17. エピローグ ~ひまわりの女王~

第102話 17-0.


 実は今も病室にアマンダが来ているからと誘ったものの、四季は馬に蹴られると痛そうだからとこれを固辞し、『これでもハーレクインくらいは読んでるんだぜ』と言いながら帰っていった。

 それにしても今日は、と陽介は病室へ戻る道すがら、アマンダの態度を思い返した。

 いつもなら、大丈夫だからと断っても検査に付き添おうとするアマンダが、今日は何故か検査のお呼びがかかった時も「ああ、ゆっくり行ってきな」とあっさりと手を振り病室に残ったのだ。

 陽介にはその態度が、妙に心に引っ掛かっていた。

「それにしても……」

 中学時代の『あの思い出』を、まさか四季に話するとは思っても見なかった、と陽介はひとり、エレベータの中で顔を赤くした。

 この思い出自体、本当についさっきまで、記憶の片隅に置き忘れていたつもりになっていた。

 それが、四季とアマンダの話をするうちに、これっぽっちも意識しないまま、自然と言葉になって浮き上がってきたのだ。

 陽介としては、断じて、アマンダと彼女~確か名前は、生島裕子、だったか祐子だったか、それすらもうろおぼえだった~を重ねて見ていた訳ではない、それだけは自信を持って言い切ることができる。

 だが、心のどこかで裕子~確かこの字だったように思う~との間に存在した細やかな出来事に拘り続ける自分がいたことも確かで、ずっと若い頃には、もしもあの時裕子の『SOS』を発見出来ていればと夢想することも時折あったし、もし発見していたとしても、たかだか中学生だった自分が、果たしてどれほどの力になれただろうか、と苦笑を浮かべた事も一度や二度ではなかったのだ。

「餓鬼、か……」

 そう言えば、アマンダも最後まで『餓鬼から抜け出す』、『大人になれたかどうか』に拘っていたことを思い出し、その点では四季の言う通り、自分とアマンダとは『似た者夫婦』に違いない、と陽介は苦笑を浮かべた。

 結局、アマンダの『SOS』を読み取り、手を差し伸べることが出来たのは、裕子が背中を押してくれたから、なのかも知れない。

『今度こそ、助けてあげて』

 ぼんやりした記憶の中の裕子が、やけに明瞭に微笑んだ。

「……ってことは、今度こそ俺は、間に合ったのかな」

 そしてアマンダと関われた事で、『過去の呪縛』から陽介自身漸く解放されたのだろう、そのことも、言われてみれば確かなことに思えて、それもやっぱり、四季の言う通りなのかも知れない。

 チン、と言う電子音とともにドアが開き、エレベーターが病室のあるフロアに到着したことを知った。

 佐官用個室はこの棟の一番奥、ベイサイドにある。

 個室といっても将官用個室に比べたら広さは然程でもない、けれど窓からの見晴らしは、湾岸に林立する多くのホテルが涎を垂らして立地を羨ましがる程の絶景だった。

 まあ、絶景をのんびり眺めながら優雅に療養生活、とは言い難い、アマンダの世話焼きぶりで疲弊することもしばしば、というのが本音なのだが。

 だからと言って、それが鬱陶しいとか煩いから放っておいてくれ、なんてこれぽっちも思ってはいない。

 ふたり、互いに向けあう温かく優しい想いを確かめ合って、これからは上官と部下じゃなく、恋人同士としての暮らしが始まる、そんな矢先のこの事件で、アマンダに心配をかけてしまった、アマンダを泣かせてしまった、それに対する申し訳なさが一杯で、そしてこの療養生活の先にある、お預けを食らった『アマンダと過ごす恋人の時間』への期待も当然のことながら、胸の奥で静かに、けれど確かな熱量をもって火を灯し続けている。

 無論、未来のことはわからない。

 ふたりともが軍人、しかも高級将校で、所属する組織は大戦争の真っ只中だ。

 いつ転属になるか、そして転属した先が何処なのか。

 宇宙の最果て、いつ戦死するかも知れない最前線かもしれないし、運良く生き延びたとしても、二人の再会、恋人同士の穏やかな暮らしの再開が何年先になるのか、それすらも判らないというのが、厳しいけれど現実だ。

 だけれど、能天気な奴だと笑われるかもしれないけれど。

 きっと、きっとふたりなら大丈夫だと。

 いつかは笑って、ようご同業ひさしぶりだな元気だったかと言葉を交わし、そして何事もなかったかのように、幸せな時間を過ごしてゆける、そう信じている。

 まあ、将来のことは、今すぐ結論を出さねばならないような事でもない、これからはふたり一緒に生きていくつもりでいるのだ、時間ならたっぷりあるのだから。

 今はアマンダと過ごす時間を、例えそこが病室だとしても、大切にしなければ。

 気分を切り替えて廊下を歩いていると、行く先で、看護師が部屋から出てくるのが見えた。

「あれ? 」

 彼女が出てきたのは、確か俺の病室じゃなかったか? 

 陽介が首を傾げながら尚も歩いていくと、二曹の階級章をつけたスクラブ姿の彼女は、陽介の姿を認めると、院内では略せる敬礼の代わりに、ニコッと幼い笑顔を浮かべた。

「三佐、検査は済みましたか? 」

「ああ、薬も貰ってきたけど……。今、俺の部屋から出てきたよね? 」

 探るように訊ねると、看護二曹は笑顔で顔を一層くしゃくしゃにして身体をくねらせた。

「ああんもう! ほんっとに素敵な奥様ですよねえ、美人でスタイル良くって、その上、あんなにお優しくって! UNDASNに置いておくの、勿体無いくらい! 」

 褒めるのは構わないが、奥様はやめろ奥様は。

 さっきは大隊長にも似た者夫婦とか言われるし。

 陽介は笑いを引き攣らせながら、まずは当面の疑問を質すことにした。

「いや、その……。なにがあったんだ? アイツ、なにか仕出かしたの? 」

 二曹はわざとらしく両手で自分の口を塞ぐと、真面目な顔をして言った。

「おおっと! 思わず喋っちゃうところでした。さあさあ、後はお部屋へ入ってからのお楽しみですよ、三佐」

 彼女はさっと敬礼してみせると、くるっと背を向けた。

 が、真面目な表情は持続し難かったらしく、去っていく背中が小刻みに震えているのが判った。

「……なんだってんだ? 」

 陽介は呆然と彼女の後姿を見送っていたが、やがて踵を返し、再び自分の部屋に向かって歩き始めた。

「そう。落ち着け、落ち着け。ヤツはいつも予想の遥か斜め上を行く。判ってたことじゃないか」

 自分に言い聞かせながら歩き、自分の病室の前まで進む。

 スライドドアは閉まっていた。

 陽介は一旦立ち止まり、軽く数回、深呼吸する。

 まあ、アマンダがなにを企んだにせよ、死ぬようなことはあるまい。

 当たり前のことを改めて自分に言い聞かせて、陽介はドアを開いた。

「……あ」

 ドアを開いたら室内へ踏み込もうと浮かせていた右足は、けれどすぐに元の位置に戻り、1ミリも動かせなかった。

 右足だけでなく、身体のどこも、ピクリとも動かすことが出来ない。

 ただ、間抜けな声だけが、漸く出せた。

 それほど、驚いた。

 冷静に考えると、別にアマンダは殊更ことさら『サプライズ』を狙って採った行動ではないのだろうと思う。

 ただ、そうすべきとの考えに素直に従い、行動しただけに過ぎないと思う。

 だが、眼の前に広がる『風景』は、陽介の予想~予想の遥か斜め上を行くだろう、という予想~を簡単に飛び越えてお釣りがくるほど、直球勝負で、その上第三宇宙速度を獲得して遥か太陽系外へ飛び出さんばかりの飛距離を稼ぎ出していたのだ。

 それほど、驚いた。

 目の前に広がる『風景』に。

 いや、その『風景』の中の、彼女の姿に。


 彼女は、確かに、そこにいた。

 白を基調とした、息苦しいほどの清潔感が漂う病室の真ん中に。

 彼女は、確かに笑っていた。

 あの時のように。

 外界の自然とは隔絶されている筈の病室に、まるで緩やかな破滅へと導くような空調の風に慣れた肌には、限りなく優しく感じられる夏の海風が、開け放たれた窓より微かな潮の香りと僅かな消毒液の匂いをのせて流れ入り、鮮やかな黄金の漣の足跡を残して駆け抜けてゆく、黄色と深緑の海の真ん中に。

 あの高原と同じように。

 違うのは彼女の背景、あの日成層圏まで突き抜けるかのような蒼空の高いところで目も眩むほど輝いていた太陽が、今は開け放たれた病室の窓の外、白い洪水にかわっていること、あの日太陽に向かっていた彼女の笑顔が、今日は真っ直ぐに自分へ向いていること。

 そうして彼女は、数百本のひまわりを従えて、確かに、笑っていた。

 けっしてオフィスでは見せることのない、心の底から沸き上がったような、一杯の笑顔で。

 直接には陽が射し込まない筈の病室内なのに、健康的な輝きを放つ肌理細やかな彼女の褐色の肌は、不思議とあの日と同じように一層美しく煌き、周囲を鮮やかなハレーションで彩っていて、黄金の海の中、一際鮮やかに、艶やかに、まるで彼女の周囲を埋め尽くすひまわりの群れを臣下として従える『ひまわりの女王』として、充分過ぎるほどの貫禄だった。

 無言で突っ立ったままの陽介に、アマンダは両手を広げ、臣下達を紹介するかのように、笑顔のまま、弾むような明るい声で、言った。

「驚いた? 明野のおっちゃんとおばちゃんからお見舞いだって! ちょいとナースステーションでバケツやらなにやら借りてきて、たった今、ようやく活け終わったとこなんだ! 」

 唐突に、求めていた答えが陽介の胸の奥に舞い降りた。

 そうか。

 俺はやっぱり、アマンダにとっての太陽で、だからコイツは『あの時』と違い、俺を見て笑ってくれているのだ。

 そして、やっぱりアマンダは、ひまわりの女王に違いないのだ。

 そう。

 実際、今彼の眼に映る彼女は、嘗て静謐な砂の地獄に居た頃の、黒い瞳を冷たく輝かせる『黒豹』などではなく、世界中のどの花よりも鮮やかに咲き誇る、大輪の『褐色のひまわり』だった。

 それは、周囲のどのひまわりよりも気高く、美しく、そして華々しく。

 そして周囲の全てのひまわりは、その種族に面々と受け継がれる『太陽に向かって花開く』と言うDNA情報などかなぐり捨てて、ひまわりの女王たる彼女に倣うかのように、ひまわりの女王の名に相応しい彼女を讃え、太陽に……、自分に向かって誇らしげに、そして美しい彼女に見惚れ、微笑んでいるかのように思えた。

 そして陽介は、もうひとつの『真相』に突き当たる。

 そうだ。

 今や俺だって、ひまわりの女王を讃える、ひまわりなのだ。

 その意味で、アマンダは女王であり、また太陽でもあったのだ。

「アマンダ」

 漸く絞り出せた声は、愛しい女性の名前。

「ああ、すまねえな。歩き辛いだろ、こんなにひまわりに部屋、占領されちゃあ、よ」

 アマンダは立ち止まったままでいた理由を勘違いして、笑顔のままで陽介に歩み寄る。

「さっきのナースもびっくりしてやがったぜ。……それより陽介、検査の方はどう」

 言葉の途中で陽介は、アマンダを思わず抱き寄せる。

「お、おいっ? 」

 アマンダは一瞬身を捩るが、すぐに大人しくなり、まるで子供が親に抱きつくように、両手を陽介の背中で、そっと重ねた。

「……もう、痛くねえのかよ? 」

「大丈夫さ。……ヒーローだから、な」

 陽介の答えにアマンダはクスクスと肩を震わせた。

「……しょってらぁ」

 アマンダの豊かな美しい黒髪の隙間から覗く、真っ赤になった耳朶と、そこで揺れているイヤリングを見ながら、陽介は小さな声で、けれどはっきりと、想いを伝える。

「そしてお前も、俺にとってはヒーローだ」

「……え? 」

 思わず見上げたアマンダの幼い表情に、陽介は微笑みかけた。

「お前と出逢って、こうして抱き合えるこの瞬間が、俺には夢みたいだ」

 アマンダは朱に染まった頬に、ひまわりのような笑顔を浮かべる。

「アタシだって、そうだ。こんな日が来るなんて……」

 恥ずかしそうに顔を胸に埋めようとするアマンダを、陽介は両手で彼女の頭を持って無理矢理自分の方へ向ける。

「お、おい……」

 言いながらも抵抗せずに真っ直ぐ向けられたアマンダの黒い瞳に、陽介は囁きかけた。

「ひまわりってのは、太陽を見つめ続けるもんだ。……違うか? 」

 コクンと頷くアマンダの美しい形の唇が、細かく震えている。

「泣くなよ? 」

「泣かねえよっ! 」

 強がって口を尖らせた刹那、堪え切れず溢れる涙を、陽介は指で拭い取る。

「幸せじゃないのか? 」

「し……、あわせ、だ……」

 口篭りながらも答えるアマンダに、陽介はニコ、と微笑む。

「じゃ、笑え」

「注文の多い野郎だな、てめえ」

 陽介は首を振って見せた。

「注文は後ひとつで終わりだ。文句言うな」

 アマンダは漸く、笑顔を浮かべる。

「ラスト・オーダーは? 」

「……アマンダ。俺をずっと、いつまでも、いつまでもお前の傍にいさせてくれ。そして、いつまでも俺を照らし続けていてほしい」

 アマンダの瞳から、再び零れる大粒の涙。

 今度はそれを自分の指で拭って、アマンダは両手で陽介の首にしがみつき、陽介の唇に啄ばむようなキスを落とす。

「あ……」

 やっぱりコイツの行動は予想の斜め上だ、まさか自分からするとは思わなかったと陽介が驚いていると、アマンダは顔を真っ赤にしながらも、眼を逸らさずに言った。

「アタシがお前を、幸せにしてやる! 何せ、アタシはお前の太陽で、ひまわりの花なんだからな! 」

 それだけ早口で言うだけ言って、アマンダはさっと顔を陽介の胸に埋めると、掠れた声で言葉を継いだ。

「だから陽介? お前もアタシんこと……、幸せに、しろよな? 」

 陽介は両手で彼女の黒髪を梳きながら、はっきりと、答える。

 この、胸の中に灯る、温かな想いが伝わるように、と。

「御意のままに。女王様」

 ひまわり達が微笑んだように、いっせいに揺れた。






Fin


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ひまわり ~地球防衛艦隊での職場恋愛~ おだ しのぶ @oda_shinobu

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