42、花萎む家②

 僕が頭で念じると、あっさりと主導権は交代した。どうやらイワナガヒメは、案外僕のことを気にかけてくれているらしい。内心で感謝の意を伝えながら、僕は千穂へと向き直る。

「千穂、それにイワナガヒメさん。短命の呪いはそれで解決させるとして、攻撃する呪いと守りの呪いはどうするつもりなの? 両方解かなくちゃ、千穂たちは普通の生活を送ることができないよね?」

「地下室の結界の中では、我はサクヤの家を攻撃する手段をもたぬ。そもそもサクヤは漫然と家に憑いていたのではなく、サクヤの子孫に利用されているのだとわかった。もう、サクヤ自身に恨みはない。むしろ哀れだとさえ思う。攻撃の呪いを続ける意思は最早ない」

 僕の口が一瞬イワナガヒメに乗っ取られ、彼女の言葉を届ける。それを聞いた千穂も頷いた。

「仰る通りです。部屋の結界は、イワナガヒメの力を一切通さないようにできています。コノハナサクヤビメは元々うちにいた神さまだからか、影響を完全になくすことはできませんでしたが。咲耶家の守りの呪いは、あなたから身を守るためにかけていたものです。あなた一柱を封じ込めることぐらい容易いのですよ」


 言葉を区切った千穂は、いたずらっぽく笑う。

「それにしても、コノハナサクヤビメを憐れむとは意外でした。あなたは現代に至るまでコノハナサクヤビメの子孫であるわたしたちを呪っていたくらいですから、相当強い恨みを抱いていたと予想していましたが。案外そうでもなかったみたいですね」

「我が心から呪うのは、我を実家に突き返しおったあの男よ。嫁いだサクヤに思うところがないといえば嘘となる。サクヤと親しくする義理はないと考えていた。だがそなたに操られる望月健太を見て気づいた。サクヤもまた、あの男に利用された悲しき存在なのではないかと。我とあまり立場は変わらなかったのではないかと。そう考えれば、サクヤへの恨みは自ずから消える」

 再びイワナガヒメが僕の口を借りて言葉を発した。先ほど交代を頼んだせいか、一言発する度に僕に主導権が戻ってくる辺り律儀である。あるいはこれも、イワナガヒメが僕を憐れんだ結果なのだろうか。


「イワナガヒメさんは、攻撃する呪いを解くって言ってる。だったら、咲耶家も、千穂たちも守りの呪いを解除してくれるの?」

 千穂が口を開いたら、またイワナガヒメが話し始めてしまうかもしれない。その隙を与えず、僕はすかさず質問を投げかけた。

「そうだね。一度に全部解除するっていうわけじゃないけれど、対イワナガヒメ用にかけていた呪いは、離れにかけているもの以外は解いていいと思っている。一応、お父さんと相談してからにはなるね」

「じゃあ、千穂は普通の生活を送ることが、できるようになる?」

 なおも縋りつくように問いかけると、千穂は冷たい目を僕に向けた。

「もう、わたしは二十歳だよ。一応独学で勉強していたとはいえ、この年になってからいきなり社会に出るのはかなり難しいよ。わたしは家の呪いを守りつつ、必要に応じて解除しながら美穂と健太くんの子どもの成長を見守りたい」

「それで、千穂は幸せ? いま言ったのは、千穂が本当に望んでいた生活?」

「わたしと美穂の約束だから。約束を果たせて、わたしは満足だよ」

「でもそんなのって……結局千穂は自由になれてないじゃないか!」

「甘いよ、健太くん」


 千穂は低い声音で制してくる。低音なのに、やはり男性の声には聞こえないのが不思議だ。

「わたしは咲耶家に生まれた時点で、自分の使命は長命の子孫を残すことだと言い聞かせられてきた。わたしは男だから関係ないけれど、同時に生を受けた美穂は女。女性はもれなく二十五歳の誕生日を迎えることなく死ぬなんて理不尽すぎる。一緒に育ったからこそ、思いはより強くなった」

 彼女は僕より先……美穂さんがいるほうへと視線を向ける。

「それに、美穂はコノハナサクヤビメに好かれていたから、家の敷地から出ることさえままならなかった。外に出ようものなら呪いのみならず、あらゆる人を惹きつけるコノハナサクヤビメの特性に乗せられて、男たちが大挙して押し寄せることになる。そんなことになったら、収拾がつかなくなるからね」

 僕は後ろを振り返る。美穂さんはおっとりした表情のまま、ひとつ頷いて見せた。千穂の言葉を、肯定するかのように。

「だからわたしは、小さい頃に美穂と約束した。わたしは定期的に家の外へ出て、山を登ってくる奇特な人間を捕まえる。その人が男だったら美穂に、女だったらわたしに当てがって、長命の子孫を生むための糧になってもらうって。もちろん、ただの男女じゃ長命の子孫は望めない。だから日本の何処かにいるであろうイワナガヒメと出会い、その身に宿してもらう必要があった。かなり確率の低い賭けで、健太くんが実際にイワナガヒメと一体化するまでは、お父さんにも相談できなかったくらい。でもわたしたちは賭けに勝った」

 美穂さんはもう一度ゆっくりと頷く。再び千穂へと視線を戻すと、今まで見たことのない鋭さを秘めた笑みを覗かせた。


「わたしと美穂の代で、普通の人……今日までの健太くんみたいな生活を送ることができるなんて、はなから期待してないよ。でも、わたしたちの子どもの代からは変わるかもしれない。その希望を見届けることが、わたしの願い。残り寿命が短い美穂には、出産まで何とか耐えて頑張ってもらわないといけないけれど、その先には新しい咲耶家が生まれるんだ。咲耶家の長い歴史の転換点に、わたしたちはいるんだよ」

「じゃあ、僕が美穂さんとの間に子どもをもうけたら……子どもが長命だったら、千穂は幸せになれるの?」

「うん。美穂と一緒に見届けることはできないけれど、わたしが代わりに育てることができる。それがこれからの生きがいになるだろうね」


「わかった」

 僕はゆっくりと立ち上がり、美穂さんのほうへと身体ごと向き直る。そのまま首を動かし、千穂へと視線を移した。

「今のが本当に千穂の望みで、達成されたら願いが叶うっていうのなら。僕は、その賭けに乗るよ」

『正気か? サクヤの子孫は、そなたを死ぬまでこの場に留め置き、利用しつくすつもりでおるぞ』

「正気です。そもそも僕は、千穂を助けたくてここまでやって来たんですから。千穂を助けられる方法が提示された一つだけだっていうのなら、従うまでです」

 脳内に響いたイワナガヒメの声に口で答えると、千穂がくすくす笑う声が部屋に響いた。

「本当に、健太くんは素直ないい子だね。ここまで素直だと逆に、裏があるんじゃないかって疑っちゃうよ。でも、そうじゃないのが健太くんなんだよね。じゃあ健太くん、美穂、あとは頼んだよ。毎日様子は見に来るし、ちゃんと食事も用意する。ただ美穂は寿命が短いんだから、なるべく早く事を運んでね」

 それだけ告げると、千穂はゆっくりと地下室の上蓋を閉じた。出口から射し込んでいた自然光が消え、灯籠だけのおぼろげな明かりの中で、僕と美穂さんは向かい合う。

「では、始めましょうか」

 千穂と同じ顔をした美穂さんが、ゆるやかな手つきで手招きしてくる。僕は糸で引かれた操り人形のように、ゆっくりと彼女がいるベッドのほうへと歩いて行った。

 ――千穂の幸せが、僕の幸せだ――

 自分に、そう言い聞かせながら。


<完>

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花萎む家 水涸 木犀 @yuno_05

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