第6章 第12話 意志を継ぐ者達

 ユミルと、二人の魔法兵らによって彼らが案内されたのは謁見室とは別棟の、半球状の屋根を持つ、円筒形の建物だった。

 扉をユミルによって開かれ、誘われるように中へと入れば、そこには白い空間が広がっていた。


 外からは想像できなかったほどに床は広く、中央に円卓を置いたとして、十人以上は余裕で座れるほどの広さがある。

 しかしそこに家具や調度品の類は一切なく、床一面には淡い青で、ジークの描く『白の世界樹』に似た紋章と、それを囲う二重の円が描かれている。

 二つの円の間には人には読み取ることのできない、文字だとおぼしきものが記され、読めないそれが、むしろ神秘的な雰囲気を感じさせている。


 見上げれば高く、放射状に広がる枠が支える屋根は透き通っており、青空が見上げられるとともに陽の光が明るく差しこんでいる。

 そして壁の高い位置、透き通る屋根と壁の境目には壁を一回りするほど横に長い、絵巻物のような一連の絵が彼らを見下ろすように描かれている。

 

「すごい――」

フィアナが思わず言葉を漏らす。


 そこに描かれたのは黒い鎧兜をまとった戦士と、仲間と思しき神官のような衣装の女性。そして彼らの前に降り立った、白い翼と髪を持ち、剣を手にした一人の人物。

 物語は戦士と神官、二人の前に翼を持つ者が舞い降りたところから始まり、彼らが様々な場所を巡りつつ、ともに戦う場面が続く。

 やがて三人は巨大な木へとたどり着くが、翼の人物は樹上へと飛び去り、その後、戦士と神官の前で、その木は光に包まれている。

 そして、水辺で戦士と神官が抱擁を交わす場面を最後に、この物語の幕は閉じられている。


「これは――『聖戦』――」

「やはり、ご存じでしたか。」

 上を仰いだまま、呟くように口にしたフィアナに、彼女の傍らのユミルが答える。

 フィアナが慌てたように視線を下ろし、ユミルの顔を真っ直ぐ見据える。


「今から千年ほど前――私達は天使と呼んでいますが――神につかわされた翼の英雄が人間界の英雄と出会い、この地の南に存在した世界樹――現在、巨大湖ミーミルとなったとされている、巨大な樹木を巡って邪神と戦い、これを退けたという――その物語を描いたものだといわれています。」

「それが、なぜここに?」

 フィアナはさらに問いを続ける。


「私にも、詳しいことはわかりません。ただ、この床に描かれた紋章もまた、彼らの操っていた印だと伝わっていることから、彼らの誰かがこの地に残ったのか、あるいは遙かな時代の国王が、彼らを忘れぬよう、ここにそれらを記したのか――」

「では、英雄たちを継ぐ者は今もこの国におられるのですか?」

 フィアナの問いに、ユミルは今度は顔を曇らせ、ゆっくりと首を左右に振る。


「残念ですが、彼らのその後を伝える資料は残されておりません。ただ一人、漆黒の剣士と呼ばれる戦士はその功績により爵位をたまわり、領土を得たとされていますが――かつて、十年と少し前――帝国の先帝が崩御した際、その責務を問われ、彼の血を継ぐものはひとり残らず殺されたと――そうきいています。」

「――」

 ユミルの返答に、フィアナだけでなく、彼らのやりとりをそばで聞いていたジーク、シアルヴィもまた、顔をわずかに曇らせている。

 ユミルはさらに言葉を続ける。


「ですが、私は感じています。英雄の意志はいまもなお繋がり、受け継がれていると。なぜなら、この国に現れたあなた方お三方は、さも、この物語に描かれた英雄たち、そのもののようではありませんか――」

 旅人たちに、わずかでも希望をもたらせようとしたのだろうその言葉に、フィアナを含む三人は一度互いに顔を見合わせ、そしてユミルの方へと視線を戻す。


「我々ヨツンヘイムはあなた方への協力は惜しみません。この国にとって、間違いなくあなた方は英雄です。そしてこれは私のみの意志ではなく、我が王を含めた、この国全体の意志であるのです。」


 そしてユミルは傍らに立つ魔法兵の一人と視線を合わせ、二人は互いに確認しあうように頷き合い、やがて背中を向けた魔法兵が、扉を抜けると外へとへ向かう。

 ほどなくして、白い建物の中へと戻ってきた魔法兵の手には、一対の、黒い棒状のものが抱えられていた。

 ユミルは兵からそれを受け取り、そして、シアルヴィへと向かい静かに差し出す。

 それは――


「ああ――」

 シアルヴィは震える両手でそれを受け取り、愛おしむように強く、胸の中へと抱きかかえる。

 それはあの日、魔法に倒れたジークの身柄と引き換えに、自分たちを襲った魔法兵へと差し出した――あの、漆黒の鞘の双剣だった。

 そして、旧友との邂逅を噛みしめるように、剣を胸に、背中を丸めるシアルヴィの背を、眉を下げた喜びとも悲しみともつかない表情で、ジークはただ、穏やかに見つめていた。



「さて――」

 発された言葉に、ジークがぱっと視線を上げ、シアルヴィもまた、双剣を抱いたまま背筋を起こし、ユミルの顔を真っ直ぐ見据える。

「あなた方は、これから、どうされるのですか?」

「私達は――」

ジークが答えようとした、その時だった。


 床に青く描かれた紋章と文字が突如、赤黒く輝き、火炎魔法に闇魔法を混ぜたような、禍々しい色の光の柱が立ち上がる。

「これは――!」

驚愕の声を上げるユミルらの前で、床の紋章と文字は赤黒く染まりながらも白く輝き、ねじ曲がり、本来描かれていたものからその姿を徐々に作り替えていく。

 それはさながらぐねぐねと動く生き物のようで、赤黒く輝きながら姿を変える異質なものを、彼らにはただ、見ていることしかできなかった。


 やがて立ち上がる光の柱が収まったとき、床に描かれた文様は春の海のような淡い青から、静脈血のような赤黒い色へと変化していた。

 描かれた紋章も、枝葉を広げた樹木にも似た印――『白の世界樹』にも似たものであったものが、さも天地を逆さにしたような、木の根を描いたようなそれへと変わり、二重円の中の文字も、いまだ人には読むことこそできないものの、それは明らかに、異なる文字へと書き換えられていた。


「これは――」

 床を見渡し、小さく口にしたシアルヴィが一瞬何かに気づいたように、ふとジークの姿を振り返り見る。

 ジークは視線を床へと落とし、唇を噛み、両手を固く握りしめていた。


「ジーク、これは、やはり文字なのか? 君には、読むことができるのか?」

 問いかけたシアルヴィに我に返ったように、ようやくジークは顔を上げる。

 だがすぐに再び視線を落とすと、秘密を打ち明ける子供のように小さく告げる。

神代じんだい言語――かつて魔界で使われていた、今では使う者もほぼいない、失われた言語の一種です。」

「なんと――書いてある。」

 ジークの返した言葉に、シアルヴィはわずかな驚きを感じながら、それでも落ち着いた口調で問いかける。

 ジークは一度両目を閉じ、ゆっくりと開いてから答えを返す。


「明後日――帝国領内『黒の広場』において――反逆者アーサーの処刑を行う――」


 ようやく絞り出すように口にした、ジークの声は震えていた。

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