第101話 16-3.


「向井くんじゃないか」

 検査を終えて病室に帰ろうかと、院内薬局の処方待ちロビーの横を歩いていた陽介が顔を上げて声の方を見ると、少し離れた薬局の窓口の前で控えめに手を振る四季の姿があった。

「武官、これは……」

 どうも、と言う間に四季は軽やかな足取りで陽介に歩み寄り、ニコリと笑顔を浮かべた。

「随分元気になったみたいだな。ここへ転院してきて、ええと……」

「そろそろ2週間ですね」

 UNDASN防衛医科大学付属東京病院の佐官用個室に丁度空きがあるからと四季に紹介されて、手術から2週間後、銃創による感染症の心配がなくなった時点で赤十字病院側の許可が下りて陽介は転院し、早くもカレンダーは9月に入っていた。

 外は未だ衰える気配のない夏の太陽が降り注いでいるというのに、四季は銀色の政務幕僚飾緒を吊ったドレスブルーをきっちり着込み、端正な顔には汗の一滴も浮かべてはいなかった。

 顔色は良いように見えて、体調が悪くなって早退、とは思えない。

 だとすると。

「武官はどうなさったんです? どなたかお見舞いでも? 」

 四季は一瞬微妙な表情を見せた。

「ま、そんなトコ」

 誤魔化すように早口で答える彼女の手元、薬の入った紙袋に書かれた『形成外科』の文字を見て、さて形成外科ってどんな診療科だったかと首を捻るうちに、紙袋は隠されるみたいにアタッシュケースのポケットに仕舞われて、陽介は直前の四季の表情もあり、そこには触れずにおくことにした。

「で、どうなの? 怪我の方は」

 ニコ、と気分を変えるように笑顔を見せて四季は言った。

「ええ、お蔭様で」

 陽介も笑って答えた。

「さっきの検査で、心肺神経組織の損傷部のバイオ再生療法の方は、後数日で完了だと言うことでした。後は銃創の回復がもう少し進めば、リハビリを2週間程。10月からは職場復帰可能だそうです」

「そう、そりゃあ良かった」

 四季は我が事のように嬉しそうに、翠の瞳を細めて微笑んだ。

「じゃあ、雪姉も喜んでるだろ? 」

「はあ、まあ……」

 顔が赤くなっているだろうなとは思いつつも、それを止める術もなく、陽介は頭をポリポリと掻く。

「雪姉、お見舞いにはよく来るの? 」

 四季の問い掛けに、陽介は思わず溜息を吐いた。

「毎晩、来てくれますよ、退勤後に。それに、なんだかんだと理由をつけて、こっち方面への外出時には必ず顔を見せてくれます」

 実は今も病室で待ってるんですよ、と続ける前に四季が口を開く。

「なんだよ、向井君? そんなに入れあげて貰っといて、その微妙な表情は? 」

 はあっ、ともう一度盛大に溜息を吐いてから、陽介はなんとか笑みを顔に貼り付けて話し始めた。


 立ったままだと疲れるだろう、向井君もまだ病み上がりの身体なんだしと四季は面会ロビーに誘って、腰を落ち着けた。

「まあ、以前から薄々思ってはいたんですけどね……。アイツ、まるで母親みたいでしてね。何人分あるんだってくらい弁当、山ほど作って来て、まだ固形食は無理だと言うと次はタッパーにお粥を入れて制式装備の野外簡易レンジを持ち込んで看護師に怒られるし、やれリンゴだミカンだスイカだメロンだナシだモモだと持ち込んで、挙句はレンタルの病室用冷蔵庫を4台です。その他、寝冷えが心配だと腹巻にラクダのシャツに股引、綿入れ半纏、電気行火に遠赤靴下。退屈だろうと本に雑誌、ラジオにテレビ、ビデオゲームにボードゲーム版の人生ゲームまで持ち込んで、やっぱり看護師に怒られるのは私なんですから」

 四季が口を挟む間もないほどに一息で愚痴ってから、陽介は彼女の呆れた表情に気付いたのか、徐にはにかんで見せた。

「私の両親ってのは、どちらも早くに亡くなりましてね。母親が小二の時に病気で死んで、親父は中三の時に事故死です。幸い、親父が小さな会社をやってたこともあって、一緒に会社を経営していた伯父が財産管理をしてくれたお蔭で、金に苦労することなく成人することが出来ました。だからまあ、母親ってのは生きてたとしたら、あんな感じなのかなぁ、なんてね……」

「えと、あの……」

 四季のリアクションを見て、陽介は慌てたように顔の前で手を振ってみせた。

「いや、別にマザコンって訳じゃないですよ。引き取ってくれた伯母ってのが気風の良い女性でしてね。伯父の家は、私と似たような世代の子供が5人もいたんですよ。伯母は、5人が6人になっても大して変らないって、まあそう言う豪儀な性格でしたから。従弟達に混じって、6人兄弟みたいな錯覚を覚えながら、芋の煮転がしみたいにして育ちました。だから別に、母親が恋しいとかそういう想いは自分では感じなくて、ただ、アマンダを見てて、なんとなくドラマの中の母親像、みたいな……」

 それは雪姉には言わないほうがいいよ、という忠告を、四季は寸でで飲み込んだ。

 そんな彼女の胸の内を気にする様子もなく、陽介は少し照れたように笑って、静かに言葉を継いだ。

「中学の時、少し……、ほんの少しだけ、気になる女の子が出来ましてね。美人とか派手ってことはないんですが、なんだか可愛くて、地味だけど上品って言うか……。いつも優しく微笑んでいるような、静かなでした。席が近かったせいか、たぶん男子の中では私としか喋らないような、そんな……」 

 唐突な話題の転換を四季は訝しく思ったが、穏やかな表情を浮かべるよう心掛けて、黙ったままで先を促した。

 これまで、妙に鈍感な、いやこれだと言葉の選び方が違うかもしれない、それほど恋愛事に熱意を燃やさないタイプだと思ってきた陽介が、ただアマンダに関してだけは奇妙な執着を見せていた、そんなミハラン時代の印象が、四季にはあった。

 それが単に、陽介の好みに合った女性だったから、というのなら話はそこで終わるのだろうが、四季から見て、どうも陽介はアマンダの持っている危うさ、というか儚さが気になって仕方ないから、という風にも思えたのだ。

 それが陽介の本来持っている性質、過保護、世話焼き、おカン気質、それだけではないように思えて、だからこそ地球に戻り、アマンダと陽介、ふたりと再会してから、四季が何くれとなく気にかけ、余計なお節介まで焼いてきた原因がそれだと、今、気付いた。

 だから、彼の話を黙って聞いてみよう、そう四季に思わせた。

「印象といえば、笑顔です。無口だけど、見てる方が癒されるっていうか、落ち着くっていうか、こう……、ほんわかした気分になるような……。まあ、晩生おくてなもんで、その時は明確に恋愛感情を抱いた訳じゃなかったんですが……。うん、たぶん、そう……。好き、だったと思います」

 遠い目をしてゆっくり喋っていた陽介だったが、言葉を区切ると一瞬、苦しげな表情を浮かべた。

「ところがある日、学校に来なくなった。……1週間も休んでいたでしょうか、心配で仕方ない。家に行こうか、担任を問い詰めようか……。そう考え始めた頃、彼女が亡くなった、と臨時朝礼で聞かされました」

 声が、心なしか震え、掠れていた。

「クラスメイト達とお葬式に行って……、大人達の会話を耳にしたんです。どうやら彼女、ドメスティック・バイオレンスの被害にあって苦しんでいたらしいんですね。父親が酒乱で、呑んでは母親や彼女に夜な夜な暴力をふるっていたそうで、救急車で病院に担ぎ込まれたとき、服に隠れた身体は怪我や痣だらけだったらしくて……」

 ふぅーっ、と陽介は長い溜息を吐き、顔を再び四季に向けたときはもう、いつもの表情に戻っていた。

「父親は警察に逮捕されて、そう言えば葬儀の席には母親しかいませんでした。……まあ、綺麗な言葉で言えば淡い恋心、って言うんでしょうか。それでも別に付き合っていた訳でもなく、涙は零しましたが、泣き喚いたり学校に行かなくなった……、なんてこともなく、数日後にはもう、普段の自分に戻れていた、筈です」

 陽介の瞳に、悲しげな光が宿る。

「ただ、花が飾られた彼女の机を見て、たったひとつ、考え続けたことがある。……ああ、後悔とか、ひょっとしたら自分が助けてやれたかも、とか、そう言うんじゃないんですけどね? 」

 陽介はそう言うと、静かに言葉を継いだ。

「人って、楽しくなくても、笑えるんだなあ、って……」

 陽介の言いたいことが見えてきたように思えた。

 彼の、アマンダへの執着の原点が、見えてきたように思えた。

「彼女にすれば、同い年の私に打ち明けてどうなるものでもない、と考えたんでしょうし、例え打ち明けられても、私はどうにも出来なかったかも知れないし、きっとどうにも出来なかったでしょう。……ただね、大隊長」 

 陽介は、昔の職名を口にしたことには気付いた様子だったが、四季が黙ったままでいるとそのまま、言葉を継いだ。

「きっと彼女は、私に笑顔を向けていても……、瞳は『助けてくれ』と叫んでいたに違いない。手を差し伸べて欲しい、地獄から救い出して欲しい。瞳はそう叫んでいたに違いないと思うんです。……たとえ、顔では笑っていても」

 陽介は照れ隠しのように、目元を指でマッサージしてみせた。

 ああ、そうか。

 これが彼の、執着か。

「ミハランで出逢ったアマンダも、そうでした。だから、手を差し伸べた……、の、かな? 」

 頼りなげにハハハ、と短く笑う。

「切っ掛けは、たぶんそうです。……アイツはなにを勘違いしてるのか、私のことを『ヒーロー』だって言ってましたがね」

 陽介は静かに正面を向いて、ゆっくりと瞼を閉じた。

「もしも私がアマンダにとっての本当の『ヒーロー』だったとしたら……、たぶん私は、ご両親の事故直前のアマンダのもとへ、そして、それが無理な話だと言うのなら、兵員募集センターの前で立ち竦む彼女のもとへ、颯爽と駆け付けてなけりゃ嘘でしょう。……だけど、いつだって私は、遅いんです」

 これが彼の、彼本人でさえ忘れ去っていた、トラウマなのか、と四季は悟った。

 最初は、そうとは気付きもしない、同情から。

 アマンダの抱える傷痕を、同じ痕を抱えた陽介が感じ取った。

 陽介は我知らず、同じ間違いを繰り返したくはない、そう願ったのだろう。

 そんなふたりが地球から遠く離れた砂漠の惑星で出逢い、心を通わせ、重ね合った。

 さりげないけれど、些細だけれど、それこそ、奇跡と呼べる出逢いなのだろうと、四季はしみじみ、そう想う。

 だから。

 四季は陽介の横顔から視線を外さず、静かに言った。

「だけど、今度は、間に合ったじゃない? ……それだけでも充分、貴方は雪姉にとってのヒーローなのさ」

 陽介は、淋しげな微笑を浮かべた顔を向けた。

「……そう、ですかね? 」

 四季は、静かに微笑んだ。

「雪姉にとってのヒーローが向井君、貴方だとすれば……。向井君にとってのヒーローは、雪姉なんだろうね」

「アマンダが? 」

 問い返す陽介に、四季はゆっくりと頷いてみせる。

「貴方が雪姉に手を差し伸べてあげたように、雪姉は、過去の哀しい思い出に絡め取られていた貴方に、手を差し伸べてくれたんだよ」

「アマンダが……、ヒーロー……」

 四季はこくんと頷いた。

「ふたりは……、貴方達は、ね? ……互いに手を繋ぎ、それぞれの暗闇から、長く苦しい坂道を、陽のあたる場所へと一歩づつ登ってきたんだよ。互いの足元を気遣いつつ、ふたりがみつめる、同じ星を目指しながら、ね? ……ほんと、ふたりは、似た者夫婦だ」

 陽介は、頭をポリポリと掻きながら、言った。

「なんか、どっちもガラじゃないですねぇ。……あんまり自覚もないですしね」

 四季はアハハハと笑って陽介の肩をぽんと叩いた。

「ヒーローってのは、そんなの自ら名乗るものじゃない、他人が認めるてくれるものだろう? 必要なのは、互いの信頼感さ。その点、ふたりは充分満たしているんじゃないか? 」

 四季は立ち上がって、ウインクを陽介に贈った。

「お互い限定のローカル・ヒーロー、そんなのの方が、気楽でいいじゃない? 」

 本当に、心からそう思う。

 だって。

 だって、恋は。

 恋は、ふたりでするものなんだもの。


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