第10話

 早朝。朝日が登りはじめたくらいの時間。

 恵実はあの階段のところに来ていた。

 昨日、恵実が一人になっていた時間はいくらでもあったのに、八尺様は結局姿を見せてくれなかったからだ。ここならもしかして、と思ったからだ。


 だけど待てども待てども、八尺様は姿を現さない。恵実は階段のところに座りながら、くすんと鼻を鳴らした。

 怒ってるのかもしれない。夏に来れなかったから。

 話したいことがたくさんあるのに。


「八尺様…」


 と、つぶやくように恵実が呼んだ時だった。

 明るかったのが影になる。横に髪の毛のカーテンができる。恵実はこの感覚を知っている。

 ハッとして俯いていた顔を上げて後ろを振り返れば、そこには八尺様がいた。あの時と変わらない姿格好で、「ぽ ぽ ぽ」と言いながら、恵実を見下ろしていた。


「八尺、様…」


 やがて、じわじわと恵実の目に涙が滲む。

 立ち上がって、まるでぶつかるみたいに八尺様の腰に抱きついた。 離してしまわないように、離れないように、力強くしがみついた。

 八尺様は何も言わなかった。恵実はそれが怖かった。八尺様に嫌われるのが一番嫌だった。

 恵実の肩がヒクヒクと震える。泣いているのだ。恋しかったから。


「… ぽ」


 それから、ようやく八尺様がそう言った。

恵実はそれが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。許してもらえた、と思ったのだ。


 八尺様に擦り寄ると、八尺様が頭を撫でてくれる。

 見上げると、八尺様の目はまだ見えないけど、本当に、本当にもう少しで見えそうだった。

 あと少し。あと少し。多分何かが足りない、と恵実は直感的に思った。


「ぽ ぽ ぽ ぽ」


 その時。まだ少し泣きながら嬉しくて笑う恵実の顔を、八尺様の両手が挟むように掴んだ。

 大きな手。一本一本が恵実のものの倍はあるほど長い指。片手で恵実の頭をゆうに包み、握りつぶしてしまえそうなほど大きな手。

 それが恵実の頬を掴むと、一緒になって耳や、頭、首の裏の方にまでまでひんやりとした感触が届いた。

 八尺様が腰をかがめ恵実の顔を覗き込むようにすると、八尺様の長い髪がカーテンになって、周りの景色を遮断する。


「ぽ ぽ ぽ」


 八尺様の大きな口が、ニィっと歪む。

 恵実はただ漠然と、きっとこれが足りないものだったのだと思った。


「いいよ」


 そして気が付けば、恵実はそう言葉にしていた。

 頬に触れる八尺様の手に触り、擦り寄りながら、八尺様を見上げる。

 すぐ近くにある八尺様の顔。 目のところにモヤがかかっている顔。だけど、それは今にも晴れそうで。

 恵実はその八尺様の顔に、八尺様の真似をするように両頬を挟んで、引き寄せるように背伸びをした。


18歳。ファーストキスだった。





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八尺様♂と女子高生 Qoo @Qoo-san

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