大変不敬ながら……3

「? エドワードさん、お城はこっちでは」

「ちょっと羽を伸ばしませんか」

 半歩前を行くエドワードが、城とは逆方向に足を向けた。裏道だろうか、と首を傾げるアンナを振り返って、彼はいたずらっ子のような顔を見せた。

「あ、いえ、私は仕事が……」

 城に侍女のアンナとして戻ったら、次の仕事はソフィーナの代役だ。

 衣装を変え、茶色のカツラを被って、ソフィーナが城にいた時よくそうしていたように、フェルドリックや王后さま、事情をご存じの貴族や大臣などを訪ねなくてはならない。カザックについて学んだり、仕事について打ち合わせたり、午後のお茶を共にしていると見せかけたりするために。


(だって、それぐらいしか、ソフィーナさまのためにできることがないんだもの……)

 アンナがソフィーナとフェルドリックの仲は順調だと思い込んでしまったせいで、ソフィーナはそうじゃないと言い出せなくなったのだろう。彼女を追い込んでしまったのは、フェルドリックだけじゃなくて、私のせいでもあるかも、と思えてならない。

 その上、彼と違って、アンナには離れた場所にいるソフィーナを守ることも、ハイドランドやセルシウスを救うこともできない。

 なら、せめてもの罪滅ぼしに、彼女がカザックに戻りたいと思った時に備えて、居場所を確保する役目ぐらいは果たしたい。


 大通りから離れた路地。両脇に並ぶ、白っぽい石でできた集合住宅は、緑鮮やかなつる植物とそのオレンジ色の花で彩られている。

 立ち止まって戸惑うアンナを見、エドワードは「息抜きが必要だろう、今日は一日アンナさんでいて大丈夫だと、フェルドリック殿下が」と穏やかに微笑んだ。


「料理長が仰ったとおり、多分アンナさんを心配なさってるんだと……」

「……」

「って、なんでそんな顔……?」

 思わず眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げたアンナに、エドワードはまた顔を引きつらせた。

 その人の良さそうな様子に、腹の底に溜まりに溜まったものが、ついに首をもたげた。

「……エドワードさん、これからお話しすること、聞かなかったことにしてくださいますか」

「え、あ、も、もちろんです、優しいご令嬢のお望みとあれば」

 目を瞬かせた彼を前に、アンナは大きく深呼吸した。


「フェルドリックさまとソフィーナさまの間には、色々誤解があるみたいなんです」

「……なんとなくは」

 エドワードが一緒に沈んだ顔を見せてくれた。

「私……その誤解に気付けなかった私自身にもすごく怒ってますけど、フェルドリックさまにも怒っているんです。私なんかの様子に、そこまで細かく気を配ってくださるのに、なんでソフィーナさまにはうまくやってくださらなかったのかと思ったら、腹が立って腹が立って」

「あー……」

「ソフィーナさまを逃がした私がまったく罰せられなかったのも、今私に親切にしてくださっているのも、一番は私がソフィーナさまの乳妹だからだと思うんです。そう思うと、なおムカついて……一回ぐらいぶん殴ってさしあげたい気分です」

 恐ろしく無礼なことを言っている、さすがに咎められるだろう、いやそれよりも暴力的だと引かれるかも。

 そう覚悟して吐き出したのに、エドワードは目を丸くした後、「さすが妃殿下の乳妹」とくつくつと笑った。

「……」

 高く上がった太陽からの日差しが、彼の日焼けした顔を照らす。屈託のない表情と空気に、また一つ緊張が解けた。


「じゃあ、寄り道の行き先は、騎士団にしますか」

「はい?」

「殿下をぶん殴るなら、鍛えなきゃ」

「え。じ、実行するんですか?」

 咎められないどころか、賛成された。それどころか協力されそうになっている、とアンナは口を開ける。

「殿下もアンナさんになら大人しく殴られると思いますよ。俺たち騎士はもちろん、多分両陛下も見ないふりをなさるんじゃないかな」

「え、えええと、」

「フィルがいれば、その辺含めた護身術を教えてもらえて、一石二鳥なんだけどなあ」

「ごしん、じゅつ……」

「そんな時は来ないようにしますが、万が一の時はアンナさん自身だけじゃなくて、妃殿下もお守りできますよ」

「っ、それは引かれます! ……けど、フィルって、フィル・ディランさま……次期フォルデリーク公爵夫人の別のお名前ですよね……? その、そんな方に教えていただくなんて、さすがに身に余ると申しますか、畏れ多いと申しますか……そりゃあ、エドワードさんやバードナーさんたちは、彼女と同期と伺っていますし、気安いかもしれませんが……」

 しどろもどろに答えてから気づく。この国の王太子殿下をぶん殴る算段をつけようとしながら、次期公爵夫人に遠慮するのはおかしい。

 やっぱりこの国は変だ、どうもペースを乱される、と眉尻を下げる。

 そのアンナに、エドワードは「次期フォルデリーク公爵夫人……?」と呟いて、奇妙な顔をみせた。

「あの、ひょっとして、とは思うんですが、聞いてらっしゃらない……?」

「? 何をですか?」



(――もう絶対に、絶対に許さない)

「ちょ、アンナさんっ、待ってってばっ」

 城に駆け戻ったアンナは、王宮のフェルドリックの居住棟目指して、城内を疾走する。買い出した食材を抱えて、後ろからエドワードが追いかけてくるが、かまっていられない。

 足腰には自信がある。小さい頃はソフィーナと追いかけっこしてハイドの城中を走り回っていた。


「っ、フォースンさまっ」

「あれ、アンナさん? 今日は城下で遊ぶって話じゃ」

「そんっなことはどうでもいいんですっ、フェルドリック殿下はいずこにいらっしゃいますか!」

 棟内に入ったところで、廊下の突き当たりに、フェルドリックの執務補佐官フォースン・ゼ・ルバルゼを見かけた。叫んだアンナに、彼は銀縁眼鏡の中の目を丸くする。

 駆け寄るアンナを、小首を傾げつつ、しげしげと見つめていたフォースンは、にこりと微笑んだ。

「なんだかよくわからないですけど、楽しそうなので――そこ」

 人の悪い顔で、彼は廊下の曲がり角の向こうを指さした。


「っ、フェルドリック・シルニア・カザック……っ」


 そこに走り込むなり、アンナはその顔を睨み、大声で名を口にする。

 直後、その人の端正極まりない顔が、後々フォースンが思い出しては笑い転げるほどに引きつり、エドワードが「呼び捨てた……」と顔を青くした。


 すべて無視して、アンナは微笑を顔に浮かべる。

「――マット・ジーラットじゃないのですって……?」

「……」

 フェルドリックの目が泳いだのを見、アンナはこめかみに青筋を立てる。

「アレクサンダーさまレベルに気心の知れた幼馴染、御前試合の準優勝者で、建国王陛下のお気に入り、英雄の孫で庶民に大人気…………髪、まで切らせて、素性まで偽らせて、護衛にしておきながらっ、それだけ気を使っておきながら……っ、なんっでソフィーナさまに言わないのよ……っ!」






 その半年後――。


 ソフィーナが帰ってきて、平穏の戻ったカザレナ城の一角。

 庭師のコッドが丹精込めて手入れする庭園で、アンナはフェルドリックがソフィーナにしみじみと語る場面に出くわした。


「人外としか思えないフィルの言葉の中で、唯一共感できたのは、怒りと共に呼ばれるフルネームほど嫌な響きのものはないということだ」

「え、フェルドリックのフルネームを呼び捨て、ですか」


 二人は夜だけでなく、こうして日中の何でもない時間も、一緒に過ごすようになっている。

 その時間を作るためにか、フェルドリックは最近すさまじい勢いで仕事を片付けるようになったらしく、フォースンが涙ぐんでいた。「仕事の押し付け合いをする時間すら惜しいみたいです……おかげで私の負担が減りました、ソフィーナさまは女神です、一生ついていきます」と。

 共に過ごす時間が伸びるにつれ、二人はひどく打ち解けてきてもいる。

 性格が劇的に変わったわけではない。両方とも相変わらず本音を隠し、嫌味の応酬のようなことをやって、気まずくなったり、喧嘩になったりしている。

 けれど、そのたびにしどろもどろになりつつ謝ったり、真意を説明したりして、ちゃんと仲直りしている。

 そのせいだろうか、最近それぞれがお互いに向ける目に、ちゃんと感情が乗るようになった。二人がこれまで自分の感情を徹底して相手に隠していたことを思うと、奇跡のようにすら感じられる。

 不器用ながら、二人とも相手に歩み寄ろうと一生懸命なのだろう。

 見ていて本当に微笑ましい。

 

 ――が、アンナ的にはだからと言って流せないこともある。


「フィルですらしないのに……どなたです? 陛下とか建国王さまとか?」

「……いや、」

「では、王后陛下ですか? アレクサンダー?」

 世にも珍しい、金と緑の瞳がちらりと、ソフィーナの背後に立つアンナに向いた。

 その目をじっと見つめ返すと、アンナは用意していたティーポットを掲げ、二人にしずしずと歩み寄った。


「お茶のお代わりはいかがでしょう、フェルドリック・シルニア・カザック……殿下?」

「…………いただこう」

(お優しいソフィーナさまに、これ以上の心労を与えるなんて絶対許さない)

 アンナは微笑みながら、敬愛する主君ソフィーナの想い人であり夫でもある彼に、恭しく茶を注ぐ。

「フェルドリック?」

「……なんでもない」

 紅茶のカップを手に微妙に右頬を痙攣させるフェルドリックと、彼に不思議そうに目を瞬かせるソフィーナを前に、アンナは笑みを深める。


 一度は死を覚悟したのだ――アンナ・ミーベルトには、怖いものなんてもう存在しない。

 






(了)


=================


 表題作第2巻が、3月23日にKADOKAWAメディアワークス文庫さまから刊行されます。


【メディアワークス文庫公式ページ】

https://mwbunko.com/product/saenai/322307001088.html


 書籍化にあたっての主な加筆は、ソフィーナがハイドランドにいる間のフェルドリック視点――ソフィーナを死にそうに心配してみたり凹んでみたり、従弟アレックスとの親友的絡みだったり、老庭師(無自覚)に精神的にざっくり刺されたり、開き直りアンナ(自覚大あり)にやられまくったり。

 他には、戦地での二人の再会が少し甘くなり、フェルドリックの懺悔というか告白というかのシーンがより率直になり、戦勝祝賀会でのフェルドリックVSオーレリアが激しくなり、といった修正も加わっています。


 ありかも?と思われたら、お手に取っていただけると、最高に嬉しい!です。



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