第14話 そして打ち上がる
南都は小さな玉都である。
南都を中心とした南域が帝国に併合されたのは約150年前。気候が温暖で肥沃な土地に目をつけた帝国による侵略であった。
蛮族が去った後に建てられた南都は玉都を模して造られた街であり、その中心には南域天領地を統べる南都庁舎群が聳え立っている。
高い塀と強大な城門、そして周囲をぐるりと囲む堀は、平定後も何度か起きた蛮族の襲来に備えていた時代の名残である。
当時はこれに加えて跳ね橋も設置されていたが、最後に蛮族の襲撃があったのがおおよそ80年前。積み重なっていく平和な時間の中で、手入れに手間のかかる跳ね橋だけは30年ほど前に石造りの立派な橋に架け替えられている。
そして今、南都庁舎前に架かる石橋上では80年振りとなる襲撃の端緒が切って落とされていた。
派手に上がった爆発音が高らかに南都中に轟き渡る。脆くも崩れ去った城門を前に退避した衛士達はただ茫然とそれを見守るしかなかった。そんな彼等に向かって、居丈高に放たれた声がある。
「あらぁ、ちょっとノックしただけだったのに。ごめんなさいねぇ?」
欠片も悪びれた風情のない声はハルツグのものである。
城門の前に堂々と立ちはだかった彼女は、強気に胸を張って声を張り上げた。
「街中で盛ってる豚を捕まえたのだけど、巣箱はこちらでよろしかったかしら?」
おらよ、という掛声と共にラムダが衛士達に向かって、ぼろぼろになった男を投げつける。それは治安維持隊の制服を着こんでいたが、その制服は所々が裂けて、あろうことかズボンは膝までずり落ちていた。
「真面目に働いている若い娘さんを白昼堂々、通りに押し倒していたから捕縛したのだけど。手が滑っちゃって半殺しにしかできなかったわ」
ごめんなさい、としおらしく言ってハルツグは足元に転がった隊員の急所を手加減なく踏み抜いた。声にならない悲鳴を上げて悶絶する隊員の醜態に衛士の誰もが呆気に取られて言葉も出ない。
そんな彼らを乱暴に押しのけて、治安維持隊員が複数人飛び出して来た。
「何だっ! てめぇらは!!」
「ふざけたことしやがって!」
「俺達に刃向ったらどうなるか分かってんのか、おらぁっ!!」
「あなた達こそ理解力が足らないんじゃなくて?」
ハルツグはラムダと目を合わせてから、艶然とした笑みを浮かべた。
「こんなに分かりやすくケンカを売りに来てるのに」
直後、再度の爆発が城門を大きく揺らした。
治安維持隊が接収している建物にも、彼方の城門で上がった衝撃がびりびりと伝わる。地下牢への階段を降りかけていたフェスタローゼは、思わず足を止めて城門の方角を振り仰いだ。
「……えと、やり過ぎてない……よね? 派手にとは言ったけどまさか崩壊させたりしてないよね?」
「いやぁ、どうだろうねぇ。ハルツグに派手になんて言ったらどうなるかなぁ」
フェスタローゼの不安に対して、のんびりと答えたのは槍を背負ったレトである。先頭を行く彼は、軽快に階段を降りながら「ま、とりあえずは立派に陽動してくれているからいいよ。先を急ごう、姫様」
「……そうかな」
なおも不安そうに上を見る彼女にキカが振り向いて焦れた声を上げた。
「ほら、早く! 行くぞ、ローザ!!」
「……うん」
不承不承頷いて、フェスタローゼは階段を降り始める。しかし彼女は軽く唇を尖らして「結局ついて来るのね、キカ。待っていてって言ったのに」
「待っていられるわけないじゃん! 先生は俺が救い出す!!」
熱を込めてそう言い返してから、キカは先を行くレトに向かって身を乗り出す。
「なぁ、先生無事だったんだよな? ちゃんと生きているんだよな?」
「それなりに痛めつけられてはいたけど、動けたよ。俺が精道から半分だけ顔出したら、うひゃあって飛び退いたから」
「何で中途半端に脅してるんだよ。……この人大丈夫か、ローザ」
「んー……こう見えても私の従弟の護衛を務めていたし、腕は確かよ」
「どう見えてでもいいですけどね」
階段を駆け下りた先には鉄枠の嵌った重厚な木の扉があった。その扉を前にレトはこれみよがしに大袈裟な溜息をついて、両肩をがくりと落とす。
「殿下からの定期報告に来たらこんなことに駆り出されてさ。早く玉都に帰って1人ポステアしようと思っていたのに」
「友達いないのかよ、1人でして楽しいのかアレ」
「いいのよレトだから」
「どんなんでもいいけどさ」と律儀にツッコミをいれて、キカは目の前に立ちはだかる扉の前に立った。
「この先が地下牢か」
言葉尻に緊張が滲んで来る。傍らのレトを見上げた彼に、レトは微かに笑んで答えた。
「大丈夫。さっき偵察に入った時に鍵は外したから」
「分かった」
行くよ、そう声を掛けてキカはぐっと扉を押し開けた。ぎぎぃと軋む音と共に地下牢の匂いがこちら側に染み出して来る。
埃と黴と、そして汚物の放つ臭気が混ざり合ったひどい匂いにキカは「うっ」と小さくえづいて、袖を鼻に押し当てた。
縦に長い地下牢は不気味に薄暗い。一応はシェハキム石の入ったランタンが等間隔に掛かってはいるものの、不純物と混じりあったシェハキム石なのだろう。放つ光は細々と頼りなく、却って地下牢の陰惨さを際立たせていた。
そんな牢内にキカは果敢に踏み込んだ。
先生の無事を早く確かめたい。その一心がキカの足をどんどんと早めさせて行く。
キカはほとんど小走りで牢を駆け抜けると、一番奥の格子に取りついた。
「先生! ガザン先生!!」
「……キカか」
暗い牢内でのそりと影が動いた。しわがれた声には深い絶望と疲労とが現れていたが、それはまごうことなきガザンの声であった。
「そう! そうだよ、俺だよ! 助けに来たよ、先生!!」
片腕を押えたガザンが暗がりから明るい方へと出て来た。
無惨に腫れ上がった左目に、盛り上がった血がそのまま固まってこびり付いている唇。左手で押えられた右腕はだらりと下がったままで動かない。
疎らに伸びた髭に覆われた口元が緩むも、ガザンはすぐに辛そうに顔を顰めた。
「先生、もう大丈夫だから。今、助けるよ!」
「ほいほい」
進み出て来たレトが懐から出した鍵を鍵穴に差し込む。かつん、と頼もしく響いた音に我先にと飛び込んだキカがガザンに飛びついた。
「先生! よかった、生きてる! よかった!!」
「すまん……いらん苦労をかけたな、すまん……」
「先生、右手が」
「あぁ、これか」
キカが心配そうに垂れ下がったままのガザンの右腕に目をやる。ガザンは弱々しく笑って、左手で右腕を少しだけさすった。
「治安維持隊の専属になれとボズ=ロッソに命令されて断ったらこのザマだ。ぼっきりと折られてしまったよ」
「くっそ、あいつら……!」
「折れたくらいなら後でハルツグに治してもらえばいいよ。それよりか今は早く脱出しないと」
「そうね、早く行きましょう」
「ローザ殿まで……私のために……」
「いいのよ。私はキカの熱意に手を貸しただけ。お礼は後でキカに言ってあげてくださいな」
かたじけない、小さく呻くように言ってガザンは頭を下げた。
「……ちぃっと待って」
螺旋状の階段の終盤でレトが続く一行を止める。
歩くと右腕が痛むのか、ダラダラと脂汗をかくガザンをかばうようにキカが彼の前に立つ。殿を務めていたフェスタローゼも足を止めて刀の柄に手を掛けた。
ざわざわと複数の人間の声がこちらに向かって来ている。
「どうする?」
低く尋ねたフェスタローゼにレトも押し殺した声で「こっちに来なきゃいいけど」
彼がそう言いい終わらない内に「誰だっ!!」という驚愕の声が冷たい石壁に反響した。
「仕方ないなぁ」
「侵入者だ!」と叫びかけた隊員の腹に石突きがめり込む。流れるような槍捌きの前に集まって来た隊員達が次々と倒されて行く。
「姫様! 外に急いで、早く!!」
レトの叫びにフェスタローゼはキカと一緒にガザンを両脇から支えて一路、脱出口へと急いだ。しかし怪我人を抱えての退避はどうしても時間がかかる。
思うように進んで行かない背後ではレトが押し寄せる隊員達を一手に引き受けて、薙ぎ払い、突いて、押し返していた。
「先生、頑張って! もう少し!!」
キカの檄に、ガザンも必死に頷いて応える。彼はもつれる足で懸命に懸命に前へと進んで行く。
「あぁ、もう! わらわらと!! どこにこんなに詰まってるのさ!」
背後でレトが苛々と叫んだ。
エフィオンである彼がゴロツキ程度の相手に引けを取ることはないものの、その数の多さが彼を辟易とさせているようだ。
「レト?」
「ごめん、姫様。ちょっと一気に吹き飛ばすわ」
「え? ちょっと! ちょっと待って!」
構えた槍の穂先が仄青く光る。
フェスタローゼが止めるよりも早く、レトは精道の絡まった穂先を石床に思いっきり突き立てた。穂先から放たれた精道が床や壁を伝って、集まって来ていた隊員達をことごとく吹き飛ばす。
目の前に広がる瓦礫の山に、レトは満足そうに息をついて槍を引き抜いた。
「一網打尽! すっきりしたぁ」
「うぉぉ、すげぇ……!」
キカの素直な感嘆にレトは親指を突き立てて応じた。その両脇でぴきぴきと不穏な音が洩れる。
「あら?」
「おんやぁ?」
ぱらり、ぱらりと埃が舞い散り始める。レトは足元を見て、両脇の壁を眺めて、最後に天井を見上げた。
「ごめん、姫様。やり過ぎちゃった」
「レト?!」
次の瞬間、轟音と共に一斉に天井が抜け落ちた。
フォーン帝国列世記 ぱのすけ @panosuke
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