第3話 同じ時を歩んでいく
段ボールを開けると、ローチェストが現われた。
正方形の板を規則正しく貼り付けたような引き出しが並ぶ。手を軽く広げたくらいの幅で、腰まで高さがある。奥行きはそれほど深くないので部屋を圧迫しない。
引き出しは全て違う木材が使われている。木材はそれぞれ色味が違う。白や焦げ茶、金茶や赤茶。それらがバランスよく配置され、さながらパッチワークのようだ。引き出しには焦げ茶のつまみが付いている。引き出してみると、正方形の小さな引き出しだけではなく、板二つ分の横長の引き出しと四つ分の深い引き出しがあって、収納力抜群だ。
膝を突いて引き出しの板を眺める。そして、白木に小さな茶色い模様を見付けた。よく見ると、文字が彫られ茶色く染められていた。
その文字を読み、思わず胸を押さえる。
「おはようございます」
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
「おつかれさまでした」
「おやすみなさい」
朝食を食べるためにやって来て、玄関ドアを開ける正人。
サイロの傍の自転車置き場で手を振る正人。
仕事の手を止めて、工房の勝手口を振り返った正人。
一息つきましょうと珈琲を運んできた正人。
手を振って宵闇に帰っていく正人。
彼はいつも微笑んで、自分を見つめてくれていた。
そして、この言葉を毎日欠かすことなく掛けてくれていた。その一瞬一瞬が蘇り胸が熱くなる。
美葉はスマートフォンを取り出し、正人へ電話を掛けた。二コール目で出た正人は緊張した声で「もしもし」と言った。
「ありがとう、正人さん」
まだ鼓動は早いままで、声がうわずっていた。
「え、えっと……。すいません」
何故か正人はくぐもった声でそう言って、謝った。思わず首を傾げる。
「なんで、謝るの?」
「だ、だって……。勢いで作って送りつけてしまいましたが、美葉さんの部屋の間取りも知らず、どんな家具を置いているのかも知らず。……今頃になって邪魔になっていないか心配になりまして……」
ポリポリと頬を掻く姿が見える気がして、思わず吹き出した。
「送ってから気付いたの?」
「は、はい……」
きっとまた頬を掻いている。そんなにほっぺたを掻いたら赤くなってしまうよ、と言いたくなり泣きたくなるくらい今すぐその顔が見たくなった。
目の前にある「おかえりなさい」の文字に指を触れる。
「いっぱい、書いてある言葉……」
「……ほ、本当は、毎日直接美葉さんに掛けたい言葉なんですけど……。だからってその度に電話されると邪魔だと思うので……」
もごもごと電話の声が小さくなる。良いよといったら本当に律儀に電話を掛けてきそうだ。直に聞きたい気もするけれど、その為に仕事に身が入らなくなってしまう可能性が高い。二つ同時に物事を処理できない不器用さを思い出してまた笑ってしまう。
「これからは、この文字を見るから大丈夫。寂しくなったら、ね……」
「はい……」
照れくさそうな声が応じる。遠く離れているはずなのに、電話から伝わる気配はまるですぐ傍にいるようで、仕事の疲れも緊張も、嫌味で受けたダメージも回復していくように思う。
「あの……、美葉さん、引き出し全部開けました?」
不意に正人が落ち着かないような声を出した。
「全部は、開けてないよ」
「じゃあ、右側の一番下の引き出しを開けてみてください」
「分かった」
引き出しに手を伸ばし、ふと「びっくり箱じゃないよな」と警戒する。昔そんな仕掛けの引き出しを開けさせられて死ぬほどびっくりしたことがある。
恐る恐る開けた引き出しにはそんな仕掛けはしていなかった。緩衝材が巻いてある丸い板のような物を持ち上げて、思わず声を上げる。樹々にあるのと同じ寄せ木細工の時計だ。そしてその下に、A4サイズの紙を見付けた。手に取ると、ネットの情報をコピーした物だと分かる。その文字を見てドキリと心臓が止まりそうになった。
『京都芸術大学通信教育課程 秋季入学生募集』という文字とパソコンの前で笑顔を見せる中年男性が目に飛び込んできた。
驚きに、言葉を失う。
「えっと……。やっさんがこの前ダイニングテーブルを発注してくれたんですけど、その時にちょっと美葉さんの話をしたんです。そしたら、通信制の大学があると教えてくれまして」
樹々によく仕事を流してくれるリフォーム業者の保志の顔を思い浮かべた。思わず口を尖らせてしまう。
「知ってるなら、最初から教えてくれたら良かったのに」
職場の社長は保志の知り合いで、修行できるよう取りなしてくれたようなのだ。その時に通信制大学の情報を教えてくれたら四月から通うことが出来ただろうにと思う。
「僕もそう言ったんですけど、一回苦労しないと学びの大切さが分からんやろって」
正人の声に、苦笑いが混じっている。成る程、と思った。大学に行くのをやめたとき、保志は呆れた顔をしていた。あの時は、自分には何でも出来るという自信がどこかにあった気がする。その根拠のなさを、保志は直に体験させたかったのかも知れない。
知らず知らずの内に手に力が入っていた。握りしめた木の堅さに一瞬忘れていた存在を思い出す。
「時計も、ありがとう」
「いえ……」
照れくさそうな声が耳に届く。
「樹々と、同じ時計です」
ショールームの大きなテーブルを見下ろすように時を刻む時計だ。
「うん」
大きく頷きながら、答えた。
「離れていても、同じ時を刻んでいますから、美葉さんとその……樹々は」
最後の言葉はもごもごとして、とても聞き取りにくかった。
もしかしたら『僕は』と言いたかったのではないだろうか。
ふと思った言葉は美葉の頬を熱くほてらせる。
「だから、頑張ってください」
正人の言葉が胸に届き、頬の熱が移ったように熱くなる。
「うん。頑張るね。胸を張って……樹々に帰れるように」
正人さんの元に帰れるように。
思わずそんな事を言いそうになり、慌てて言葉をすり替えた。
チェストボードの文字をなぞる。
『おかえりなさい』
いつか一人前のデザイナーになり、胸を張って正人の元へ帰る。その時正人はきっと、こう言ってくれるだろう。
温かな笑顔と共に。
了
***
最後まで読んでくださりありがとうございます。
この物語は「あの娘が空を見上げる理由」シリーズのスピンオフとなります。時系列で言うと、最初の物語「憧憬」の直後となります。
北海道の片田舎当別という町で生まれ育った少年達とイケメンだけど不器用な家具職人正人の青春群像劇です。
この物語に出てきたチェストは第三部となる「赦し」にも出てきます。こちらの物語はカクヨムコン8にエントリーしております。三部から読んでもストーリーが分かるよう、あらすじを乗せております。応援していただけるととってもとっても嬉しいです。
「あの娘が空を見上げる理由―赦し―」
https://kakuyomu.jp/works/16817139556035399931
ローチェストに愛の言葉を 堀井菖蒲 @holyayame
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