公爵令嬢の身代わりとして17年間公女の演技を続けた奴隷の私。平和になって私は用済みになったので、今から本物の公女様を修道院まで迎えに行きます。

沖月シエル

公爵令嬢の身代わりとして17年間公女の演技を続けた奴隷の私。平和になって私は用済みになったので、今から本物の公女様を修道院まで迎えに行きます。




乗り慣れた公爵家の御用馬車。乗り心地は快適だ。紅のベルベットが張られた私の専用座席。この手触りが心地いい。いつもの癖でつい撫でてしまう。




…さらさらしている。




(あいつ、元気してるかな…)




久しぶりに会うのでちょっと緊張する。公爵家に公女の身代わりとして連れて来られたその日以来、一度も会っていない。




…懐かしい。




窓から流れていく景色を眺める。慣れ親しんだこの街ともお別れ。




この馬車に乗るのも今日で最後だ。








◇   ◇   ◇








――17年前。




アズリル公国が隣のフォーランド共和国に宣戦布告された。状況はアズリル公国にとって不利だった。もしもの時のために領主の公爵は娘のエリクシア公女を山奥の修道院に隠し、その身代わりを宮殿におくことにしたのだ。







「…おい! 何回言ったら分かるんだい! 午前中に終わらせておけと言ったろう! この役立たず!」




「…す、すみません、奥様…」




――パシン!




奥様から平手打ちをくらう。頬がずきずきする。




当時私は奴隷として商家で働かされていた。まだ8歳。小麦の入った麻袋を倉庫から運び出す仕事だったが、量が多くて指定された時間内に終わらせることができなかった。




(今日は昼ごはん抜きか…)




仕事を言われた通り終わらせられないと、食事を与えてもらえない。幼い私はいつも空腹だった。




げんなりして屋敷を出ると、見慣れない服装の大人の男達がいた。かなり立派な服装。公爵家の将校とその部下達だった。




「…ふむ。確かに、よく似ている」




将校が私を見て感心したように呟く。私は見上げた。背がかなり高い。ちょっと怖かった。




その日、私は半ば強引に公爵家に連れていかれた。




わけも分からないまま宮殿の中を歩いて行く。生まれて初めて見る豪華な内装。目が回った。




通された部屋の中に、公爵様とその娘のエリクシアがいた。




「…まあ、本当にそっくり!」




エリクシアが私を見るなり走り寄って来る。当時まだ私と同じ8歳。当然だが私とは全然違う上等なドレスを着ていた。




「はじめまして、私、エリクシア。あなたが私の身代わりさんなのね」




エリクシアが私を見つめる。鏡を見ているように、私にそっくり。私達は、双子かあるいはそれ以上に顔がよく似ていた。よく見つけたものだ。




「…これから、もしかしたら危ないことが起こるかもしれないけど、大丈夫。あなたのことは、ここの人達が守ってくれるから」




歳のわりに、なんだか大人びているなと思った。私とは育った環境が違うからだろう。




それから程なくして、エリクシアは修道院に向かった。会ったのはその時一度きり。




エリクシアは、私のことは大丈夫だと言っていた。しかしその後聞いたのは、何があっても指示があるまで宮殿から出てはいけないということだった。たとえ殺されそうになったとしても。まあ少し考えれば当然のことかもしれない。そうでなければ身代わりの意味が無い。




いざという時、私の命と引きかえに、本物の公女エリクシアの命を守る。それが私に与えられた役目。




私の命は、使い捨て。




私は、




偽者になったのだ――








◇   ◇   ◇








当初聞いていたのは、戦争は数週間、長くても数ヶ月間の見込みということだった。




しかし戦闘が予想外の膠着状態に陥り、突然の休戦協定が結ばれた。




それから月日が流れ、なんと17年。




17年だ。




長すぎる。8歳のあどけない子供だった私は、25歳になってしまった。




最初はよそ者として、身の程をわきまえて振る舞っていたのだが、次第に慣れてきてしまった。周りの人間も似たような感じ。なんだかもう自分が本当の公女なんじゃないかって錯覚してしまいそうになっている。でもこれはある意味仕方がない。エリクシアよりも長い時間を彼女の家族と公爵家の宮殿で過ごしてしまった。







宮殿中庭。




アズリル公国と友好関係にある隣国の王子、コンラッド、彼と私が、2人でよく話をした場所。楽しい思い出だ。今日は最後の別れになってしまう。




「…今日、行くのか?」




コンラッドが少し寂しそうに尋ねる。やめてよ。泣いちゃうでしょ。




「午後からね。もう準備はだいたい終わったよ」




「そうか…」




ちなみにコイツはエリクシアの許婿だ。




…いやいや、手出してないからね?




「…懐かしいな。出会った頃は、お互いまだ子供だったのに」




もちろん、コンラッドは私の秘密は全て知っている。




…全て。




「エリクシアに会う前に、私と会っちゃったからね。なんかアンタも災難だよね。フィアンセの偽者と友達になっちゃうなんてさ」




最初に出会ったのは私が15の頃。本来そのくらいで将来の伴侶と顔を合わせるしきたりらしい。私は偽者なんだけども、なぜか成り行きで会うことになって、それ以来10年間、なんだかんだ仲良くやっている。




「…そんなことはない。俺は、お前という人間に会えて、本当に良かったと思ってる」




「またまた、そんなこと言っちゃっていいの? エリクシアが嫉妬するよ~」




私はあえていつもの感じで軽口を叩く。




コンラッドとはよく気が合った。一緒にいて本当に楽しかった。




この生活がずっと続けば。一瞬そんな思いがよぎることもあった。




だが、つい先日、ここへ来て、休戦中だったアズリル公国とフォーランド共和国の間で和平条約が結ばれた。戦争が終わったのだ。




私は用無しになった。私はこの場所を、本物の公女エリクシアに明け渡さなければならない。今から彼女を迎えに行く。いつかこの日が来ることは、最初から分かっていたことだ。別れは少し寂しいが、どうしようもない。今後は滅多なことでは戻ってこれなくなるだろう。エリクシアの近くにいたら色々とややこしいことになるのだ。




「…エリクシアと、幸せになってね。彼女のこと、大切にしてあげて」








◇   ◇   ◇








公爵家の御用馬車が街道を外れ、自然の多い山道へと入って行く。そろそろ修道院だ。




エリクシアも私と同じ25歳になっている。彼女はこの17年間、どんな気持ちで過ごしてきたのだろう? すぐに帰れると信じていた宮殿に帰ることができず、フィアンセの王子様に会えないまま、質素な修道院で暮らし続けた。







顔は、まだ私に似ているだろうか?




似ているだろうな。きっと。




案外イイ女になってたりして。んー、いや、そりゃないか。男っ気無しの修道院暮らしだもんね。




緊張するけど、再開がちょっと楽しみにもなってきた。








◇   ◇   ◇








馬車が修道院に着く。私は馬車を降りる。




木々に囲まれた、古風な修道院。質素だが造りはしっかりしている、格式の高い修道院だ。




ちなみに、私は当面、エリクシアと入れ替わりで、この修道院で暮らすことになっている。まあ他に行く所も無いので。




…あくまで、そういうことになっている、というだけ…




修道院の中から案内役のシスターが出て来る。




「…お待ちしておりました! エリクシア様なら建物の奥で…」




「…やっと着いたのね!」




シスターが修道院を振り返った時、修道院から別のシスターが走り出て来た。




…あ。




「…ああやっぱり! 久しぶり!」




なんというか、全然オーラが違う。本物の公女とはこういうものですか。修道院暮らしだったから、もっとこう、地味な感じになってるの想像してたのに。イイ女というか、何かこう、立派な大人の女性になってオラレマス。




「…ははっ! やっぱり、私達そっくりねっ」




エリクシアが笑う。素敵な笑顔。こりゃ敵わんわ。




「…ほんとだね」




まあ顔は、顔だけは本当にうりふたつだけれども。








◇   ◇   ◇








修道院近くの丘の上。よく晴れていて気持ちがいい。私とエリクシアは草の上に座る。2人きりだ。17年ぶり。何か話したいことが色々あったはずなのに、いざ会ってみると何を話せばいいのかよく分からない。色々なことがありすぎて、うまくまとめられないのだ。エリクシアはどうなんだろう? 私と同じ感じだろうか。




「…あなたが無事で、よかった」




エリクシアが優しく話す。




「ありがとう。エリクシアも、すごく綺麗になってて、驚いたよ」




「本当!?」




「もちろん」




それから少し、当たり障りのない話をする。穏やかな時間が流れていく。平和っていいな…でも戦争があったからこうしてエリクシアと出会えたことを考えると、ちょっと複雑だ。戦争が無かったら、私の人生はどうなっていたんだろう…







「…ねえ、ところで、コンラッド王子って、どんな人?」




急に何よ。




「え? ああいや、普通にいい人だけど…」




「イケメン?」




「ええ…まあ…そうね、私の分類では」




エリクシアがガッツポーズをする。




「…よっしゃっ!」




…あれ? エリクシア公女様って、こんな感じなの? なんか急に親近感なんだけど。




「あのねえ、修道女の格好でそんな下世話なリアクションされても…」




「大事なことよ! もうホント、ずっと気になってたんだもん」




まあ年頃ですからね。そりゃ気になりますよね。




「…まあとにかくいいヤツだから、アンタのこと、大事にしてくれると思うよ。幸せにね」




私のこの、高貴な身分の方々に対する不躾な口のきき方は、どうも直せないんだよなぁ。もともとが奴隷だから、ちょっとひねくれちゃうんだよね。これからその奴隷の身分に戻るわけで。




「ところで、あなたにはいい人いないの?」







それねー。




「いるわけないでしょ。公女様の身代わりやってんのにどうやったら恋愛なんかできるのよ。おかげさまで、公女でもないのにこの歳まで処女よ。どうしてくれんのよ」




「処女? 男なのに?」




エリクシアが少しおかしそうに笑う。




「あー…いやその、ずっとアンタの身代わりとして、女として生きて来たからさ、つい癖で」




なんというかその、自分の性別がよく分からなくなっている。そんな感覚。8歳の時からずっとだもんね。自意識が女になってしまったせいか、恋愛対象ももうよく分からん。まあ好きになった人がタイプ、でいいんじゃない?




「…でも、会った時は驚いたよ、だって女の人にしか見えないもん」




「それね。なんでだか、男らしくならなかったのよね」




公女の身代わりとしての使命感がそうさせたのか、あるいはもともとがそういう資質の人間だったのか。




ともかく。私は男でありながら、公女エリクシアの身代わりとしての使命を全うできたのだ。子供の時だけでなく、大人になったその後でも。17年間、私はやりきった。それは一応、誇りに思ってもいいことなのではないだろうか?







副作用は色々あったけどね…








◇   ◇   ◇








修道院で一晩過ごし、次の日の朝。エリクシアが御用馬車に乗り込む。この馬車もようやく本来の主を迎え入れることができたわけだ。




「…気をつけてね。公爵様によろしく。宮殿での生活については、昨日話した通りだから。でも心配しなくていいよ。宮殿についたら、みんなよくしてくれると思うよ。みんなアンタの帰りを待ちわびているからね」




「…だといいけど…」




エリクシアが少し不安そうだ。今から公女としての生き方をまた一から学んでいかないといけない。彼女なら大丈夫だと思うが、でもやっぱり心配なのだろう。慣れ親しんだ修道院を離れる寂しさもあるのかもしれない。




「あなたも、体調崩さないようにね。修道院の生活は、結構大変よ?」




昨日一晩かけてお互いの生活の引き継ぎについて話し合った。一旦話し始めると、お互い話が止まらなかった。




「私はもともと奴隷だからね? 別に安い紅茶でもへっちゃらよ」




実はちょっと不安なのは私も同じ。修道院の生活がというよりは、染み付いた貴族の習慣がちゃんと抜けるか心配なのだ。




「あら? 頼もしいね。それなら私も頑張らなくちゃね」




エリクシアの笑顔。優しさと強さを兼ね備えた高貴な雰囲気。彼女の決意を感じる。




彼女なら、大丈夫。




「じゃ、そろそろ。みんなが待っているからね。早く行ってあげて」




「うん」




エリクシアが窓から身を乗り出して両腕を広げる。私は近寄って彼女と軽くハグする。




「…今まで長い間、私の代わりを務めてくれて、ありがとう。またね、アルフレッド」








◇   ◇   ◇











その日の夜。修道院。深夜。




荷物をまとめて、こっそりと裏口を出る。




…誰も、いませんよねー…?




「…やはり行かれるのですね、シスター・アルフレッド」




「うわっ!」




不意に背後から声をかけられ、驚いて振り返る。院長が1人、立ってこちらを見つめている。




見つかってしまった…




「…い、いやそのこれは…」




「いいえ、かまいません。あなたには自分の生き方を自分で決める権利がありますから」




「え?…じゃあ、このまま逃げてもいいんですか…?」




「あなたの旅路に、神の御加護のあらんことを」




感謝しよう。




私は修道院を抜け出て、夜の山道を駆けて行く。実は近くに村がある。そこで馬車を借りよう。実はちょっとの貯えがある。宮殿を出る時、お小遣いでもらっておいたものだ。




なんとでもなるさ。




戦争は終わった。新しい時代が始まる。この新しい時代に、私は奴隷でもなく、貴族でもない、本当の自由な身分を手に入れるのだ。




私は自由になる。自由がすぐそこにある。




夜が明ける頃には、私は馬車に乗って揺られているだろう。その頃には、遠くの山々の稜線が光に照らされ、新しい朝の中で、煌めいているだろう。



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