第13話 導火線
深く外套を被って歩き始める。
外套の縁に沿って切り取られた街の景色が意味もなく両脇をすり抜けて行く。
“こんな事放っておけない”
その言葉に嘘はない。
しかし、“父と戦う”覚悟はなかった。
玉都を出てから2年近く。様々な変化が宮廷を揺るがしている。
政権の要たるスルンダール上級伯は更迭され、ヴァルンエスト侯は命を落とした。
そして若いながらも熟練した手腕を発揮していたザインベルグ一等爵士が地位を追われて、一片の才覚もないランディバル侯グリゼルダが後釜に収まった。
皇内大務に自らの愛人を据えて、皇帝を囲い込んだグリゼルダの元で、帝国は明らかな斜陽を辿りつつある。
「私はどうする」
歩きながら1人自問する。
兄の逝去で転がりこんで来た皇太子の地位。それはいつでも収まりが悪くて、他人の服を無理矢理着ている気持ち悪さがあった。
でも離れて見返す今ならば良く分かる。
両親も、大叔父も従弟も。そしてあの気難し屋のスルンダール上級伯でさえも。
あの場のほとんどの人々がフェスタローゼの良さを認めて、成長を支えていてくれた。
自分に目を塞ぎ、自分にない物を求めて、勝手に転落して行ったのは他ならぬフェスタローゼ自身だったのだ。
強く在りたいと願い、研鑽を積んでいる現在程に充実した日々はない。
「でもそれだけでいいのか」
1人問うても答えはない。
フェスタローゼは、ごちゃごちゃと疼く胸を軽くドン、と叩いて辺りを見回す。
考え込む内にいつの間にか、城門から南都庁舎へと続く一番の大通りへと差し掛かっていた。
いつもならば行き交う馬車の忙しない車輪の音や、勇ましい客引きの声が飛び交っている時間だが、何故か今日に限って不穏な静けさに満たされている。
露天商も、道を行くはずの街の人々も、誰もが不安そうに息をつめて大通りの両脇に立ち尽くしている。
一体どうしたのだろうか。
人垣に身を滑り込ませたフェスタローゼは、目の前に広がる光景にはっとして息を呑んだ。
大通りを意気揚揚と行くのは治安維持隊の面々であった。
「きりきり歩けぇ! ゴミ野郎!」
漆黒の馬を駆る隊長が手にした荒縄を乱暴にぐいっと引っ張る。
戦利品よろしく隊長が引き連れているのは手首を前で縛られた2人の幼い兄妹だ。
継ぎはぎだらけのみすぼらしい服装に、指の突き出た靴。どこからどう見ても棄民の子供だ。二人共にひどいすり傷だらけで、妹の膝は血に塗れて赤く染まっていた。
「……なんてむごい」
フェスタローゼの脇にいる男性が呻いた。その呻きが更なる怨嗟の呟きを引き出す。
「ここまでやる必要があるのか」
「一体、皇帝は何をしている」
「ろくでなし共め……!」
フェスタローゼは外套の襟元を強く握りしめた。ドッドッと脈打つ心臓の鼓動が耳の中で大きく響く。
彼女は険しい表情のままに眼前に広がる無情な行軍を見つめた。
その厳しい表情から不意に力が抜ける。
フェスタローゼは外套を深くかぶり直して醜悪な行軍に背を向けた。
“お前にできることはない”
リスタルテの言葉が甦る。
国を民を守りたい。その思いに嘘偽りはない。しかし、今の自分に出来ることはない。時はまだ満ちていない。事は慎重に運ばねばならないのだ。
落ち着け、落ち着け、と呟きながら人垣を抜けて、大通りから離れて行く。
背を向けた大通りから大きなどよめきと「うわぁぁん!!!」という悲鳴が上がる。
「あっはははぁ! チビがこけやがったぞ!」
「隊長、もっと速度上げてやれ!」
「やれ!やれ!」
無慈悲に囃し立てる隊員達の間から、疾走する馬に引き摺られて行く妹の無惨な姿が垣間見えた。
「やめろよ! 停まれよ! 停まってください!! 死んじゃう!! お願いです!!」
兄の必死の訴えも、より隊員達を興に乗らせるだけだ。彼らは手を打ち、口笛を高らかに鳴らして哄笑し続ける。
フェスタローゼの足が止まった。
「通して! どいて!!」
人垣に飛び込んで人々を夢中で押しのける。驚いて避けて行く人々の間を縫って、フェスタローゼは大通りに飛び出した。
突然の椿事に唖然とする隊員達の間を素早くすり抜けて、幼い兄妹を縛める荒縄に取りつく。
渾身の力で荒縄を思いっきり引っ張る。
隊長の手が緩み、荒縄が彼の手を離れた。その隙に妹を助け起こして荒縄を解く。次いで、兄の方の荒縄も手早く解いていく。
今ではない、もう少し。後少し。
覚悟と決断を未来に委ねて、その先でどれだけの民を救おうとも何の意味があるのか。
目の前の幼い2人を見捨てた先に積み上げられる善行などまやかしでしかない。
自分の行く未来には、この2人もいなければならないのだ。
「大丈夫よ。大丈夫」
2人を一瞬抱き寄せてから、すっくりと立ち上がる。そこに隊長の怒号が雷鳴の如くに轟いた。
「何しやがんだ、てめぇ!!」
幼い兄妹を背に庇い、フェスタローゼは激高する隊長と対峙した。
毅然とした横顔には迷いも後悔もない。ただそこにあるのは決断した者の強い意志のみだ。
フェスタローゼは隊長を見据えたまま油断なく周囲を見回した。
正規の訓練を受けていないゴロツキばかりなのが今は僥倖だ。立派なのは形ばかりで彼らの包囲は穴だらけだ。
これなら行ける。
フェスタローゼは小さく頷いた。
「ちゃんとついて来てね。大丈夫よ」
再び2人に囁く。
頷き返す気配を感じながら、フェスタローゼは弾丸の如くに右側にいる隊員に飛びかかった。
懐に一気に飛び込んで下からの掌底で顎を打ち抜く。隊員は「ぐっ……」と籠った悲鳴を上げて、どうっと倒れた。
「クソアマが!!」
「なめ腐りやがって!」
後ろから拘束して来た腕に思いっきり噛みつく。怯んだ隙にフェスタローゼは全体重を乗せて相手の足を踏み抜いた。ぎゃ!と叫んで拘束を解いた所に、さっと身を屈めて容赦なく頭突きをかます。
次いで大振りな打撃を避けて反撃しようとした時、視界の端でダッと走り出す幼い兄妹の姿が見えた。
「待って!」
思わず気が逸れる。その刹那、野太い手がフェスタローゼの胸倉を掴んだ。
「好き勝手暴れやがって!!」
巨大な拳が振り上げられる。
だが、その拳は振り下ろされることはなかった。
隊員の右頬が強烈な一打に歪む。彼は横様に吹っ飛んで、近くに立っていた隊員もろとも地面に転がった。
「汚ねぇ手で触るんじゃねぇよ」
「……ラムダ!」
フェスタローゼの前に立ちはだかったラムダは治安維持隊を睨みつけながら、「いいから。姫様はあの子達を」と囁く。
「分かった。ありがとう」
短く答えて、フェスタローゼは身を翻した。
ぐすぐすと泣きじゃくる妹を連れた兄の細い背中が人垣へと紛れて行く。
おぉ!とか、まぁ!とかいう声が両脇に流れる。人垣をすばしこく行く2人には届きそうで届かない。
「待って! 大丈夫だから!」
「来て。あなたはこっちよ」
何度目かに伸ばした手を不意に取る者があった。同時に耳元で若い女性の声がする。
その手に導かれるままにフェスタローゼは群衆から抜け出して、大通りから連なる小路の1つに飛び込んだ。
フェスタローゼの手首をしっかりと握って走るのは、大柄なスカーフを纏った女性だ。
細く華奢な指や、その滑らかな感触が、彼女が額に汗する階層の女性ではない事を物語っている。
「もう大丈夫かな」
幾つもの小路を渡った果てに女性はフェスタローゼの手を離して振り返った。振り返った顔は意外にも幼さの残る顔立ちで、フェスタローゼと同世代のように感じた。
「あの、助けてくれてありがとう」
「いえ、お礼を言われる程のことじゃないわ。あなたの方こそ凄い勇気ね。あんな野獣共の前に飛び出すなんて。中々出来ることじゃない」
「そんなこと……でもあの子達が」
「それは大丈夫よ。保証するわ」と頼もしく頷いて、女性は可愛らしく小首を傾げる。
「あなた、ちょっと目立ち過ぎたかも」
女性はするりと自分の巻いていたスカーフを解いた。そしてフェスタローゼの頭をそのスカーフで覆うと、満足そうに微笑む。
「これで少しは印象が変わるかしら」
「ありがとう」と微笑み、フェスタローゼは周囲を見回した。引かれるがままについて来たためにここがどこなのか見当もつかない。
「バンジェット商会に行く途中だったのだけど、ここからはどう行けば?」
「んーと、あそこに見える小路に入って一つ目の角を曲がるとちょっとした広場に出るの。広場と向かいにある金物屋の間の道を南都庁舎が見える方に行けば、バンジェット商会のある通りに出るわ」
「そうなのね、ありがとう」と返した時、背後から「こちらでしたか」と声がかかった。
「あら、どうだった?」
女性が小路の入り口の方に出て行く。
地味な色の外套に身を包んだ壮年の男性は恭しく小腰を屈めた。
「クロエ様の指示通りに。子供達も無事に保護致しました」
「そう、ありがとう」と丁寧に答えて、南都代宰の孫娘であるクロエは振り返った。
「そうだ、この者に案内させるから」と言いかけた口が途中で止まる。
振り返った小路にフェスタローゼの姿は既になかった。がらんとした空間をさやさやと砂埃が渡って行く。
「……まぁ。もう行っちゃったの」
「クロエ様?」
「いいわ、行きましょう。あの子たちの手当をしてあげなきゃ」
きびきびとした動作で歩き始めたクロエは小路を出る所で、ふと振り返った。
「凄く気品のある方だったわ……」
フェスタローゼはバンジェット商会のどっしりとした構えを見上げて、ようやく安堵の溜息をついた。
ここまで戻ってくれば安心だ。
随分と長い散歩になってしまった。ハルツグが心配しているかもしれないし、ラムダのことも気にかかる。それに自分の決意も伝えたい。
「よし」と大きく息をついてフェスタローゼは裏口の扉に手を掛けた。
ほぼ同時に裏口が勢いよく開いたのに驚いて、思わず後ろに身を引く。
「……ローザ」
「何だ、キカだったの。お使いは終わった?」
「いや、まぁ……うん」
歯切れ悪く頷いてキカは外に出て来た。
小脇に抱えている包みに目を向けて、「あら、またお使い?」と尋ねると彼はバツが悪そうに目を伏せる。
「ん、そんなとこ。じゃ、俺急ぐから」
そそくさと行こうとするキカの様子が妙に気になって、フェスタローゼは彼の腕を取った。
「どうしたの? 何か様子が変よ」
「そんなこと……ない」
「だって」
「もういいだろう? 急ぎの用なんだよ」
苛々とキカは腕を振り払って出て行こうとする。
「待って、キカ!」
キカを掴もうとした手が逸れて、彼の持っていた茶色の包みを掴んでしまった。びり、と紙の破れる音がして中身がごとりと地面に落ちる。
地面に転がったのは鞘に包まれた短刀だった。慌てたキカがそれを拾うのよりも、フェスタローゼの方が僅かに早かった。
「……キカ。これは何?」
キカは答えない。聞かん坊のように唇を頑固に閉じて、じっとフェスタローゼを睨み付ける。
「用って何なの?」
「……だって」ぽろりと一言、零れ落ちた。
「誰も先生を助けてくれないじゃないか!!」
キカの絶望的な叫びがやるせなく裏庭に轟く。
「カザクラにまで走って行ったのに! 全員のらりくらりとして! ぐずぐずしてたら先生が殺されちまうかもしれないのに!!」
「でもリスタルテが言っていたでしょう? ガザン先生は優秀な白緑士だから生きて使うことに価値があるって。だからすぐに命の危険があるとは思えないわ」
「そんなこと……! あいつらが何しでかすか分からないのは、ローザも知ってるだろ?!」
フェスタローゼの脳裏につい先程の酷い光景が浮かぶ。キカの言いたいことはよく分かる。確かに治安維持隊は粗野でどうしようもない連中だ。
「だからって」
「もういい」
短く言い捨ててキカは行こうとする。
「待って! 駄目よ!」
慌てて後ろから抱きついてキカをとどめる。彼は激しく身悶えして叫んだ。
「離せ、ローザ! 俺が先生を助けるんだ!!」
「何をそんなに焦っているの? 落ち着いて!」
「俺の父ちゃんは領主の館に行って戻って来なかった!!」
キカはフェスタローゼを振り払って、正面から彼女を見据えた。
「お前達、貴族はいつもそうだ! 手前勝手に俺達の大事な物を奪って行くんだ!!」
強い孤独と怒り、絶望の全てがこもった言葉がフェスタローゼの横面を打ちはたく。
「母ちゃんも、父ちゃんも! みんなお前達貴族に奪われたんだぞ! だから先生は……。ガザン先生だけは……!!」
この手で救いたい。
言葉にならずに、キカはただ拳を握りしめる。
関節が白く浮き上がるその拳をフェスタローゼはじっと見つめた。
この叫びを知らずに過ごして来た日々を心から恥じる。
指の間から零れ落とした全ての命に、『仕方のない』ことなんてなかったのだ。
「キカ」
名を呼んで、その拳を両手で包み込む。
キカは暗く沈んだ瞳で、それでもフェスタローゼに目を向けた。
その瞳を覗き込み、フェスタローゼはしっかりと頷く。
「私が行く。だから待っていて」
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