20,3 最終話+EPILOGUE(エピローグ)+あとがき
”Φの世界”の深層、”こきゅうとす”。
時間も空間もなく、全てが凍りついた世界。
真っ白な何も無い空間に先輩の精神が反映されたのであろう、駅のプラットホームだけがぽつりと浮かんでいる。
ぼくと先輩はそこに設置されたベンチに並んで座っていた。
「お前、なんでこんなところに……」
「なんでって探しに来たんですよ、先輩のコト!」
かつて先輩は、真実を暴く推理の能力で実の母親を傷つけてしまった。
そして塞ぎ込んでいた時に出会い、彼を救おうとしたぼくのお父さん――
そんな行き詰まった中学生時代の姿のまま、”こきゅうとす”で囚われていた先輩。
だけどぼくと出会って、話をして。
本当の気持ちを伝えて。
先輩は
ぼくのよく知る陰キャ高校生の先輩が隣にいた。
「そもそもここ、どこなんだよ。駅のようだが、外にはなにもないぞ」
「ですよね、なにもない世界なんです。たぶんぼくら以外に人っ子一人いません」
駅の外にはなにもない真っ白な空間が広がっている。
プラットホームだけがぽっかりと浮かんでいた。
いや、そう見えているだけで、たぶん実際には認識すらできない時空のねじれに満ちているんだと思う。
どちらにせよ、駅の外に出てしまえば一秒たりとも生きていける気がしない。
「で、脱出する方法はあるのか?」
「わかりません!」
「わかんねェのにこんなトコまで来たのかよ! どんな度胸だ!」
「先輩だって……来てくれたじゃないですか。『絶対に振り返ってはいけない道』にぼくが迷い込んだ時。もしかしたら二度と出られなくなるような状況で」
思い出す。
あの時、先輩はぼくを助けに来てくれた。
ぼくが『二人揃って道の中に閉じ込められるかもしれなかったんですよ。先輩は、ぼくと一生あんな異空間の中に閉じ込められる生活なんか耐えられますか? 嫌じゃないですか?』と聞いたら彼は『ま、そんときゃそん時だ。案外楽しくやってけるかもしれないぜ』なんて楽観的に答えたことをよく覚えてる。
同じなんだ。気持ちは。
この人のためなら傷ついたってかまわないんだ。
「それに――先輩なら、答えがわかるんじゃないですか?」
「俺が?」
「先輩には真実を導く力がありますから」
「はぁ」
先輩はため息をついて言った。
「そんなモン、思い上がりだったんだよ。真実なんて人の数だけある。確かな真実なんて存在しない。過去の俺はそんな簡単なコトにも気づかず、他人にとっての真実とは何かなんて気にもしないで……真実らしきモノを暴き続けてきたがな。結局俺は、天才だとか特別な存在だとか、そういうスペシャルな何かじゃなかったワケだ。何者でもなかった。少し推理が得意なだけの、ただのオタクにすぎない」
うん。やっぱり先輩だ。
いつもと同じ調子の先輩にぼくは嬉しくなって、つい笑ってしまう。
「何笑ってんだよ……こんな世界でまで、俺を笑いに来たってか? いい趣味してるな、ほら、ぞんぶんに笑えよ」
「ふふ、すみません。バカにしてるんじゃなくて……それでこそ先輩だなって」
そうだよ。ぼくにとって先輩は最初からずっとこうだった。
「人工の天才だとか、特別な存在だとか……そんなだいそれた人じゃなくて。ぼくにとって先輩は陰キャで、オタクで、ぼっちで、空気読めなくて、巨乳好きのムッツリスケベで、誰も知らないようなアニメのネタを言って自分だけウケてる……ヘンな人。だけどいつだってぼくの隣にいてくれた人。それでいいじゃないですか」
「先輩、ぼくね――」変わらない彼と再会できて。
嬉しくて、楽しくて。
言葉と、気持ちがとめどなく溢れてくる。
「学校が嫌いでした。毎日同じことの繰り返しで、みんな教科書の中身とか常識って言葉に囚われていって、あり得ないコトとか夢みたいなモノを捨ててしまって……大人になっていく。それがずっと怖かったんです。先輩と同じなんです」
いつだったか、先輩はぼくにこう漏らしたことがあったっけ。
『あの日、お前と初めて出会った日まで……俺は日常がとてもつまらないモノだと感じていた。何をやっていても無意味だとしか思えなくて、生きることは死ぬまでの暇つぶしだと……そう思っていた。原因と結果、その無味乾燥な繰り返しだと』
って。ぼくだって同じだったんだ。
本当は嫌いだった。
学校も、世界も、他人のことも。
そんなふうに心を閉ざす自分自身はもっと嫌い。
だけど、
「先輩と出会って、謎解き活動を続けて、ぼくは学校が好きになりました。毎日ワクワクして、次は何が起こるんだろうって。世界には不思議なコト、まだ誰も知らないコトがたくさんあるんだって。もちろん、失敗したりひどい目にあったりもしましたけど……それでも、そんな苦い経験だってぼくにとっては――希望だったんです!」
「希望……」
「先輩は、自分の力には限界があるって学んだんですよね。世界には解けない謎があるんだって。それって、希望なんですよ!」
「そうか……そう、だったのか。希望だったのか……俺にとっての」
「先輩のおかげで、ぼくは嫌いだった学校を好きになれた。嫌いだった世界を好きになれた。なによりも――好きな人ができた」
息を吸う。
「先輩のこと、大好きになっちゃったんです」
ああ。
言っちゃった。
ついに言ってしまったぁ〜……。
好きだって。
ずっと好きだったのに、いざ言葉にするのがこんなに恥ずかしいなんて。
それに、怖い。先輩がどんな反応するのか、怖いよ。
顔、熱くて。先輩の顔、見れない。
「お前、それ……」
「……き、聞かなかったことには、できませんかね」
「な、何ヒヨってんだよ。俺はラノベの鈍感主人公じゃねえから普通に聞こえたし脳裏にバッチリ記録されたわ」
「それで……
「それはストーンヘンジな。なんだよその唐突な激寒ギャグ……返事か、そうだな。まってろ、今考えるから」
先輩も顔が耳まで真っ赤になっていた。
彼はもじもじと髪をいじったり顎を触ったりして考える。
「よし、決めた」
少し時間が経って、先輩は意を決した男の顔になった。
ぼくはというと、一気に逃げ腰になってしまって、手で耳を塞いだ。
「あー! あー! 聞こえない! もう何も聞こえませーん!」
「聞けよ! お前がふいうちで告白したんだろうが!」
「はいはい知ってますよ、相手が攻撃技を出してないと失敗する悪タイプの技ですよね!」
「ああ、威力70命中100PP5の先制技――ってポ◯モンじゃねえよ! なんでこの期に及んでごまかす!?」
「だ、だってぇ……ほら、ぼくってちんちくりんだし。先輩が読んでるラノベのヒロインみたいに可愛くもないし……最近体重ちょっと増えたし、ニキビもできたし、右足の親指が巻き爪になって痛いし……冷静に考えて女子として終わってるカモ……うぅ」
「それは自虐がすぎるしもはや後半は全然関係ない話になっている。大丈夫だ、じゅうぶん可愛いから」
「お世辞です、絶対お世辞に決まってます!」
「め、めんどくせぇ……」
「そうなのです、ぼくはめんどくさい女なのでーす!」
「ま、確かにめんどくさいな。そういうトコ……俺は好きだが」
「ほら、先輩だってめんどくさいって内心思って――ゑェ゛!?」
「声きたなっ、どういう声帯してんだ。『全自動卵割り機』回のマスオさんかよ」
「だだだだって、今……先輩が『俺は好きだが』って! 言質、取りましたよ? 『俺は好きだが』って言いましたよね!?」
「声マネやめろっ! ハズいし誇張しすぎだ、そんなムーディーに言ってねェよ!」
「ぷぷぷっ、先輩やっぱりぼくのこと好きすぎぃー!」
「お前、恥ずかしいからってごまかそうとしてるだろ! だいたいお前が先に告って来たんだからな、お前が責任取れよ、どうすんだよこの空気は!」
そんな調子でギャーギャーと言い合うぼくたち。
まるでいつもの”謎解き活動”だった。
こんな、ぼくたち2人以外誰もいないし、駅とベンチ以外何もないような世界だけど。
2人、顔を見合わせて笑っていた。
「はぁ、はぁ……け、結局いつもと同じじゃねえか……」
「けほっ、けほっ……そ、そうですね。いつもの感じ」
「……どこで何をするかじゃなくて、誰とするかってコトか」
「はい。先輩と一緒なら、この何もない世界で永遠に二人きりでも案外楽しくやってけるかもしれませんね」
「ああ、俺もそう思い始めた。シリアスに悩みそうになったのがバカらしいぜ……」
先輩は頭をかかえて呆れたように息を吐いて、
「だけど、だからこそ……元の世界に帰らなきゃな。お前が好きになれた世界に。俺もお前のおかげであの世界が、少しだけ好きになれたから」
と言った。きっぱりとした口調で。
「先輩……」
「何よりも、今思い出した重大事項なんだが……」
「は、はい……」
シリアスに切り出す先輩。ぼくもごくり、と唾を飲んだ。
先輩が重々しい雰囲気で口を開いて言った。
「俺、『ヒロ◯カ』の最終回をまだ読んでない」
「は?」
「『ワ◯ピース』も『呪術◯戦』も近々終わりそうだってのに、ジャ◯プを読めないままこんな世界で永遠に閉じ込められるなんて耐えられるか!」
な、何を言っているんだこの男は。
この何もない空間で永遠に一緒だって、両思い同士で気持ちを伝え合って。
最高にロマンチックな展開だったのに!
「この世界で俺たちはアダムとイヴなのさ、レッツ子作りベイベー☆」なんて甘いセリフでオーイェーアハーンなレディコミ展開が始まるのを今か今かと待ち構えていたのに!
いやそんな俺様な先輩は解釈違いだけど、それでもさぁ!!
ぼくが内心で先輩の言動に呆れ返っていると、とどめとばかりに彼はキメ顔でこう言った。
「できれば『ハン◯ー×ハ◯ター』も最後まで読みたい」
「そ、それは外の世界に出ても叶うかわからないですね……」
結局いつものとりとめもない雑談混じりの会話が続く。
放課後の”謎解き活動”もこうだった。
依頼から脱線したり、あっさり解決したり、暇なときは一緒に無言で漫画を読んで過ごしたり。
たまには漫画やアニメについて熱く語り合ったり。
「どんな世界でも、ぼくたちってホントやること変わらないんですね」
「だな。だからこそ、ここでも同じことをやるんだよ」
「同じこと?」
先輩は言った。
「謎解き活動だ。議題は、ここからどうやって脱出し、もとの世界に戻るか」
「諦めてないんですね、先輩」
「当たり前だろ。一人なら無理でも、今はお前がいるんだからな」
「え……」
「頼りにしてるぜ、相棒」
「……はい!」
こうしてぼくたちのいつも通りの”謎解き活動”が始まった。
「さて」先輩が状況を整理する。
「お前が乗ってきた電車はもう走り去ってしまった。プラットホームはあっても下に線路はないから、線路を伝って戻ることもできない」
「ですね、方向もわからないので歩いて出るのは不可能です」
「ふム……そもそもここは物理現象に支配された世界じゃあないらしい。この世界をお前の夢のようなモノだと仮定しよう。お前の現実の肉体は今も変わらず外の世界にあって、意識だけがこの世界に入っているとする……ならば、夢から覚めれば良い」
「夢から覚める方法、ですか」
「『インセプション』という映画では落下する衝撃で夢から強制的に覚醒させるというシーンがあったが、あくまでも上位の世界で肉体を落下させなければ意味がない。事前準備がないから今回は無理だな」
「つまり……夢の最下層から表層の肉体を目覚めさせる必要がある、というコトですね」
考えれば考えるほど難しくなってきた。
確かに、今回の冒険はキサラがぼくの魂を『割れた鏡』という”境界”を通じて”Φの世界”まで引きずり込んでくれたことで始まったもの。
だとしたらぼくの現実の肉体はまだ、鏡の前で眠っているという先輩の推測はたぶん正しい。
”こきゅうとす”で先輩と接触した状態で目覚めることができれば、ぼくは先輩の魂を連れて外の世界に出ることができる。
そうすれば、先輩がいなくなった世界は、先輩が存在する世界に修正されるーーというのがキサラの計画だろう。
先輩とともに状況を整理して浮かび上がってきた。
目的である先輩との再会を果たした今、残された最大の問題とは「ぼく自身をどうやって目覚めさせるか」だ。
「眠っている女の子を夢の中から目覚めさせる方法、か……そんなのどう推理しても無理――っ!」
先輩が頭をポリポリかきながらそうぼやいていた、その時だった。
目を見開いて、なにかに気づいたような表情だった。
「せ、先輩?」
「い、いや。なんでもない。こんなのは推理ではなくオカルトだ。確かにアニメやラノベでは定番のシチュエーションだが……」
ブツブツとつぶやき頭を抱える先輩。
なにかアイデアは浮かんだみたいだけど、それを自分で認められないみたいだった。
先輩の直感を信じてみたいけど、当の先輩に自信がないとすれば。
ぼくにできることは――。
「ねぇ、先輩」
「……なんだ」
「先輩の頭に浮かんだアイデアをぼくが当てられたら、実際に試してみるというのはどうですか?」
「はぁ? 何言って……」
「『白雪姫』――でしょ?」
「なっ――!」
当たりだった。先輩は顔を真っ赤にして首を振った。
白雪姫。
眠りに落ちたプリンセスは、王子様のキスで目を覚ます。
後の時代のアニメやラノベでも何度も繰り返されたモチーフだ。
先輩がオカルトという気持ちはわかる。
だって荒唐無稽だもん。
毒リンゴで目を覚まさなくなった女の子が、愛の力で目を覚ますだなんて。
「……残念だったな、ハズレだ」
先輩は真っ赤な顔で震えながら、ぼくの答えを否定した。
「『
「同じオチじゃないですかぁー!」
「白雪姫がキスで目を覚ますのはディズニーの脚色だ、原作は全然違う!」
「ズルい! キスするっていう方法はあってるんだから正解でいいじゃないですか!」
「まあ……部分点と言ったところか」
「むぅー」
頬をふくらませるぼくから、先輩は目をそらした。
明らかに照れてるみたいだった。
こんな何もない世界に閉じ込められておいて、いまだに意地はってる先輩。
ほんと、なんでこんな人のこと……好きになっちゃったんだろ。
惚れた弱みってヤツなのかな。
ぼくは先輩の顔を両手で挟んで拘束した。
逃げられないように。
「ぶっ、おまっ……何してんだ……」
「ヘタレな先輩が逃げないように捕まえてるんです。それで、キスするんですか!? しないんですか!?」
「そ、それは……」
「先輩はぼくのコトが好きなんですよね。キス、したくないんですか?」
「そういう言い方はズルいぞ……」
「したくないんですか?」
「したい……です」
ぼくの圧に屈した先輩は弱々しく本音を吐露した。
もはやぼくが無理やり言わせたような形になってるけど、今更ウソをついて言い逃れをするような関係じゃない。
どこまでも素直になれないヘタレな先輩だけど、それでも――キスしたいって気持ちは、ぼくも同じだから。
だから。
もしもここから出られなかったら? なんて考えは何度も脳裏をよぎる。
きっと先輩も同じ不安でいっぱいなんだと思う。
キスで目覚めるなんてなんて単なるおとぎ話の中のできごとで、そんなあやふやな手段じゃ誰も救われないのかも知れないけど、それでも。
真実なんて誰も知らないんだから。
目の前の好きな人にキスしたいって気持ちだけは、今。
ぼくたち2人の真実なんだ。
ゆっくりと2人の影が近づいて、やがて重なり合って。
目を閉じる。
唇が、そっと触れ合った。
身を寄せ合って、抱きしめ合って。
彼の体温を感じる。ドキドキ高鳴る心臓の鼓動は――ぼくのモノ?
それとも先輩の……?
わからない。2人が1人に溶け合ったような感覚。
息ができない。呼吸するのを忘れてしまうくらいに頭の中までぐちゃぐちゃになって。
嬉しい気持ちに満たされて、だけどなにかを失ってしまうのがちょっと怖くて。
「っ――!」
突然、先輩がぼくから後ずさった。
「先輩……?」
「お、おまっ……お前なっ……」
今までみたことがないくらいに顔が真っ赤に茹だった先輩。
そ、そんなにぼくとのキスにドキドキしてくれたんだ……。
などとうぬぼれそうになった瞬間、先輩は衝撃的なことを叫んだ。
「舌――
「え……? 挿れないんですか、舌」
「フツー挿れねェよ! こう、初々しい高校生のファーストキスって感じだっただろうが! 青春の1ページだろうが! 舌挿れたら話雰囲気壊れるだろ!?」
「い、いやー。そういうムードかなーって」
「どういうムードだよ、ティーンズラブ小説に影響ウケすぎだろ……」
先輩はうなだれて、「ああ、俺のファーストキスが……舌、挿れられた」なんて落ち込んでいた。
案外、というかやっぱりロマンチストなところがあるよね、先輩。
現実主義者のようでいて、アニメとか漫画みたいなフィクションを誰よりも愛しているんだ。だからラブコメ小説みたいな初々しいキスに憧れてたんだと思う。
うーん、どうやって慰めたものか……ぼくはなにげなく周囲を見回すと。
「……あの、先輩」
「なんだよ」
「ぼくたち……脱出できたみたいです」
「は――?」
すぐにはぼくの言葉が理解できなかったのか、先輩の顔が固まった。
そう、この場所はすでに真っ白な空間に孤立した駅のプラットホームじゃなかったんだ。
学生議会が所有する倉庫の中に戻っていた。
「こんなあっさり……なんだよ、いままで世界の終わりみたいなノリだったのに」
「ほんと……ですよね。あれだけ苦労して、こんなしまりのない結末……いつものことですけど」
「ま、それが俺たちらしいか」
2人で向かい合って笑った。
こうしてぼくは、“こきゅうとす”から先輩を連れて脱出できたのだった。
冒険は終わった。意外にもあっさりと。
きっと先輩と2人だったから。
2人だからなんでもできたんだ。
誰かが捨ててしまった夢とか、誰も信じなかったような迷信とか、誰もみたことのない生き物とか。
大人になれば見えなくなってしまうような、ありふれた奇跡を。
ぼくらは2人、ずっと追いかけてきたんだから。
「それでね、先輩」
助かった途端ぼくには余裕ができて、先輩にこんな提案を始める。
「“Φの世界”は魂の世界、つまり夢の中みたいなものです。考えようによっては、さっきのファーストキスはノーカンってことになりませんか?」
「た、たしかに……」
「先輩はさっきのキスにご不満みたいですしぃ〜、どうですか先輩――」
――ファーストキスのやり直し、しませんか?♡
「……いいんだな」
先輩を挑発するいつもの軽口のつもりだったけど、先輩は真剣な声色で返してきた。
うっ、しかしここでひくわけにはいかない。
「年上なんだから、先輩がリードしてくれるんですよね?♡」
「や、やってやろうじゃねェか。先輩の威厳、見せてやる」
先輩はぼくの肩を抱いて、目線をじっとあわせた。
陰キャで普段目を合わせてこない先輩と真正面で向かい合うと、なんか新鮮。
というか――ここで気づく。
先輩のことを好きだって認めてしまった今……だめだ、カッコよすぎる!
好きピだって思って見たら、元々オタクのくせに無駄にイケメンだった先輩の顔が200%増し増し(当社比)になってまともに見られないよ!
「あわわ……」唇が震えて情けない声が漏れてしまう。
「今更嫌だって言ったって遅いからな」
先輩はティーンズラブ小説のスパダリみたいなことを言ってぼくの身体を抱き寄せた。
お、大きい。猫背だから普段気付かされないけど、ぼくと先輩の身長は20cm近くも差がある。
唐突にゾッと恐怖心が湧いてきて、尻込みしてしまいそうになる。
「せ、せんぱい……そういえばぼく、唇ガサガサで……リップ塗っていいですか?」
「ダメだ。唇ガサガサのお前がいい。観念するんだな」
ぼくはにげだした。しかし、まわりこまれてしまった。
あーちゃんクエスト、完。
ああー、もうぼくの負けでいいですよーだ。
意を決してぼくは、目を閉じて、背伸びをしながら唇を突き出した。
今度は夢の世界じゃない。
現実でのファーストキス。
言い訳は聞かないし、ノーカンにもならない。
後戻りはできない――。
だけど、2人の唇が触れ合うことはなかった。
「何を……しているのですか?」
倉庫の入口から投げかけられた声で、ぼくらのキスが中断されたからだ。
そこにいたのは車椅子の美女、
「あ、あの!? 会長、これはですね……!」
「わたくしがせっかく特別に倉庫の鍵を貸してさしあげたというのに、何をしているかと様子を見に来たら……不純異性交友ではありませんのー!」
「ちがっ、これは不純どころかむしろ純情なヤツで! どちらかというとさっきのベロチューのほうが不純だったから、ヤり直し……みたいな?」
「みたいな? じゃありませんのよ! ベベベ、ベロチューですって! 不純、不純です! わたくしが様子を見に来なければこの薄暗い倉庫で男女2人、何も起こらないはずもなく……ジャパリパークでズッコンバッコン大騒ぎしていたに違いありませんわ!」
言い訳するほどに墓穴を掘るぼく。
そしてヒートアップしてくる会長。
他人のフリをするみたいに目をそらす先輩。
「まったくあなたたちはいつもいつも問題ばかり、カバーするわたくしの身にもなって――」
「あれ、会長いま
「それがどうかしましたの、あなた達は2人で”謎解き活動”を続けてきた。この学園なら誰でも知っていてよ」
「――!」
ぼくはその言葉を聞いて、先輩と顔を見合わせた。
「先輩!」
「ああ、どうやら成功したみたいだな」
先輩はこの現実世界に戻ってきた。
身体と魂だけじゃなくて、人々への記憶へ、ちゃんと。
先輩を取り戻すぼくの冒険は、終わった。
成功したんだ!
ただ一つ、
「せ、
「あ……」
「やっぱり
暴れる会長という新たな脅威を残して。
☆ ☆ ☆
最終下校時間を過ぎた。
日が落ちて、
結局、現実世界でのファーストキスはお流れになった。
これから付き合おっか♡ みたいな甘い男女の話も、2人ともクタクタで話題にも出せなかった。
まあ、いっか。
そんな話題はたぶん、ぼくら向きじゃないんだ。
まだ早すぎるんだよ。
付かず離れず、もっと時間をかけて、ゆっくりと寄り添い合っていけばいいんだと思う。
学園を出たぼくらは、ある場所に向かっていた。
白い正方形の建物。
もちろんファウンダリの研究施設とかじゃなくて、ここは病院。
先輩のお母さんが今も入院している場所だった。
「……」
白い廊下の奥まで2人で歩いて、先輩は立ち止まった。
白い扉の前で。
母親の病室を前にして。
うつむいて、何も言えなくなってしまう。
鍵はかかってないはずの引き戸なのに、取っ手に手をかけると手が震えて、離して。
先輩は自虐的に笑った。
「はっ、カッコ悪いよな。何年も前に見舞いに来た時に、俺のこと忘れてたからって……次もそうなんじゃないかって思うと、身体が前に進まないんだ」
「お医者さんは、どう言ってるんですか?」
「ずいぶん良くなって、俺のことも思い出してるんだとさ。俺と逢いたいとか、謝りたいとか……言ってるらしい。それでも俺は、信じられないんだ。母さんのことじゃない、俺自身のことを。また前の繰り返しになるんじゃないかって。本当は、もう二度と会わないほうが母さんのためになるんじゃないのかって」
「先輩……」
先輩の気持ちは、きっとぼくではわかってあげられないんだと思う。
ううん、誰にも。
どこまでいっても人の心は謎で、他人である限りわかりあえないんだ。
だけど、わかってあげたいとは思ってる。
寄り添って、支えてあげたいと思ってる。
「先輩、心の中の真実なんて誰にもわからないんです。先輩ともう一度会って、お母さんが傷つくかどうかなんて、決められるのは先輩じゃなくて、お母さんのほうなんじゃないですか?」
「……っ」
「いまここで、先輩だけが見つけられる”答え”があるとしたら、それは先輩自身がお母さんのことをどう想っているか――それだけだと思います」
「おれ、は……わからない。母さんの心も、自分自身の心も」
「だったら――」
ぼくは引き戸に手をかけたまま動かない先輩の手に、自分の手を重ねた。
「2人で背負いましょう!」
「お前……」
「覚えてますか、童咋町でカナタくんが話してくれた”おびくにさま”のこと。サユちゃんと2人でコインに指を乗せたら、ひとりでに動き出して。カナタくんはサユちゃんが動かしたと思って顔を見ると、サユちゃんも驚いた顔でカナタくんを見ていた。結局”おびくにさま”は実在して、超常の力がコインを動かしたのか。やっぱりどちらか1人がコインを動かしたのか。最後まで謎は解けませんでしたよね」
「ああ、そうだな。あの2人がわからない以上、真実は謎のままだ」
「このまま2人で引き戸を開けたら、どっちが開けたのかわからない。謎のままになっちゃいますね。ぼくは自分が開けたなんて絶対言いませんから。先輩のせいにしちゃうつもりです」
「なっ……」
「先輩もぼくのせいにしちゃっていいんですよ。この先に何が待っているのか、荷物が重くて進めなくなったときは……はんぶんこにしちゃえばいいんです」
「ね?」ぼくは先輩に笑いかけた。
先輩もぼくを見る。泣きそうな顔でうつむいて、
「お前がいてくれてよかった」
顔を上げた。今度は、決意を込めた目線で扉を見つめている。
うん。これでこそ先輩だ。もう、大丈夫かな。
先輩に頷きかけると、彼の唇が小さく動いて――
「ありがとう――
「え――いま先輩、ぼくの名前……」
「なんでもない。空耳だろう。『母の呼び声』事件でも似たようなことを言っていたが、アレも得体のしれない悪霊の仕業だったんじゃなかったか?」
「えーイジワル! もう一度言ってくださいよぉー!」
「はいはい、また今度な」
「また」。先輩は確かにそういった。そっか、「また」かぁ。
だったらその時を楽しみにしておこうかな。
完全に緊張がほぐれたのか、先輩はいつもの冷静な調子で引き戸に力を込めた。
「じゃあ、開けるぞ」
「はい!」
扉は開く。
ぼくなのか、先輩なのか。
どちらが開けたのかは、わからない。
この先に何が待ち受けているのかも、誰も知らない。
ぼくたちは神様じゃないから。
未来のことなんて、誰にもわからないんだ。
先輩とお母さんはまた傷つけ合うのかもしれない。
もしかしたらあっさり和解してしまうのかもしれない。
だけど扉を開かなければ、どちらの未来にもたどり着けないんだ。
だから扉を開く。
前に向かって歩いてゆく。
2人で、隣り合って、寄り添い合って。
ぼくらは進んでゆく。未来に向かって。
この世界に確かな真実なんて存在しない。
全てが謎だらけ、だけどそれは――それこそが希望なんだから!
ΦOLKLORE:
先輩のお母さんのお見舞いを終えて、夜。
ぼくは帰宅した。
いろんなことがありすぎた。
早くご飯食べてお風呂に入って眠りたい。
え、先輩とお母さんがどうなったって?
それは秘密、うん。ご想像にお任せします。
ぼくだけが知ってる、先輩と2人だけの秘密なのです。
「ただいまー」
力のない声と共にアパートのドアを開けて入った。
すると、
「おかえり、あーちゃん」
返ってきた声は、お母さんのモノじゃなかった。
「え……?」
びっくりして声のした方向を見ると、立っていたんだ。
ぼくが。
というか、ぼくの2Pカラーが。
「あの……どなた、ですか?」
おもわずかしこまって聞いてしまう。
そこにいたのはぼくと全く同じ顔、同じ体型の女の子だった。
違うのは色だけで、肌は褐色、瞳は赤、髪の毛は真っ白で腰まで伸びている。
無邪気な笑顔とともにててて、とぼくに駆け寄ってくる。
「やだなぁー、どなたなんて水臭いよーー
「ぼくの妹……って、もしかしてキサラなの!?」
「そうでーす! キサラでーす! やったー、ビックリ大作戦せいこーう!」
「どどどどうして現実世界に……ていうかその身体どうやって」
「うーん、キサラもよくわかんないんだけどね」
キサラの推測ではこうだった。
ぼくが先輩の魂を現実世界に連れ帰った時、先輩が存在する世界にこの世界が再び上書きされた。
その時、ぼくと共にあったもう一つの魂であるキサラもまた、この世界に実在するよう上書きされたんだとさ。
あーもう……なんでもアリですか、”Φの世界”。
「おかえりあーちゃん。ご飯できてるよ」
まずい、台所からお母さんが出てきた。
キサラを見られたら――焦り始めるぼく。
だけどキサラは「わーい!」と楽しそうにお母さんに駆け寄った。
「お母さん、今日のごはんはなにっ? なにっ?」
お母さんに抱きついてぴょんぴょん飛び跳ねるキサラ。
「今日はキサラの大好きなハンバーグよ。よしよし、キサラは可愛いわねー♡」
「ハンバーグ! キサラね、お母さんだーいすき!」
「お母さんも大好きよー♡」
「は?」ぼくは顎が外れそうなくらいにあ然としていた。
そ、そうか。あとになって理解が追いついてくる。
キサラが実在する世界、つまりそれは――ぼくの妹として最初から存在していたことになっているってことなんだ!
姉であるぼくよりも遥かに可愛がられているキサラを見て、ぼくは。
「はぁ」
ため息をつく。
だいたい、元々肉塊生物だったキサラの好物がハンバーグってブラックジョークすぎない?
なんて不謹慎な思考まで浮かんでしまう。
「あーちゃん、はやくはやく!」
「あ、ちょっとまだ手も洗ってないから!」
ぼくの手をひいて食卓に向かうキサラ。
なんだか彼女の嬉しそうな顔を見ていると……。
これでいいか、なんて気になってきた。
キサラは幸せを見つけられたんだ。この世界で。
うん、だったらキサラにはこう言ってあげるべきだよね。
「おめでとう、キサラ」
☆ ☆ ☆
先輩は無事帰ってきた。
それだけじゃない、今ではキサラも加えて、ちょっとだけ図書準備室は賑やかになった。
「センパーイ、キサラはヒマなのでーす、あそんで欲しいのでーす」
「めんどくさいのが2人に増えてしまった……」
「先輩今ぼくのことめんどくさいって言いました!?」
ベタベタと先輩に頬ずりしたり抱きついたりしてダル絡みするキサラ。
先輩はというと、ソファで優雅にラノベを読んだりしている。
ぼくだけが忙しく依頼のメールをチェックして、返信を打ち込んだり、記録を書いたりしていた。
「ていうかキサラ、先輩にベタベタしすぎです! 先輩もキサラにデレデレしないでください!」
「で、デレデレなんてしてねぇよ!」
「しかたないもーん、キサラはお姉ちゃんと同じ身体を手に入れて、超絶激カワ美少女になったのです。センパイもメロメロリンなナイスバデーなのです!」
ドヤ顔でセクシーポーズをキメるキサラ。
そんな彼女に先輩は冷ややかな視線を向けて、
「いや、ナイスバディは無理あるだろ」
「ちょっと先輩!? それぼくにも刺さってますからね!?」
そんな風にぼくらの日常は続いてゆく。
いつもどおりだけど、ちょっとだけ変わった世界。
「――むむむ、先輩、キサラ! このメールを見てください!」
「なになに、心霊スポットで巨大なマンボウの霊を視た? くだらなさすぎて逆に気になるな……」
「すっごーい! マンボウの幽霊なんてキサラ見たことないよ、今すぐ探しに行こうよ!」
ぼくたちは生きていく。
真実なんてわからない、謎だらけの世界で。
これからも世の中の不思議な事件や謎を追いかけ続ける。
不確かな噂話とか、村に伝わる不気味な言い伝えとか、曖昧な目撃情報とか。
大人になる時に捨ててしまった、大切な思い出とか。
そういう正体不明の謎を、ぼくらは総じてこう呼んだ。
ΦOLKLORE(フォークロア):オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー
THE END.
◯あとがき
これにて本作は完結です。長く続いた本シリーズも一区切りとなります。
まずはここまで読んでくださった皆様にお礼が言いたい。
本当にありがとうございました。
本作は私が初めて書籍化を目指して気合を入れて制作した連載作品だったのですが、あまり結果は芳しく無く……数字的には目標を達成することができませんでした。
連載途中、落ち込んでモチベーションが下がったり、体調不良になって連載が止まってしまったこともありました。
しかしこれまで読んでくださった皆様の感想を糧に、そして自分自身がこの作品が大好きだという気持ちを原動力に、こうして最終回までたどり着くことができました。
結果的に本作は私にとって最長の連載作品となり、最も思い入れの強い作品となりました。
最終話を書き上げた時、泣きそうになってしまった経験は初めてです。
本当はもっと長い構想があって、未回収の伏線もあって、思い入れができたキャラクターたちをもっともっと活躍させてあげたい気持ちもあります。
だけど一旦はここでお別れです。
本作を連載し、うまくは行かなかったかもしれないけど完結させたことで、書き手としての自分の成長を感じることができました。その成長は次回作に活かしていこうと思っています。
長々と語るのは余韻を消してしまうので、最後にお願いです。
本作を読んで何かを感じてくださった方は、簡単でもいいから何か反応していただけると幸いです。
レビューなんてハードルの高いモノじゃなくても(でもカクヨムのシステム上☆評価はしてもらえるとありがたいです……)、短い感想とか、ブクマとかいいねとか、SNSやブログに読了の書き込みをするとか、拡散するとか……。
なんでもいいんです。この作品もよくあるWeb小説の一つとしていつかは埋もれてしまうかもしれない。たぶん忘れられていくと思います。それでも、読んでくれた人がこの物語について何かを語ってくれる限りは……。
この物語も存在し続けることができる、そう思っています。
追記:もしも都市伝説の謎を追う新たなアイデアと物語が思い浮かんだら、連載という形ではなく、本シリーズの新作を再び短編という形で投稿するかもしれません。
その時はまた先輩とあーちゃんと(もしかしたらキサラと)一緒に”謎解き活動”を楽しんでくださいね! ではではー!
ΦOLKLORE(フォークロア):オカルトマニアのぼくっ娘と陰キャオタクな先輩のラブコメホラー 大萩おはぎ @OHG_umai_man
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