第5話 「熱いシャワーも用意するわ」
人攫いから助けた少女のピリンは、人の手を借りないと真っ直ぐ歩くことも難しいようだ。
丈の長いワンピースから僅かに覗く足は、呪術師によって刻まれた呪いの文字で埋め尽くされている。この呪いは、5年前からずっとピリンを不自由にしているらしい。
「スピウスは、妹が呪われている事を知っていたの?」
「……呪いをかけられた時、俺は一番近くにいた。何もできなかったけどな」
依人はピリンをちらりと見た。彼女は慣れない足を動かして、懸命に山道を歩いている。
数時間前から降り出した雨で、足元はかなり悪かった。身体は冷え、濡れた服や髪が鬱陶しい。依人は一刻も早く山を登り『夜ノ街』に到着したかったが、ピリンが加わることで、その足並みは牛歩のごとくゆっくりになった。
依人のやるせない苛立ちを感じてか、カナリアがわざとらしく明るい声を上げた。
「ねえ見て、下は海だわ! でも残念。雨のせいで、見晴らしは良くないわね」
そう言って、海をよく見ようと小走りに駆け出したカナリアの足元が、怪しく光り、光ったところから地面が次々に崩れていった。見ると、地面にピリンの足に刻まれているものと同じ文字が、びっしりと並んでいた。
「呪術!? さっきまでなかったのに!」
カナリアの身体が、一瞬浮く。それも束の間、彼女が伸ばした手は空を切り、地盤と共に山を滑り落ちてゆく。
「カナリア!」
追いかけようとするスピウスの肩を、依人が抑えた。
「待て、俺が行く! お前はピリンの側に居てやれ!」
目の前が崩れて崖となった場所から、飛び降りるように駆け出し、依人は空中でカナリアを捕らえた。
2人はそのまま、悪天候で荒れる海へと落ちた。飛沫が上がり、耳元でゴボゴボと泡が立つ音がする。
海水は氷のように冷たく、なんとか水面に顔を出すも、落ちた衝撃でうまく呼吸ができない。
近くの岸は崖になっており、這い上がるのは不可能だろう。助けを求めて叫んでみるも、依人の声は雨音にかき消されてしまう。
そうするうちに、体温はどんどん無慈悲な海に奪われてゆく。
「……ヨリト、ごめんなさい」
どのくらい経っただろうか。依人にピッタリと抱きついているカナリアが、悲痛な声で囁いた。
「カナリアの……せいじゃないさ。あれは山道を歩く誰もが、罠に……かかるようになっていた」
かじかんでうまく口が回らず、代わりに慰めるようにカナリアの肩を抱いた。その肩は、震えていた。やはり寒さ故だろうか、なんとかしなければならない。
依人は切り立った崖を登れないかと目を凝らした。すると、遠くの崖の一部に岸に続く足場ができているのを見つけた。奇跡だ! これを登っていけばいい。
「足場がある! あれを登って、上に行こう!」
2人は必死で海の中をもがきながら、足場の下まで泳いでいき、震える手でそのはしを掴んだ。
足場は鉄の杭が等間隔で打ってある簡単なもので、岸までは数十個もの足場がはしごのように作られていた。
普段なら軽々と登っていけるような高さでも、冷水に蝕まれた身体は言うことを聞かず、やっとの思いで陸地に上がった2人は、そのまま倒れ込んでしまった。
「ちょっとあなた達、大丈夫?」
聞き慣れない声がして、依人は顔を上げた。声のした方を見ると、小さな家が見え、長い髪の人影がこちらに向かってきている。
その人は、倒れている2人の元まで来ると心配そうな表情を向けた。切れ長の目。小さな唇。ピンクの髪飾りと同じ色のタイトスカート。まるでモデルのように美しく整った女性だった。
「このままだと風邪をひいてしまうわよ。私の家がすぐそこなの。一度寄ってはいかが? 熱いシャワーも用意するわ」
熱いシャワー……。
「お言葉に甘えても、いいですか」
ここがどこかも分からず、この女性とも初対面だ。しかしずぶ濡れの依人は、シャワーの誘惑に抗うことはできなかった。
一応隣を見たが、カナリアもネジの外れた首振り人形のようにコクコクと頷いていた。
プロポーズは冒険の先で レクト @lectori
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