リリーは夢を見た。

若き日のお師匠様――白魔女カサブランカが、両腕を広げて立っており、そこに幼い日のリリーが飛び込んでいく。現在のリリーは、それを静かに見守っている。

『リリー。遠回りでも、あんたは対価を払い終えた』

 お師匠様が「こちら」を見てそう言った。お師匠様! そう言いたかったけど、声が出ない。禁じられていた。

『お前はちゃんと、あたしの手助けなしに、自分でことを成し遂げた。誇りに思う。でもね、……スナオはやめとけ』

……え?

『それでもあいつを選ぶって言うんなら止めないがね。あいつは、お前のことを好ましく思ってる。チャンスはなくもない』

……何言ってるんだこのひと。

『達者でやりな。リリー。私の可愛い娘。……幸運を』



 翌朝、リリーは盛大に寝過ごした。

「ひやあごめんなさい! 直生すなお!」

 ぼさぼさの髪の毛のまま喫茶スペースへ飛び出すと、見たこともないくらい大量のお客が座ってリリーを見た。どこからか直生がすっ飛んできて、リリーを部屋に押し戻す。

「おはよ。なんだか知らないけど、モーニング希望のお客様がたくさんいるんだ。マサ子さんの手も借りたいしリリーさんの手も借りたい。わかる?」

 リリーはこくこくと頷いた。やるべきことが山積みなことは、さっきの光景だけでよくわかっていた。

「が、頑張ってみる」

「まず髪の毛なんとかして、それから出てきて」

「わかった……」


 それから直生とリリーは馬車馬のように働いた。モーニングのセットを運んではお皿を下げ、コーヒーを運んでは下げ、キッチンスペースと喫茶スペースを何往復したかしれない。

「モーニングセット、お待たせしました!」

「モーニングまだ?」

「ただいまお持ちします!」

 率直に「マサ子さんの手も借りたい」状態だ。けれども、明らかに人が足りない様子を眺めていたお客が帰るより先に、マサ子さんはそれを読み取ったかのように足元にすり寄って、帰りかけたお客を席へ押し戻す。すでにマサ子さんは看板ネコとして働いているのだ。

 リリーはそんなマサ子さんの様子に気づいていたから、懸命にモーニングを運んだ。

「お待たせいたしました! モーニングセットです!」

 怒涛の午前が過ぎるころ、レジに立っていた直生が、ニコニコしながらリリーに告げた。

「売れたよ、昨日作った全部」

「嘘!?」

「名前の通りの性格だから、嘘はつかない」

 直生は計算した。電卓を持ってきて、リリーに説明した。ブレスレットの売り上げ、マイナスリリーが壊してしまったお皿の代金とナポリタンとクリームソーダの代金。それでも1000円残ると。

「……つまり?」

「対価はじゅうぶん頂いた。リリーさんは、魔法界に帰れます。やったー!」

 ぱちぱち、と乾いた拍手が響き渡る。リリーは他人事のようにそれを聞いていた。

帰れる。つまり、それはリリーが直生やマサ子さんのもとを去るということ――喫茶「ろまん」を去るということだ。

「うれしくないの?」

にこやかな直生が問う。

「……そんなわけない。うれしいわよ。でも、……なんか」

……さみしいのが自分だけなのが、悔しかった。


「なんか、クリームソーダを飲みたい気分だわ」

「六百円になります」

「……うん」

 鮮やかな緑のメロンソーダを注ぎ、そこへ真っ白なバニラアイス。さらに真っ赤なチェリーのシロップ漬けを添えて。冷たくしたアイス用のスプーンで、バニラアイスを掬って食べる。しゅわしゅわと、炭酸が口の中に広がる。

 魔法みたいな味、とリリーは思った。それから、ちょっとだけ泣きそうになった。

「――これ、もう一杯頼めば、もう少しここにいられるね」

直生が言った。どんなつもりで言ったのかはわからなかった。

「まさか。この一杯で十分よ」

「……そうだね」

 直生はずっとリリーを見ていた。リリーは、魔除けのタイガーアイにそっくりな、クリームソーダを眺めていた。


「……ごちそうさま」

「おそまつさまでした」


 破けたストッキングに足を通すとき、きっとまた「ろまん」のことを思い出すに違いない。リリーは静かに、季節外れの制服に袖を通していく。防寒対策の行き届いた制服は息苦しくて重たかった。

 喫茶店の出口で待っていたふたりは、久々の魔女の登場に目を細めた。

「リリーさん、元気で」

「直生もね」

「僕、リリーさんのこと忘れないから」

「……私も」

 リリーの眦が、とうとう溶けた。

「私も、あんたのこと、忘れたりしてやらないんだから」

 汗だ、汗だと言い聞かせるリリーを、直生が抱きしめる。

「また会いに来て」

 硬直する体に、優しい声が染みわたる。

「おじいちゃんになっても待ってるから。会いに来て」

 リリーは魔法陣を展開させた。詠唱を省略し、直生を突き飛ばして、泣きながら叫んだ。


「考えてやらないこともないわよ!! バカ!!」




「あのこ、最後までわたしの存在にきづかにゃかったわねぇ」

「無理だよ、おばあちゃん。人間も魔法使いもやめて、マサ子さんになってから、ただの猫になっちゃったんだから」

「ただの猫はしゃべらにゃい」

「そうだったそうだった」

「ところで、どうなのさ」

マサ子さんは孫に尋ねた。

「うん? リリーさんのこと?」

「好きなのかい」

「うーん……それは言えないなあ」


 マサ子さんは――ふっとため息をついた。弟子と孫の未来までは、さすがに元大魔女にも見通せないらしい。

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魔女見習いとクリームソォダ~喫茶「ろまん」にようこそ~ 紫陽_凛 @syw_rin

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