第7章 第1話 黒の広場

 『黒の広場』――それはかつて帝国の東側に、国境を接して存在していたヴァナヘイム公国――その公国と帝国の国境ぎりぎりに築かれた、帝国領内、辺城へんじょうギャラールにおける処刑場の別称である。

 かつてギャラールを預かっていた城主は処刑候の異名を取るほどに、彼らの主張に沿わない者をその所持する処刑場へと送り続け、人々の流した血によってその大地は黒く染まったと言われている。

 特に隣国ヴァナヘイムよりこの刑場に運ばれたものの数は多く、その最後の統治者、アウルヴァンディル公でさえ、この刑場で生を終えたともいわれている。

 だが十年前、ヴァナヘイム公国がその統治者を失い、帝国領の一部となってからは辺城ギャラールも使命を終え、現在、廃城も同じような有様だった。


 しかし今、ギャラールの処刑場には大勢の帝国兵が詰めかけ、その中心には断頭台がたてられていた。

 成人男性の背丈を超える高さをもつ、舞台といってもいいほどの大きな台座。その上には左右を柱に支えられた一本の梁のようなものがあつらえられており、そこには両膝はどうにか台座についているものの、後ろ手に縛られた腕を太い縄で梁へと吊られ、首をうなだれた男の姿が確認できる。

 栗色の髪が顔に貼り付き、ぼろぼろの衣服をまとった男は、いつからそうして吊られているのか、すでに抵抗する気力もないのか、もはや身じろぎ一つしてはいない。

 そのむごたらしい姿に、取り巻く兵士たちの中にも心苦しげな表情を浮かべる者はいるが、かといって、彼を助けようなどと考える者は一人もいない。

 公開処刑、それは見せしめとしての意味が強く、それに異議でも唱えようものなら、次にその場所に登ることになるのは自分であるかも知れないのだ。



 やがて空に最も高く、太陽が輝く。

正午を告げる鐘が響き、刑場を見下ろす城のバルコニーに黒髪の青年――漆黒の軍服のロシェが姿を見せる。

 彼の後ろ、バルコニーから部屋へと入ったすぐの場所では立派な椅子に腰掛けた、焦茶の髪に外套を纏った中年男性――おそらくは皇帝であろう男の姿が確認できる。


 ロシェが高らかに処刑の執行を宣言し、処刑台のそばに控えていた、その全身を真っ黒な衣装に覆い隠した、大剣を携えた執行人が台座へ上がる。

 やがて吊るされた男の首のそばで、執行人の剣が最上段へと振り上げられる。長い刀身が陽光を反射し鋭く輝く。すぐに起こるであろう現実に、兵たちの数人がたまらず、断頭台から目を背ける。


 執行人の両手に力がこもり、風を切る音が響き、直後――


 一度、響いた金属音。

 続いて響く衝撃音。


 断頭台に舞う白い羽毛。


 視界に映る白い翼――



 執行人の目が真円を描く。

 罪人の首へ向かって振られたはずの大剣は、割って入った白銀の剣によって軌道を変えられ、男の首ではなく、断頭台の台座へとその剣先を飲ませていた。

「お前――!」

だが、執行人が言い終わるより早く、首の後ろに一撃を受けた彼の体は台座へ倒れる。


 周囲から同じ翼を持つ、かつての英雄の呼ばれ名が聞こえる。

 翼の青年は聞こえる声にほんのわずか眉をひそめ、一度剣を閃かせると、断頭台から栗毛の男を開放する。

 そして、力なく倒れる男の体を全身で受け止めるとともに、人垣の向こうへ視線を送り――しかし直後、響く魔法の炸裂音とともに、彼の身体は大きく弾かれていた。


「アーサー、何を――!」

 翼の青年――ジークが叫ぶ。

 翼を開いた制動により台からの落下は免れたが、とっさに顔をかばった腕には、火炎魔法の直撃により焼け付くような痛みが走る。


 間違いなく、目の前の男はアーサーなのだ。その姿も、彼の放つ魔法の熱も、はっきりと自分の記憶にある。

 だがアーサーは彼の声など聞こえないように再び魔法の印を描くと、新たな韻を唱え始める。


「アーサー、よせ!」

 ジークが叫び駆け寄ろうとするが、それより早く、断頭台の下から立ち上がる衝撃が断頭台ごと、アーサーの体を高く跳ね上げていた。

「アーサー!」

 翼を開き、アーサーを追ってジークが飛ぶ。


 罠であることなどわかっていた。

 元より、自分にしか読めない文字を、わざわざ自分のいる場所に――しかも自分が動かずにはいられないだろう、友の命を人質として示してきたのだ。

 この処刑こそ、自分たちをおびき寄せ、始末するための罠。そんなことは最初からわかっていた。

 だがそれでも、自分たちをおびき寄せ、始末するためにここまでするのか。

 その友に、ここまで危険な魔法を使わせるのか。


 今、アーサーの唱えた魔法は攻撃魔法ではないが、かといって回復魔法や、いわゆる補助魔法といったものでもない。

 それは、自己犠牲魔法の一種。

 術者の魔力を媒介に、その生命を自分以外の誰かのためへとささげる魔法。

 しかもアーサーは、合わせて最大化の韻を唱えていた。そのため彼の生命は魔力の続く限り、対象へ向かって捧げられた。

 では誰のために?


――わかっている。敵だ――


 力なくただようアーサーを空中で抱きとめ、ジークは今しがた飛び立った断頭台を怒りを込めた目で見下ろす。

 舞い上がる残骸と砂塵の中、現れた巨大な生き物が今、天までも届こうかという、大きな咆哮ほうこうを響かせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここより永遠に ー白い翼の記憶と運命― 藤井光 @Fujii_Hikaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ