11月23日の彼ら

 足の踏み場も無い、とは、まさにこの環境のことだ。

 FAXの受信音が鳴り止まない。次から次へ止めどなく排出される感熱用紙は、収まりどころを見失って山崩れのように床へと流れ落ちる。

 開封もされないまま積まれた大量の段ボール箱が室内の空間という空間を占拠して、その存在感でもって「いつになったら開けるんだ?」と無言のプレッシャーをかけてくる。

 机上に床に散乱する付箋まみれの商品カタログ。同じく散乱する書類と郵便物と、食べ散らかされた菓子袋。

 紙と箱とゴミの山に半ば埋もれる、着古したスウェット姿のボサボサ髪の男は、視線は納品書にべったりと貼り付けたまま、口いっぱいに貪っていたチョコパイを飲み込んで呟く。

「クリスマスなんて廃止されればいいのに」

 その傍ら。左手で鷲掴んだ書類束とパソコンの画面を交互にチェックする、深緑色のケーブル編みニット姿の青年は、怒涛の勢いでテンキーを叩きながら冷淡に返す。

「廃業する気なら、僕の失業保険の手続きは忘れないでくださいね」

 ボサボサ髪の男は首をゆっくりと九十度回し、すでに虚ろになりかけている瞳でもって青年をじとりと睨めつけた。

「真っ先に出てくるのが失業後の心配かよ。そこは、ほれ、クリスマスが無くなったら世界中の子どもたちが悲しみますよ、とか。うまいこと言って上司を鼓舞してくれよ」

「クリスマスが無くなったら、日本中の企業がこぞって新しいイベントを打ち出して、街はますます浮かれたカップルだらけになりますよ」

「分かった、意地でもクリスマス存続の方向で」

「その意気っス」

 チョコパイの袋をぽいと床に放り出し、男は納品書との睨めっこを再開するが、今の中断で集中が切れてしまったらしい。十秒と経たずして新しいチョコパイの袋に手を伸ばしつつ、青年へと視線を向け直す。

「さっきの、リア充の発言だと思うとムカっ腹立つな。最近どうなんだよ? あの、ゆるふわ系の可愛いカノジョとは」

 男からすれば、現実逃避と軽い揶揄心で振った話題である。だが、これまで休まず数字を入力し続けていた青年の右手が、不意に静止したかと思うと。

「今年も来年以降もずっと、クリスマスは仕事で会えないって伝えたら、フラれました」

 画面から目を離すことなく、青年は淡々と告げた。

 室内に響く様々な機械音の中から、テンキーの入力音だけが完全にミュートされる。口にチョコパイをくわえたまま動作を停止した男と、キーボードに指を添えたまま動作を停止した青年の間に、気まずい空気がどよりと流れ。

「俺が悪かった」

「謝罪は要らないんで、仕事してください」

 冷え冷えとした謝罪と赦免を合図に、二人は再び黙々と、各々の作業に没頭するのだった。




 清々しく晴れた、祝日の昼過ぎである。窓の外の日差しの明るさはいかにも行楽日和だが、うず高く積まれた荷物に日光が遮断されているため、晴れ晴れしい気分にはほど遠い。時折外から聞こえてくる、近所の子どもたちがはしゃぐ声が、今日が暦の上では休みであることを嫌でも実感させてくれる。

 祝日の恩恵に与れない仲間である宅配業者が先ほど届けてくれたばかりの段ボールを開封し、納品書の日付を見るや、ボサボサ髪の男は「あー」と嘆息混じりの呻き声を漏らした。

「なんの休みかと思ってたら、勤労感謝の日じゃねぇか。あくせく働くなんて悪行愚行だ、素直に感謝されて休みにしようぜ」

「勤労感謝の日のルーツは『新嘗祭にいなめさい』であって、収穫祭みたいなものなんだぞ、って、前に講釈垂れてた気がするんスけど」

「それはそれ、休みは休みだろ。時代は変わる。農業に限らずとも勤労は尊い」

「後半には同意っスけど、前半は容認しかねるっス。今日が勤労感謝の日ってことは、来月の明日はクリスマスイブってことで、それまでに間に合わせないと、来年の今日は感謝される権利すら消失しかねないっスよ」

「聞こえない聞こえない聞こえない。あー、なーんも聞こえなーい」

 青年の真っ当な説教から逃れるべく、男はその場に座り込み、体を丸めて両耳を塞いだ。しかし、そんなガードなどなんの役にも立たない音量で仕事場に鳴り渡る、インターホンの呼び出し音。二人はうんざり顔で玄関を見やった。

「また宅配便っスかね」

「ああもう。こんな祝日なら、無い方がマシだってんだよ」

 悪態づきながら立ち上がり、散乱する書類と荷物に足を取られながら玄関に辿り着いた男は、靴箱の上のネーム印を掴みとって扉を開け。

 開けた瞬間、ぎょっとして立ちすくむ。

 猫の額ほどしかない玄関先には、見知った顔ばかりが十人以上も集結し、男が出てくるのを今や遅しと待ち構えていた。

「なんて小汚い格好してるのよ。予想どおり過ぎて驚きもしないわ」

 キャリアウーマン風の気の強そうな女は、ボサボサ髪の男の出で立ちを上から下まで眺め、両腰に手を置いて呆れ返る。

「だから前から言ってるのに。繁忙期だけでも俺っちを雇ってくれれば即戦力だよ、って。サンタも泥棒も似たようなもんなんだからさ」

 でっぷりとした腹の中年男が、身を乗り出しながら歯を剥いて自信満々に己を指し示す。

「従業員も足りていないようですが、それ以上に必要なのは、あなたの身なりを気にしてくれる女性の存在だと思いますね。仲人でしたら喜んで引き受けますよ」

「同感だな、この事務所には華がない。そうだ、僕の愛しの彼女がバラの花束を持って微笑んでいる写真を飾るのはどうだろう? ただし惚れても無駄だからな!」

 顎髭を生やした禿頭の初老男性と、金髪巻き毛の筋骨逞しい青年が、真剣そのもので迷惑千万な提案をすれば。

「そんな的外れのお節介をするくらいなら、みんなで一緒にお掃除をしてあげたほうがいいんじゃないかしら。こんな汚いお部屋じゃあ、捗る仕事も捗らないでしょうに」

「うむ、姫の言うとおりだな。人手が足りないようならば、左近衛らも総動員するぞ」

 長い黒髪を括った小柄な女がにこやかに言い、その傍らの醤油顔の男が、スマートフォンを取り出しながらドンと胸を叩いた。

 ワイワイガヤガヤと、好き放題を言い立てる老若男女に、ボサボサ髪の男は口を半開きにしたまま唖然とする。騒ぎを聞きつけ、男の後ろから顔を覗かせた青年も、目を点にして言葉を失った。

「いやいやいや。お前ら、一体何しに――」

「遊びに来た!」

「おてつだいにきた!」

「俺は邪魔しに来た!」

 ようやく回り始めた男の思考をおちょくるように、スポーツ刈りの活発そうな少年が、ツインテールの可愛らしい少女が、派手な赤毛のチャラい青年が、さも楽しそうに答えては、男の横をすり抜けて仕事場へと走り込んでいく。

 反応し損ねた男が「は?」と素っ頓狂な声を上げて腰を捻ると、さらにその隙をついて、先の彼らや彼女らが、遠慮の欠片も無くズカズカと室内に上がり込んできた。

 うわ汚い、だの、相変わらず狭いな、だのと口々に感想を述べながら、仕事場を勝手に片付け始める面々を眺め、玄関に取り残された男と青年は為す術もなく立ち尽くすばかりである。

「なんなんだ?」

「なんなんスか?」

 そんなコメントしか出てこない二人の耳に聞こえてきたのは、苛立たしげな深い溜息と、噛み殺したような重低音の笑い声。男と青年が揃って背後を振り返れば、外に残っていた最後の二人が、窮屈そうに上がり込んでくるところだった。

「其方等の仕事ぶりが、あまりに心許ないのが悪い。そんな面構えで、あと一か月も働けるはずが無いだろう」

 精悍な顔立ちの坊主が、不機嫌そうに顔をしかめながら差し出してきた大きな二つの紙袋には、新聞紙にくるまれた根菜や菜っ葉と、どっしりとした和菓子の詰め合わせが。

「てめぇらに倒れられちゃあ、世界中のガキどもが悲しむからな」

 五分刈りの厳つい大男が、ニヤリと笑いながら突き出してきたコンビニの袋には、何種類もの栄養ドリンクと清涼飲料、山ほどのスナック菓子が詰まっていた。

 青年とボサボサ髪の男に救援物資をぐいと押し付けると、強面の男二人もまた、すでに忙しなく動き回っている彼らや彼女らの中に混ざって、ダンボールの移動や書類整理に参戦する。

 はち切れんばかりに膨れた袋をそれぞれ両手で抱え、一気に騒々しく、そして気の所為か明るくなった仕事場を、男と青年は暫くの間、ぽかんと口を開けたまま傍観していたが。

 やがて顔を見合わせて苦笑し、大量の差し入れを台所に置くと、腕まくりをしながら各々の持ち場へと戻っていった。




 Fin.

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