書籍化記念番外編

番外編.カボチャのタルトか悪戯か

※第1部の直後の話




「佐久間さん、こんばんは!」


 10月31日、22時。いつものようにお菓子を抱えてやって来た隣人は、見慣れない黒の三角帽子をかぶっていた。

 佐久間が怪訝な顔をしていることに気付いたのか、胡桃はこちらを見てニコッと笑う。それから、ご機嫌な様子で高らかに宣言をした。


「トリック・オア・トリート! お菓子を食べてくれなきゃ、イタズラしちゃいます!」


 胡桃はそう言って、わくわくと期待に満ちた視線を向けてくる。いったい、どういうリアクションが求められているのか。もし新鮮な反応をお望みならば、残念ながら相手が悪い。


「……いったい、なんなんだ」


 いつもの仏頂面のまま言うと、胡桃はこてんと首を傾げた。その拍子に、三角帽子も斜めに傾く。

 

「あら、佐久間さんハロウィンをご存じでない?」

「知っている。ハロウィーンとはそもそもは古代ケルト人が行っていた祭礼が起源だ。現代では、宗教的な意味はほぼ薄れているがな。今の日本においては、渋谷で若者が馬鹿騒ぎするコスプレパーティーだ」


(……もっとも。ハロウィンにかこつけて、世間にお菓子が出回るのは悪くないがな)


 ハロウィン限定、と称されたカボチャやサツマイモのお菓子は、この時期のお楽しみである。佐久間は胡桃の手から皿を奪い取ると、思わず頬を綻ばせた。

 胡桃が持ってきたのは、色鮮やかなかカボチャのタルトだ。上に乗ったホイップクリームとピスタチオの彩りも美しく、実に美味そうだ。

 スタスタとキッチンに歩いて行くと、背後から胡桃が「ちょ、ちょっと!」と声をかけてきた。


「もう! スルーされると、わたしが恥ずかしいじゃないですか!」


 胡桃は頬を赤らめて、佐久間の背中をポコポコと叩いてくる。彼女は自分とふたつみっつしか歳が変わらないはずだが、なかなかどうして、こういう幼いところがある。もしかすると、イベントごとが好きなタイプなのだろうか。


「……どうしたんだ、その帽子は」

「さっき、ドンキで買ってきました! 魔女のコスプレセットらしいです。一応黒のワンピースもついてたんですが、それはちょっとセクシーなやつだったので、着るのはやめておきました」

「賢明な判断だ。きみにも最低限の理性があったようで何よりだな」


 胡桃は幼いだけでなく、かなり脇が甘く、無防備なところがある。こんな時間にコスプレをして隣人の男の元を訪れることの意味を、きちんと理解しているならよかった。あの元恋人の前ではコスプレを披露したのだろうか、と思うと、なんとなく面白くない気持ちになったが。

 佐久間は溜息をつきながら、紅茶を淹れた。タルトを切り分けて、二人で向かい合ってダイニングチェアに腰を下ろす。


「ハロウィン仕様ということで、カボチャのタルトです! どうぞ召し上がれ!」

「いただこう」


 佐久間は手を合わせたあと、フォークでタルトを切って、口に運ぶ。しっとりとした口当たりと濃厚な味わいに、思わずほうっと息が漏れた。


「……さっきは、ただのコスプレパーティーと言ったが」

「はい」

「撤回する。こんな美味いものが食べられるなんて、ハロウィンは素晴らしいイベントだ」


 佐久間の言葉を聞いて、胡桃はにんまり笑う。


「やっぱり、佐久間さんほどお菓子の食べさせ甲斐があるひとは、なかなかいませんね」


 佐久間がお菓子を食べるだけで、こんなにも嬉しそうな顔をするなんて。変わった女だな、とつくづく思う。これほどの腕を持っているならば、彼女の作ったものを喜んで食べてくれる人間が、自分以外にもたくさんいるだろうに。


(……まあ。この役目を他の人間に渡すつもりは、今のところないが)


「カボチャのフィリングがしっとりしていて、口当たりが抜群だな。かなり濃厚だが、まったく重たく感じない……甘すぎず、それでいて満足感がある」

「うふふ、ありがとうございます! カボチャの裏漉し、かなり苦労したんですけど、頑張りも報われます!」


 胡桃もタルトを一口食べて、うんうんと頷く。こんなにも美味いものを定期的に差し入れてくれる隣人がいることのありがたみを、佐久間は改めてひしひしと感じていた。

 黙々と食べ進めていた佐久間だったが、3ピース目の途中で、カツン、と何かがフォークに引っ掛かる感触がした。どうやらタルトの中に、何かが入っているらしい。


(……まさか、異物混入か? いや、彼女に限って……)


 佐久間は胡桃のキッチンと作業工程を見たことがあるが、衛生面にも完璧に気を遣っており、何かが混入するような環境ではなかったように思う。しかし、気を付けていても事故が起きてしまうのが人間というものだ。

 フォークでタルトを崩して、中に入っていたものを取り出す。現れたのは、ジャック・オ・ランタンを模った小さなクッキーだった。

 

「わ! 佐久間さん、当たりですー! おめでとうございます! オマケのクッキーです!」


 胡桃ははしゃいだ声をあげると、嬉しそうに拍手をした。どうやらタルトに忍ばせたクッキーは、彼女なりの遊び心だったらしい。

 佐久間はクッキーを摘み上げると、一口でサクッと食べた。バターの風味が豊かで、ほのかにカボチャの味がする。オマケとは思えないクオリティだ。


「こんなものを、こっそり仕込んでいたのか」

「はい! ハロウィンなので、ささやかなイタズラです! お菓子もイタズラも大成功!」


 そう言ってピースサインをした胡桃に、佐久間は小さく肩を竦める。どうやら彼女は、ハロウィンを全力で楽しんでいるらしい。元恋人とのことも、すっかり吹っ切れたのなら何よりだ。


「ところで、佐久間さん」

「なんだ」

「……実は、佐久間さんのぶんの衣装も買って来たんですが……よかったら、どうですか!?」


 胡桃は「じゃーん!」の声とともに、背中に隠していた袋を取り出した。袋には大きく〝吸血鬼コスプレセット〟と描かれていた。立ち上がって逃げようとした佐久間の前に、胡桃が立ちはだかる。


「ハロウィン用の衣装です! 佐久間さんにはきっと、吸血鬼が似合うと思うんですよねー!」

「ば、馬鹿なことを言うな! 俺はそんなもの、死んでも着ないぞ!」

「まあまあそう言わずに! わたしのタルト食べたじゃないですかー!」

「そ、それとこれとは話が別だ!」

「……ね、佐久間さん?」


 胡桃はやけに小悪魔めいた笑みを浮かべ、じりじりと距離を詰めてくる。思わず後退りしたが、背後にはキッチンカウンターがあるため、逃げ場がなかった。


「わたしは佐久間さんにお菓子あげたのに、佐久間さんはわたしに何もくれませんでしたよね……」

「……う。そ、それは……」

「お菓子くれないなら、イタズラしちゃいますよ?」


 ニッコリ笑った胡桃に、佐久間は渋々白旗を上げた。


 それから佐久間は吸血鬼のコスプレをさせられ、胡桃が大はしゃぎで写真を撮っていたところに、タイミング悪く担当編集がやって来て、腹を抱えて大爆笑された。やっぱり、ハロウィーンなど碌でもない……かもしれない。




*書籍版がメディアワークス文庫より発売中です! よろしくお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【書籍化】甘党男子はあまくない〜おとなりさんとのおかしな関係〜 織島かのこ @kanoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ