僕がいた。


 例えば階段で、不良グループに絡まれてた君を助けたあとで、震える両膝を押さえる僕の姿をみて泣きながら笑ってた君を想い出す僕がいた。


 例えば街の中を歩き人の手をみて、嘘をつくときの君の仕草を探してしまう僕がいた。


 例えば学校の近くを通ってバスケのゴールをみると、ケガをしても諦めずボールを追いかけた君の姿を想い出してしまう僕がいた。


 例えばお祭りがあるたびに、あのときの花火と君の横顔を想い出してしまう僕がいた。


 例えば学校の校舎を見るたびに、僕と君も含めた9人で毎日がお祭り騒ぎだった日々を想い出してしまう僕がいた。


 世界は君との想い出であふれていた。


 忘れることもできなくて絶望した。でも、その果てに思ったことがある。僕は君が旅立つ直前に、自分で君に想いを告げていた。もう君とのお別れの時に僕は僕だけの答えを出していた。君を亡くして悲しい、と思う気持ちを抱えて僕はこれからも生きていく。


 でも悲しみも苦しみも抱えた先には同じくらい、狂おしいほどの愛しさと喜びもあったんじゃないだろうか? 


 僕は君と過ごした悲しかった時間、苦しかった時間、そして絶望した時間、けれど君と共に過ごしたどうしようもなく楽しかった時間を想い出す。

 

 今を生きる僕は悲しくても辛くても君と過ごした時間を思い出すたびに、『それでも立ち上がれ!』と自分の気持ちを奮い立たせる。


『生まれ変わっても懸命に生きた君に……僕は胸を張って、いつかまた会いたい』


 高校2年生で一人旅立った君と、それを絶望してただ見送ることしかできなかった当時の僕自身に、そう誓ったのだから……。



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懸命に生きた君に 冴木さとし@低浮上 @satoshi2022

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