【きっかけ】四季と鳴

 久しぶりに聞いた縁戚の声は、穏やかに凪ぐ海が瞬間的に荒れたような、そんな音をしていた。


「……そういえばしーちゃん、僕のことまだ『めいめい』って呼んでくれるんだなぁ……」


 ふと電話越しに呼ばれた名について思い出す。

 懐かしい気持ちになった僕は、まだ逢えぬ友を想い、踵を返した。


 ◆◇◆◇◆


「お初にお目に掛かります。四季家第十三代『宵一郎』宗秋むねあきが娘、四季志織と申します」


 初対面の感想は、真面目で固い女の子。

 四季と出会ったのは高校一年生の頃。彼女は当時中学三年生だった。


 黒く長い髪が艶やかに風を通して揺れる。その辞儀の作法の美しさにうっそりとした。

 礼儀のなったご令嬢、というのが僕の二個目の感想だった。

 聞くところによると、彼女は三重の親元を離れて、僕の通う本家管理の高校に入学するという。

 彼岸家では古い時代より元服した子を三年間、彼岸本家で預かり、修行させるという習わしがあった。これも、その一環なのだろう。現代になるにつれそれは学校という場所に変わるが、どうやら今世までその習わしは続いているらしい。


「遠いところからわざわざお疲れ様でした。宗秋さんからは話を伺っています。近場に部屋を借りたいそうですね?」


 当時、彼岸家当主だった父さんがそう問うと、四季は小さく「はい」と答えた。聞いていた話と違っていたため、僕は素で驚いた。


「え、なんで? 彼岸家ここで暮らすんじゃないの?」

「お気持ちは嬉しく頂きました。けれど、本家様のお力をお借りするにはいかないと、わたくしが判断しました」

「少しくらいは甘えてもいいんですよ? 部屋はいくらでもあるのだし……」


 父さんが困り顔で笑うも、四季はかたくなに首を縦に振らなかった。


「そうはいきません。……と言っても、親元を離れて暮らすのはこの三年間だけです。大学に行くとしても、実家に近い場所を選ぼうと思っていますから」


 だから大丈夫です、と四季が言う。僕と父さんはきっと同じことを考えていたと思う。視線が合った時に「どうしたものか」と言っているような気がした。


「大方の自炊もできますし、金銭面については実家から援助をもらえると聞いています。それに……」

「?」


 ふと、彼女の視線が僕に向く。なんだろう?


と、ひとつ屋根の下で暮らしていると他生徒に気づかれては、鳴様のご負担になりかねないと判断しました」

「えぇっ!?」

「そんなことを気にしていたのか……」


 その切り返しにはさすがの父さんも盲点だったと溜め息を吐いていた。


「彼岸家は、我ら分家にとっては雲の上の存在に等しいのです。鳴様、貴方はそのことをお分かりになられておられますか?」

「……」


 ああ……。彼女は、『家』のことを理解している子だ。

 僕がどう思おうとも、父さんが彼女を諭そうとも、彼女はきっと『家』を取るのだろう。

 大昔に一族が働いた大罪を、その小さな背に負って。


(そんな前に過ぎたこと、子孫ぼくたちが気にしても意味なんてないのに)


 なんて僕が思ったところで、歪み切ったこの『彼岸家』の在り方にはちょっとも響かないのだろう。


 ◆◇◆◇◆


「ご当主様、失礼致します」と襖の外から声が届く。

 呼ばれた父さんは襖を開き声の人と少しだけ話すと、困った顔をしてこちらに戻ってきた。


「そこの人、なんて?」

「父さん、ちょっと席を外さなくちゃいけなくなったから、志織さんのこと頼んだよ」

「えっ」


 突然のことに驚いて、つい声が漏れる。『嫌だ』みたいな音に聞こえただろうか、ちらりと四季の方を見遣れば、同じような顔をして固まっていた。


「あ……えと……」


 重たい空気が部屋中に充満する。早く、父さんに帰ってきて欲しい。そう思いながらもしばらくは帰ってこなさそうだなと、色んなことを想像しては勝手に肩を落とす。

 横目に見る四季は背筋を伸ばして、凛とした佇まいでいた。美しい礼儀をしっかりと仕込まれているなと、僕は心のどこかで彼女に関心を抱いた。

 同時に「きっと彼女なら心配が要らない」「しっかり者だから」——そういう大人からの重圧が見えた。



「……どうして、ここには住まないの?」

「……ですから、先程も申し上げましたように、」

「うん。でも、僕が君より早く家を出ればいい話だよね? 帰りだってそう。だったら迷惑じゃないよ?」


 四季の目が見開く。ここを押せば、彼女が折れてくれるかもしれない。僕は一縷いちるの望みを掛けて言葉を続けた。


「それに、女の子が一人暮らしなんて……危ないよ?」


 けれど、事は上手くいかないようで、次の瞬間には「それは話が違います」と再び壁を作られてしまった。


 再びの長い沈黙が続く中、ふいに彼女の手元に目がいく。

 正確には、そばにあった鞄の、に。


「……それって、『めいめい』?」

「え……」


 僕が指さした先にあったのは、子供に人気のアニメ番組に登場する仔羊こひつじの『めいめい』というキャラクターだった。

 もふんとしたカール毛が可愛らしいそのキャラクターは妹たちも好きで、最近は見れていないが、会える時はいつも一緒にそのアニメを見ていたことを思い出す。


「知っているんですか?」

「うん。妹たちが好きなんだ。一緒に見てた時があって」

「……」


 あれ? なんだか心の距離が近くなった気がする。


「あ。ちょっと待ってて」


 僕はあることを思い出して、彼女をその場に残して部屋を出た。


 ◆◇◆◇◆


「はい、これあげるよ」


 そう言って彼女に渡したものは、『めいめい』のぬいぐるみのキーホルダー。彼女の持っているものより少し大きめの、マスコットだ。


「これ…………」

「なんか、こっちの方でしか売られてない限定品みたい。妹たちにあげようと思ったんだけどなかなか会えないし、どうしようかなって思ってたところだったんだ」

「ほ、本当に、いいんですか? こんな、貴重な物……」

「うん。ほら、やっぱり、好きな人のもとにいた方がこの子も嬉しいと思うから」

「……ありがとう、ございます……」


 四季は顔を恥ずかしそうに赤らめていたけれど、それ以上にとても嬉しそうにしていた。


「……これが賄賂……ってわけじゃないんだけどさ。やっぱり考え直してみない? 一人暮らしのこと」

「……どうしてそこまで、末端分家のわたくしなんかに、気をお遣いになられるのですか?」


 四季は不思議そうに、そして僕を窺うようにして訊く。同じ人間で、親戚なのに、見えない高い壁が邪魔をする。


「だって、心配なんだよ」


 ——『僕も、大して変わらない立場だから。』

 そんな言葉は呑み込んだ。


 言い淀んだ僕を怪訝そうに四季が見つめている。ハッとした僕は「それに……」となんとか言葉を繋げた。


「君がここにいてくれたら、きっと妹たちが喜ぶと思うから」

「……!」


 四季にはこの三年間、嫌な気持ちで過ごして欲しくなかった。だから、家に縛られて生きるより、縛られていたとしても、安らげる場所を作ってあげたかった。

 どうかな? ともう一度誘ってみると、四季はようやく首を縦に振った。


 僕の粘り勝ちだ。


 ◆◇◆◇◆


 それから少しして、四季は僕を『めいめい』と呼び始めた。

 理由を聞くと、なんでも、事あるごとに僕が彼女に『めいめい』グッズを与えるからだそうで(まあ半分以上は僕が駄々をねて渾名あだなで呼んでって無理にお願いをしたからなんだけど)。

 初めの頃は心底鬱陶しそうにしていたけれど、それでも距離が少しずつ埋まっていくのを感じて、きっかけがなんであれ僕は嬉しかった。



 いつかまた、あの頃のように笑いあって呼び合える日が訪れるだろうか。

 彼女の笑顔を、見ることを許される日が、来るのだろうか。


(……いいや、ありえないな)


 そう。彼女と会わないと決めたのは、紛れもなく僕自身だ。

 許されないことなんて分かり切っている。


 それでも、彼女の幸せを願うことくらいは許して欲しい。

 そんな、些細な願い事を、心の中でそっと呟いた。



「——鳴?」



 迷えば黒き獣に足を喰われる。臆せばそれは死を意味する。



「——おかえりなさい、晴」



 迷うな。今はただ、前へ。

 おのが願いを遂行するために生き続けると、あの日誓ったのだから。

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壱師の花紅〜ささやかな日々〜 KaoLi @t58vxwqk

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