第4話 帰宅の日
フゥと室内に風が入ったような気配がして目が覚めた。
まだ4時か。少し頭がぼんやりする。普段こんな時間に起きることがないから新鮮といえば新鮮だ。
突然部屋の中心で物音がしたような気がしてそちらを見る。夜の雪山は真っ暗だが、今日は少しだけ月が出ていて部屋にその光が差し込んでいた。
んん? 部屋の中央に黒い何かがある?
「お前は悪い子かね」
「いい子だ」
「……そうか、ならばよいだろう」
反射的にそう答えた。そうしないといけないような気がした。
何か、そうしないととても悪いことが起きる予感がして、そして現在進行系で起こっているような気がする。なんだろう。頭がぼんやりしてわからない。そういえばこんな話を父さんとしたような。あれ? 父さん?
悩んでいるといつしかその黒いものはいなくなっていた。気のせいだったのかな。妙な緊張で寝付けなかったが、疲れもあって気がついたら枕を抱えていた。
9時半。ホリデーなバカンスとしては早いような、いつもにしては遅いような、そんな微妙な時間帯。連日の雪かきで慣れてきたのか、筋肉痛はあまりしないようになっていた。心なしか筋肉がついたような? どうだろう?
洗面所でポーズをとっていると突然笑い声が響いた。
「何変な格好してるのよ」
「筋肉ついたかと思って」
「あんまり変わらない? んん少しはついたかな? それより早く朝食にしましょう? 片付かないわ」
そうだな。女手はイリナだけだし。
「手伝うよ」
「そんなに手間じゃないもの。食べたらまた雪かきがんばって」
最近は晴れた日が多いけれども、それでも多少は雪が降る。ユレヒトおじさんと雪かきをしないと。そういえばクリスマスイブにはずいぶん雪が降ったけど、あれはどうしたんだったかな。2人でなんとかなる量ではなかったような。
曖昧な記憶を思い出しながらいつも通りアイシングクッキーを外す。最後の1枚だ。今日は31日。とうとう大晦日だ。
新年をいい気分で迎えるにはちゃんと雪かきをしないと。
誰かに話しかけようとしてふと隣をみると、スノーモービルの隣に崩れかけた雪だるまがあった。近くのコテージを借りてる家の子供が作ったのかな?
そんなこんなで雪かきを終わらせてコテージに戻ると、イリナが豪華な食事を用意していた。
「なんだかやけに豪華だな」
「何故だか今年は食材がかなりあまっちゃってるのよ」
「へぇ。そんなにたくさん買ったのか」
「俺も人数分買った記憶しかないんだけどおかしいなぁ。どこかで桁を間違えたのかもしれない」
「だから今年は特別豪華にするのよ」
ニコリと笑うイリナに用意されたしかたくさんのクラッカーを向ける。開けられるシャンパン。解凍したターキーレッグとたくさんのシャルキュトリーにチーズ。
3人じゃとても食べきれない。余った食材はユレヒトおじさんの家に郵送するらしい。
いつしか夜もふけてカウントダウンの時間になった。相変わらず電波が届かないから友達とは連絡がとれないけど、きっと同じ時間を待ち構えていることだろう。今日だけは未成年でも夜更かしが許される。
3.2.1.Happy New Year!
僕らは1人10個ずつクラッカーを鳴らす。この音で雪崩でも起きそうな気がするな。このコテージでこんなに派手に新年を祝うのは初めてかもしれない。
顔を見合わせて祝っていれば、ユレヒトおじさんは早くいけというように手を払った。ユレヒトおじさんはいつもどおり1人で飲むのだろう。
新年だけは特別だ。僕はイリナを部屋に招き入れる。
こっそり2人で飲むためにグラスを2つ持ちこんだ。
改めて2人で乾杯をする。夜はいつのまにか更けていった。
そうしてその夜、ふと、目を覚ました。やはり午前4時。んん。なんでこんな時間に起きたんだろう。もぞもぞと起き上がりなんとなくライトのスイッチを押す。そして俺は凍り付いた。
煌煌と室内を照らす明かりの下、そこには黒い何かがいた。
「お前は悪い子かね」
「いい子だ」
「……そうか、ならばよいだろう」
そう返さないといけない。俺は咄嗟に強く思った。その黒い影はじっと俺を見ていて、しばらくしてふぅと消えた。元から何もいなかったように。
何だ? 今のは。
何か強烈な違和感。何か大事なものを忘れているような、そんな気持ち。あれ? 俺は大事なことを忘れている気がする。
そうだ。ワジム、父さん、母さん、それに子ども達、親戚のみんな、どこにいってしまったんだ!? ……あれ? んん。
ふと窓の外を見ると相変わらず白い世界があって、スノーモービルの近くに崩れた雪の塊が2つ転がっていたのが見えた。
朝、目覚めて階段を下りてトーストをセットしてドリップコーヒーにポットから湯を注ぐ。昨日の夜に何かあった気がする。なんだったかな。昨日か。昨日は楽しいカウントダウンだった。
ユレヒトおじさんと遅くまで話していた気がする。何か大事なことがあったような。カップの中の黒いコーヒーから立ち上がる暖かい白い煙を見ながらぼんやりと思い出していると、階段から足音が聞こえた。
「ユレヒトおじさんおはよう」
「ああパベル。おはよう。今日は片づけだな」
「そうだね、明日の朝には発たないと」
明日スムーズに出発するには今日のうちに片づけをしないといけない。
2人で広いコテージを掃除するのはなかなか骨が折れる作業だった。なんでこんなに広いコテージを借りたのかな?
よく考えたら初日のイブに大雪が降ったせいか、あまり遊ぶ余裕がなかったな。いつもだったらどうしてたっけ。尾根とか散歩に行ってた気がするんだけど。来年は行こうかな。
ゴミはコテージに隣接して建てられたゴミ捨て場に置いておけば、年が明けたら管理人が片づけてくれる。生ごみもこの寒さじゃそうそう腐らない。そう思ってゴミ捨て場の扉を開けると、その中にはいろいろなものが詰まっていた。旅行鞄やプレゼントのような箱。酷く見覚えのある小さな箱をあければ、小さな指輪が入っていた。勿体ないけれど、人のものに手を付けるのはよくないだろう。
勿体ない。あれ? このゴミ捨て場って共用だったかな。俺はそう思いつつ、コテージから持ち出したゴミを片づけていく。
ふとゴミ捨て場の隅の暗がりに目が行く。そこはゴミ捨て場の入り口から最も遠く、闇の欠片が集まっているようで、少し気味が悪かった。しかもゴミ捨て場の入り口から届く陽の光を避けるようにモゾリと動いた気がした。
俺は何かものすごく嫌なことをたくさん思い出しそうな気分になって、慌ててコテージに逃げ帰った。
1日がかりでコテージの掃除が完了した。これで明日は自分の荷物だけもって出掛ければいい。最後の晩の食事は簡素なものだった。大きな荷物も余った食材も今日のうちに全て配送した。明日は自室の片付けをしたら鍵を返して帰るだけだ。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯。おじさん今年も楽しかった。来年もよかったらまた誘って」
「そうだな。そうしようか」
今日は早めに片付けて寝ることにした。色々と片づけをしていたら、なんだかすごく疲れている気がしたからだ。肉体的にも、精神的にも。
翌朝、部屋を片付けてバックパックを持った。
最後に火の確認と思って暖炉を見たら、暖炉の奥の方に24個の木炭のブロックが置かれていた。予備のブロックかな。緊急用とか。
24か。なんとなく、このコテージだとそのくらいの人数の方が楽しい気がする。
でもまあ、1人で静かに新年を迎えるのも悪くない。
そう思って、俺はコテージの鍵を閉めた。
クネヒト・ループレヒト ~黒いサンタがやってくる Tempp @ぷかぷか @Tempp
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