5
リリーは夢を見た。
若き日のお師匠様――白魔女カサブランカが、両腕を広げて立っており、そこに幼い日のリリーが飛び込んでいく。現在のリリーは、それを静かに見守っている。
『リリー。遠回りでも、あんたは対価を払い終えた』
お師匠様が「こちら」を見てそう言った。お師匠様! そう言いたかったけど、声が出ない。禁じられていた。
『お前はちゃんと、あたしの手助けなしに、自分でことを成し遂げた。誇りに思う。でもね、……スナオはやめとけ』
……え?
『それでもあいつを選ぶって言うんなら止めないがね。あいつは、お前のことを好ましく思ってる。チャンスはなくもない』
……何言ってるんだこのひと。
『達者でやりな。リリー。私の可愛い娘。……幸運を』
翌朝、リリーは盛大に寝過ごした。
「ひやあごめんなさい!
ぼさぼさの髪の毛のまま喫茶スペースへ飛び出すと、見たこともないくらい大量のお客が座ってリリーを見た。どこからか直生がすっ飛んできて、リリーを部屋に押し戻す。
「おはよ。なんだか知らないけど、モーニング希望のお客様がたくさんいるんだ。マサ子さんの手も借りたいしリリーさんの手も借りたい。わかる?」
リリーはこくこくと頷いた。やるべきことが山積みなことは、さっきの光景だけでよくわかっていた。
「が、頑張ってみる」
「まず髪の毛なんとかして、それから出てきて」
「わかった……」
それから直生とリリーは馬車馬のように働いた。モーニングのセットを運んではお皿を下げ、コーヒーを運んでは下げ、キッチンスペースと喫茶スペースを何往復したかしれない。
「モーニングセット、お待たせしました!」
「モーニングまだ?」
「ただいまお持ちします!」
率直に「マサ子さんの手も借りたい」状態だ。けれども、明らかに人が足りない様子を眺めていたお客が帰るより先に、マサ子さんはそれを読み取ったかのように足元にすり寄って、帰りかけたお客を席へ押し戻す。すでにマサ子さんは看板ネコとして働いているのだ。
リリーはそんなマサ子さんの様子に気づいていたから、懸命にモーニングを運んだ。
「お待たせいたしました! モーニングセットです!」
怒涛の午前が過ぎるころ、レジに立っていた直生が、ニコニコしながらリリーに告げた。
「売れたよ、昨日作った全部」
「嘘!?」
「名前の通りの性格だから、嘘はつかない」
直生は計算した。電卓を持ってきて、リリーに説明した。ブレスレットの売り上げ、マイナスリリーが壊してしまったお皿の代金とナポリタンとクリームソーダの代金。それでも1000円残ると。
「……つまり?」
「対価はじゅうぶん頂いた。リリーさんは、魔法界に帰れます。やったー!」
ぱちぱち、と乾いた拍手が響き渡る。リリーは他人事のようにそれを聞いていた。
帰れる。つまり、それはリリーが直生やマサ子さんのもとを去るということ――喫茶「ろまん」を去るということだ。
「うれしくないの?」
にこやかな直生が問う。
「……そんなわけない。うれしいわよ。でも、……なんか」
……さみしいのが自分だけなのが、悔しかった。
「なんか、クリームソーダを飲みたい気分だわ」
「六百円になります」
「……うん」
鮮やかな緑のメロンソーダを注ぎ、そこへ真っ白なバニラアイス。さらに真っ赤なチェリーのシロップ漬けを添えて。冷たくしたアイス用のスプーンで、バニラアイスを掬って食べる。しゅわしゅわと、炭酸が口の中に広がる。
魔法みたいな味、とリリーは思った。それから、ちょっとだけ泣きそうになった。
「――これ、もう一杯頼めば、もう少しここにいられるね」
直生が言った。どんなつもりで言ったのかはわからなかった。
「まさか。この一杯で十分よ」
「……そうだね」
直生はずっとリリーを見ていた。リリーは、魔除けのタイガーアイにそっくりな、クリームソーダを眺めていた。
「……ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
破けたストッキングに足を通すとき、きっとまた「ろまん」のことを思い出すに違いない。リリーは静かに、季節外れの制服に袖を通していく。防寒対策の行き届いた制服は息苦しくて重たかった。
喫茶店の出口で待っていたふたりは、久々の魔女の登場に目を細めた。
「リリーさん、元気で」
「直生もね」
「僕、リリーさんのこと忘れないから」
「……私も」
リリーの眦が、とうとう溶けた。
「私も、あんたのこと、忘れたりしてやらないんだから」
汗だ、汗だと言い聞かせるリリーを、直生が抱きしめる。
「また会いに来て」
硬直する体に、優しい声が染みわたる。
「おじいちゃんになっても待ってるから。会いに来て」
リリーは魔法陣を展開させた。詠唱を省略し、直生を突き飛ばして、泣きながら叫んだ。
「考えてやらないこともないわよ!! バカ!!」
「あのこ、最後までわたしの存在にきづかにゃかったわねぇ」
「無理だよ、おばあちゃん。人間も魔法使いもやめて、マサ子さんになってから、ただの猫になっちゃったんだから」
「ただの猫はしゃべらにゃい」
「そうだったそうだった」
「ところで、どうなのさ」
マサ子さんは孫に尋ねた。
「うん? リリーさんのこと?」
「好きなのかい」
「うーん……それは言えないなあ」
マサ子さんは――ふっとため息をついた。弟子と孫の未来までは、さすがに元大魔女にも見通せないらしい。
魔女見習いとクリームソォダ~喫茶「ろまん」にようこそ~ 紫陽_凛 @syw_rin
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