10月30日の彼ら

「ひょっとして、もしかすると、明日はハロウィーンか?」

「ひょっとして、もしかしなくても、明日はハロウィーンっス」

 普段着姿の買い物客で賑わう大型ショッピングセンター。季節商品売り場の一角に設けられたスペースは、黒と紫とオレンジの三色で派手やかに彩られている。

 黒い布が被せられた山型のディスプレイには、パッケージにコミカルな怪物のイラストがプリントされた期間限定菓子が絶妙なバランスで積み上がり、ラッピングやインテリアグッズ、レシピ本といった関連商品もずらりと並ぶ。

 床には五台ものハンガーラックが列を作り、子どもサイズの黒マントにカラフルなミニドレス、猫耳が付いたフードパーカーや、狼の尻尾が付いたパンツなどが吊られている。別の什器にはカボチャやドクロの被り物、お面や羽や魔法の杖といった仮装グッズたちが、面白おかしく客を魅了する。

 天井から吊り下げられた看板には、画用紙で作られた洋館とコウモリが添えられた、「ハロウィンコーナー」のポップな文字が躍っていた。

 茶色の毛羽立ったフランネルシャツに身を包んだボサボサ髪の男は、虚ろな瞳でぼんやりと、オバケを象った白や黒の風船が空調で揺れる様を見上げる。やがて、平坦な口調で淡々と呟くことには。

「もしやまさかあろうことが、明日が終わると同時にコレが綺麗さっぱり片付けられて、明後日には緑と赤と金で飾りつけられてる、なんてことはないだろうな?」

 ボサボサ髪の男の隣、白のカットソーにシンプルなベージュのカーディガンを合わせた見目爽やかな青年は、男の発言に呆れて目を側めた。

「そこまで予想がついてるなら、回避不能な未来を潔く受け止めましょうよ。どう目を背けようが明日はハロウィーンで、それが終われば、お店はどこもクリスマス商戦に早変わりっスよ」

「馬鹿言え、ガキに夢を見せるのが俺たちの仕事だろうが。現実なんて直視したら目が腐る」

「子どもたちに夢を見せるためには、まず、僕たちが現実を見なくちゃならないっス」

「あー、聞きたくない、正論聞きたくなーい」

 容赦のない現実とお小言から逃れようとしてか、ボサボサ髪の男は首を左右にぶんぶんと振る。振りながら、通路脇に積まれた買い物カゴを手に取ったかと思うと、目の前に積まれた菓子をさりげなく、かつ、軽快にぽんぽんと放り込みはじめた。

 深緑色のカゴはたちまち、チョコレートとキャンディが詰まったカボチャ型のプラスチックバケツや、白いマシュマロが入ったオバケの形の袋菓子や、カラフル過ぎる駄菓子やミニパンプキンパイやブラックペッパー味のスナックで満たされていく。

 男のあまりに自然な所作に、視認していながら認識できなかったらしい青年の脳が、かなりの時間を要してようやく警鐘を鳴らしたようだ。はっと事態に気付くや否や、眉間に深々と皺を刻むと、青年はカゴから溢れ出しそうな菓子を取り出しては、急ピッチで売り場に戻し始めた。

「今日の目的が何か分かってるんスか」

「当然。来る修羅場に向けたエネルギー源調達だろ」

「もっともらしく都合のいい目的を捏造しないでください。市場調査っスよ」

「今まさにやってるだろ。ライバルイベント関連商品の試食調査」

「最近のオモチャの流行の調査っス!」

 カゴにひたすら菓子を投入する男と、カゴからひたすら菓子を取り出す青年の戦いは言うまでもなく迷惑行為だが、周囲に他の客がいないことが幸か不幸か、見咎めた店員や警備員が肩を叩きにくる気配は無い。

 その代わり、イタチごっこに集中するあまり注意散漫になっている二人の背後から、そろりそろりと忍び寄る人影が二つ。

 口をぎゅっと固く引き結び、顔を見合わせ頷き合った人影たちは、小声で「せぇの」と息を揃えると。

「お菓子をくれなきゃ!」

「いたずらするぞ!」

 叫ぶと同時に、男と青年の背中にそれぞれ飛びつき、腕を回してギュッと抱きついた。

「うぉ」

「わわ?」

 不意を衝かれ、飛びつかれた衝撃でバランスを崩してふらつく二人。目を白黒させながら、己の背中にしがみついている何かを見極めようと体をよじる。

 ボサボサ髪の男の背中に組みつき、「へへへ」と嬉しそうに笑っているのは、薄手の長袖ボーダーシャツとハーフパンツという元気な出で立ちの、七、八歳ほどの少年。

 そして、青年の腰にしがみつき、照れくさそうにカーディガンに顔を埋めているのは、長い髪をツインテールにした、まだ五歳ほどと見える少女だった。

 襲撃者の正体を知った男は緊張を解き、「おいおい」と、口では迷惑そうに、しかし目つきは優しく、少年のスポーツ刈りをぐしゃぐしゃと撫で回す。

「ハロウィーンにかぶれたいなら、仮装くらいしてこいよ。そもそも、一日早いっつうの」

「知ってるよー。今日は明日のための買い物に来たんだもん」

「買い物って、何を?」

「決まってるでしょ。仮装グッズだよ」

 男から手を放した少年の、さも当然と言いたげな返事を受け、ボサボサ髪の男は不可解そうに、「あぁ?」と語尾を上げた。青年も目を丸くして、信じられないとばかりに首を横に振る。

「わざわざグッズを買うなんて。勿体ないっス」

「えー? じゃあ、どうやって仮装すればいいの?」

「そんなもん、自力でどうとでもできるっての。むしろ、手作りのほうが味が出るぞ」

「でもさぁ、五月人形くんの仮装、すっごくゴーカなんだもん。本物のヨロイで落ち武者をやるんだって自慢してくるんだよ」

「お前だって、本物の鯉のぼりを履くか被るかすれば、人魚か半魚人の仮装ってことで対抗できるだろ」

「やだぁ、そんなのカッコわりぃー」

 シャツの裾を両手で掴んで地団太を踏む少年を微笑ましく眺めながら、青年は「百鬼夜行みたいっスね」などと独白している。

 膝を折ってしゃがみ、少年の両頬を片手で挟み掴んでぷにぷにしながら、ボサボサ髪の男は軽く身を反らせ、青年の背後へ視線を遣った。

「で、そっちのお嬢さんは、なんの仮装をするつもりだ?」

 急に話を振られ、青年の腰にしがみついていた少女は、ツインテールとクリーム色のワンピースの裾を揺らしてピョンと飛び上がる。もじもじと顔半分だけを覗かせて、小首を傾げた。

「わ……わかんない」

「なんだ、決めてないのか。だったら、ほら、やっぱりアレだろ。バニーガール」

 よいせ、と立ち上がりつつ、男が一本指を立てて提案する。瞬間、その場の空気がひやりと冷え込んだ。頭上に疑問符を浮かべる少女少年を庇うように背後に隠しながら、青年は上司に凍り付くような視線を向ける。

「今の発言、アウトっス」

「いやいやいや、どこがアウトだよ。そのものズバリなんだから問題無いだろ」

「アウトどころか犯罪っス。通報されても文句言えないっスよ」

「そりゃ大変だぁ、犯罪者はいねがぁぁぁぁぁ!」

 真顔で言い合う二人の真横から、突如、ナマハゲのような文句を叫びながら飛び込んできたのは、ホラー映画でお馴染みのアイスホッケーマスクを付けた奇怪な人物である。

 度肝を抜かれ「わひゃあ!」と裏返った声を上げた二人の反応に満足したのか、マスクを外して満面の笑みを見せたのは、黒いパーカーを着た派手な赤毛の青年である。

「やった、驚いた驚いた。安物のマスクも馬鹿にできないな」

 値札が付いたままのマスクをディスプレイに戻しながらご満悦の青年に、男は動悸が早まった胸を片手で撫でさすりながら、目を三角にしてクレームを付ける。

「心臓止まったらどうしてくれるんだ、このカボチャ頭。明日が本番だってのに、こんなところでフラフラしてていいのかよ」

「本番って言っても、俺は特に仕事があるわけでもないし。誰かさんたちと違ってさ」

 最後の一言を強調して付け加えた赤毛の青年に、男はギリリと歯を軋ませた。それから、ふと気が付いて、足元でぽかんとしている少年と少女を見下ろす。

「こいつらにハロウィーンを教えたのはお前だな。だったらついでに、衣装の作り方くらい教えてやれよ」

「いたずらの仕方だったらバッチリ教えたぜ。な、イースター・ラビット?」

 にやにやと歯を剥く青年に同意を求められ、目を瞬かせた少女は、意を決したようにボサボサ髪の男を見上げ、たどたどしく言う。

「お、おかしをくれなきゃ、まどにタマゴをぶつけるぞ?」

「悪いこと言わねぇから止めとけ。お前にとっては普段と代わり映えしない上に、いたずらと呼ぶには悪質過ぎる」

 切なげな表情で淡々と諭しながら、男は少女の頭の上にぽんと片手を置いた。そしてそのまま、くしゃくしゃと優しく頭を撫でつつ、少女と傍らの少年に言って聞かせる。

「ショボくたっていいから、自分たちで考えて、自分たちだけで準備してみたらどうだ。それで、明日はウチにも見せに来いよ」

「見せに行ったら、ちゃんとお菓子をくれるんだよね?」

「それは、お前らの仮装の出来次第だな。おら、急がないとすぐに明日になっちまうぞ」

 ええー、と、不満げに唸る少年を適当にはぐらかすと、男は子どもたちを通路へ送り出し、ついでに赤毛の青年の背を無言でバシンと叩く。舌をぺろりと出しながらウインクする青年の顔は、「仕方ないなぁ」と言っているように見えた。

 手を振りながら笑顔で走り去っていく少年少女と、彼らを見失わないよう小走りにあとを追う赤毛の青年を見送ると、ボサボサ髪の男は「さて」と呟きつつ首肯をする。手近な箱菓子を数個まとめて鷲づかみ、腕に提げたカゴへと放り込んだ。

 放り込んだ菓子は、しかし、カゴの底に到達する前に横から伸びてきた青年の手にキャッチされて、あえなく売り場へと戻されてしまう。

「買いません」

「いや、お前な。いくらなんでも、こういう時くらい」

 けんもほろろにピシャリと言われ、さしもの男も辟易して反論を試みるが。

「そのお菓子だったら、いつものスーパーの方が安いっス。あとでどうせ寄るんスから」

 男に最後まで言わせずに、青年はさらりと告げた。

 肩透かしを食って「あ?」と脱力した男から、空の買い物カゴをすんなり奪って置き場に戻すと、青年は男を置き去りに、オモチャ売り場の方向へさっさと歩いていってしまう。

 男はしばらくの間、小さくなっていく青年の後ろ姿を口を半開きにして眺めていたが。

 買いそびれた大きなタマゴ型のチョコレート菓子をちらりと一瞥すると、一度大仰に肩をすくめてから、のろのろと歩を進め始めた。


 いつも誰かに幸せを贈る彼女に、明日は誰かから幸せが贈られるといい。

 そんなささやかな願いを、のんびりと心に過らせながら。




 Fin.

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