12月24日の彼ら
「もう無理、もう死ぬ! 今年こそ今日こそ、今この瞬間にこそ俺は死ぬ!」
フローリング張りの床の上をドタバタと走り回りながら、ともすれば垂れそうになる洟を啜りあげる余裕もなく、男は首を振り振り喚き立てる。
ただでさえボサボサの髪は荒れに荒れて枝毛だらけ、頬は汚らしい無精髭が伸びっぱなし、吊り上がり気味の目は真っ赤に充血し、上下不揃いのスウェットはヨレヨレの皺だらけという風体が、男の切迫ぶりを物語っているかのようだ。
突っ掛けたスリッパが裸足からすっぽ抜け、口に歯ブラシを加えたまま前方へと豪快に吹っ飛ぶが、額から冷蔵庫に衝突したため転倒だけは免れた。
「ぁっがぁあぁぁぁ……!」
その場に崩れ落ち、見る間に赤く腫れ上がる額を両手で押さえ、天井を仰いで悶え苦しむ男。騒ぎを聞きつけ、やはりバタバタと足音を立てながら顔を覗かせたのは、年若そうな茶髪の青年である。涙目の男を目に留めるや、雷を落とすように容赦なく怒鳴りつける。
「何をやってるんスか、何を? 一人コントなんてしてる暇があるんスか、今何時だと思ってるんスか!」
「第一声がそれかよ、この冷血漢! 心配の一つや二つしたってバチは当たらないだろ!」
「今、何時だと、思ってるんスか?」
両腰に手を当てた青年に刺し殺されそうな視線で睨まれ、男は「あ?」と間の抜けた声を上げつつテレビの上の置時計を見た。瞬時にザァと血の気が引く。
「っあぁぁぁっ!」
口から泡を飛ばしながら弾かれたように立ち上がり、もう一方のスリッパも脱ぎ捨てて猛然と走り出す男。青年は巨大な段ボール箱を両手で抱えたまま、部屋中を駆けずり回る男に小言を浴びせかける。
「叫んでる暇も無いっスよ、今すぐ顔洗って口ゆすいで、髭剃って髪とかして着替えてください!」
言われるがまま、男は顔に冷たい水道水をぶっかけ、同時に口を漱ぎ、シェーバーで何日ぶりかに髭を剃る。こんがらがった髪をブラシで滅茶苦茶に引っ張って、散らかりきった洗面所を後にした。
スウェットと襟回りがすっかり黒くなったアンダーシャツを、生活空間と仕事場の境目が無くなった床の上に片っ端から脱ぎ捨てたはいいが、あまりの寒さに震えあがった。青年が抜かりなく用意しておいた分厚いセーターとズボン、毛糸の靴下を抱え、ヒーターの前へいそいそと移動する。もっこもっこと着膨れしながら、大声で台所に呼びかけた。
「俺の飯は? 飯飯飯っ」
途端、台所から勢いよく飛んで来たのは、パッケージに「十秒チャージ」と謳われたゼリー飲料。側頭部にクリーンヒットした腹に溜まりそうもない冷たい「俺の飯」を握りしめ、男は絶望的な声を上げる。
「働けるかあぁぁぁ!」
「そんな暇あるかあぁぁぁ!」
苛立ちも露わな怒声とともに、今度は分厚いコートとスキーズボンが吹っ飛んでくる。時計を見れば確かに、悠長に食事をする時間などあるはずもない。薄いレモン味のゼリーをじゅじゅじゅ、と吸い上げながら、男は半泣きの体で太いベルトをぎゅっと締めた。
ここしばらくの修羅場で荒れ放題となった炬燵の回りを掻き分け、必要なものを全て拾い上げる、もしくは発掘していく。たった一つでも忘れようものなら台無しだ。
「作業場の荷物は全部詰め込みました。おにぎりも一緒に入ってますから、移動しながら食べてください」
早口にそう告げる青年もまた、分厚い衣類をしっかりと着こみ、すでに戸締まりに取り掛かっている。使用済みの皿がシンクに溢れ返った台所を放置するなど、几帳面な彼が許容できる状態ではないだろうに、「片付けはあと」と割り切ったらしい。ガンガンと踵で床を叩きながら足をブーツに押し込みつつ、男は口を唇を尖らせながら、青年の背中へ向けて小さく頭を下げた。
「助かる」
結露の浮いたノブを回して玄関扉を開ければ、身を切るような冷たい夜気とともに、ちらちらと小雪が舞い込んだ。
――思えば割に合わない仕事である。利益など無いに等しいのに、この時期、特にこの一晩の忙しさときたら、男と青年が何人いても足りないほどで。
けれど、辞めたくはないのだ。
雪の舞い散る寒空の下へ、一歩踏み出した。真っ赤な上着に真っ赤なズボン、真っ赤な帽子。白い大きな布袋を背負い、男は分厚い手袋で両頬を叩く。白い息を盛大に吐きながら、よし、と気合いを入れた。
「準備はいいな? 行くぜ、トナカイ!」
「ハイ! みんなが待ってますよ、サンタさん!」
ぱかりと開いた携帯電話の液晶画面が、現在時刻二十一時を告げる。
今夜こそ、彼らの一年の集大成だ。
365日の彼ら 完
365日の彼ら 秋待諷月 @akimachi_f
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