フェルドリック視点

逢い見ての後


「ソフィーナさまはお休みになっておいでです」

 この一週間、騎士団の演習に付き合ってカザレナ郊外の森にいたフェルドリックは、昼下がりに城に戻るなり、ソフィーナを訪ねた。

 が、出迎えたアンナににこやかに拒絶を示され、目を瞬かせる。

「早朝からコルゼ村をご訪問なさっていましたから、お疲れになったのかもしれません。転寝なさっておりまして」

「……珍しいな」

 真面目で勤勉なソフィーナが日中に……よほど疲れているのだろうか、とフェルドリックは顔を曇らせた。

「ええ。フェルドリックさまの先触れなしの訪いは、まったく珍しくありませんが」

「…………悪かった」

 涼やかに微笑みつつ、「無礼です」とほのめかす――ソフィーナの乳妹であり、親友であり、最強の守護者の一人でもあるアンナに、フェルドリックは早々に白旗を上げた。

(顔を少し見るぐらい、と思ったんだが……)

「……っ」

 するっと出てきた自らの発想に動揺する。

 顔に血が集まってくるのを感じたフェルドリックは、「出直す」と言って慌てて踵を返した。


「――お待ちください」

 その背へと声がかかった。

 頬の赤みを消せないまま、ぎくしゃくと背後を振り返れば、目の合ったアンナが「こんなことをお願いするのは、本当に恐縮なのですが、」と苦笑している。

「ソフィーナさまをソファから寝台に移していただけないでしょうか? あのままだとお風邪を召してしまうのではないかと」

「……」

(それこそ礼に反しないか……?)

 ソフィーナが嫌がるのではないかと思い至って、反応に窮すれば、アンナはそれを敏感に読み取ったようだ。

「失礼しました。では護衛のどなたかにお願いいたし――」

「私がやる」

 唯一許せるのはフィルだが、彼女は演習後、騎士団に戻ったはずだ。そう思い出した瞬間、口が勝手に動いていた。

「ありがとうございます」

 アンナが笑いをかみ殺しているように感じるのは、多分気のせいではない。



* * *



 通された先の応接室、ソフィーナはソファの上で静かに寝息を立てていた。

 開け放した奥の窓から新緑の香りを含んだ爽やかな風が吹き込んできて、レースのカーテンを揺らす。

 同じ風にソフィーナのふわふわとした髪が微かに舞い上がり、顔にかかった。

(……平和だな)

 くすぐったかったのか、ふよりと緩んだ口元につられて笑うと、フェルドリックはその肌に触れないよう、慎重に髪を整える。

「……」

 そのままじっとその顔に見入った。

 あの優しい色の瞳は見えないが、ほんのり色づいた頬も微かに開いた唇も艶やかで、なんとなく目を奪われる。

(…………変わった、か? 妙に綺麗、に……、っ)

 何の気なしに唇に指を伸ばしていたフェルドリックは、触れる寸前で慌てて手、そして頭に思い浮かんできた言葉を引っ込める。

 そんなわけがない。離れていたのはたったの一週間だ。大きな変化があるはずがない。


「……殿下、そろそろよろしいでしょうか?」

「っ」

 存在を忘れていた――。

 アンナの涼やかな声に、フェルドリックはぎくりと身を震わせた後、咄嗟に顔に笑顔の仮面を貼りつけた。

「もちろん」

 慎重にソフィーナの膝裏と背に腕の差し入れ、その身を抱えて立ち上がると、寝室の扉を押さえて待つアンナの横をすり抜ける。

「……」

 視界の端に映るアンナは笑顔だ。だが、彼女と正面から目を合わせる気は、フェルドリックにはない。フォースンやヘンリックがこの手のまなざしを向けてくる時は、容赦なくひどい目に遭わせてやれるが、アンナの場合はソフィーナが盾、返り討ちに遭うと決まっているのだから。



(ちゃんと食べているのか……?)

 あまりの軽さに、そういえばこんなふうに抱き上げたことはなかった、と今更に思い至って、フェルドリックは腕の中のソフィーナを見つめる。

 起きている時にやろうとしたら、きっと思いっきり抵抗されるだろう。他人に頼ること、甘えることを良しとしない人だから。

 微妙に寂しくなったことに気付かないふりをして、寝台にソフィーナをそっと降ろした。

「……」

 その拍子に彼女の香りが鼻腔をくすぐった。透明感のあるやわらかい香りに、心臓が反応する。

 一瞬固まったフェルドリックだったが、腕の中のソフィーナの寝顔を再度見つめて、何とか気を落ち着けると、静かにその身を横たえた。起こしてしまわないよう、慎重にブランケットをかける。

 

(……気を使ってくれたのか)

 戸口を振り返ったが、閉じられたままアンナが入ってくる気配がない。

 厳しいが優しくもあると再確認して、フェルドリックは苦笑を零すと、同じ寝台に腰かけた。


 額にかかった茶色い髪をかき上げ、繰り返し梳きつつ、頭をなでる。

(起きてる時にやると、子ども扱いとか文句を言うからな)

 口を微妙に尖らせた、それこそ子供としか言いようのない顔をするソフィーナを思い出して、フェルドリックは低く笑った。

 あんな顔を無防備に見せてくれるようになるなんて、想像もしていなかった。


 王都の上空を猛禽類が旋回しているのが窓越しに見えた。縄張りを主張する鳴き声が微かに響いてくる。


 傍らのナイトテーブルに読みかけの本が置いてあることに気付いた。

(これは……)

 確か十年ほど前に流行った恋愛小説だ。社交の参考にと入手して、鼻で笑いながら流し読みした覚えがある。

 去年の夏、王立図書館で彼女に読書の趣味を聞いた際、「物語などは読んでこなかった」と言っていたが、宗旨替えしたのだろうか。

 手に取ってぱらぱらとめくれば、記憶のとおり登場人物たちの非合理的で頭が悪いとしか言いようのない言動が目についた。

「……『誰かをそれほど想えるというのは特別なこと』ね」

 その中の行をぼそりと読み上げる。


「……フェルド、リック?」

 そのせいかもしれない、ソフィーナが薄目を開けた。優しい青灰色の瞳がフェルドリックを捉える。

(おはようじゃない。なら、ただいま? いや、おかえり?)

 寝惚け声になんと返事していいか迷って、代わりに再度頭に手を伸ばした。寝顔を見ていたことや勝手に抱き上げたことがばれると気まずい、もう一度寝かしてしまおう、と企図する。

 その手をソフィーナが捉えた。そのまま自分の頬に持っていって、「いい夢」と呟いてふふっと笑う。

「でも、どうせなら実物が良かった……早く帰ってくれば、いい、のに……」

 フェルドリックの手に頬を押し付けたまま、ソフィーナは目を閉じ、また微睡に落ちていく。

(一週間前の別れ際は、「お気をつけて」などと言って、至極淡々としていたのに――)

 唖然としていたフェルドリックは唇を引き結ぶと、逆の手で自分の顔の下半分を覆った。体表に血が集まってくる。

「反則、だろう」

 真っ赤な顔で唸るように呟いた。

 別に喜んでいるわけじゃない、少し驚いただけ。そう思おうとするのに、口元が勝手に緩む。

 この程度のことで動揺するなんてあり得ない。そう思って落ち着こうとするのに、顔の熱が引いていかない。

 何より、彼女に触れる手を引き戻せない、引き戻したくない――。


「……ほんと、馬鹿そのものだ」

 無防備に眠るソフィーナの横で、フェルドリックは脱力する。そして、傍らの小説に再び目を落とし、深々とため息を吐き出した。

 誰かを真剣に想い、それゆえどうでもいいことで一喜一憂し、馬鹿みたいに空回りする――本の中の登場人物たちを今はもう笑えない。


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冴えない王女の格差婚事情 ユキノト @yukinoto

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