第12話 不都合な甘さ
カザクラ領を出立して2日後。キカを伴ったフェスタローゼ一行は正午過ぎに南都へと到着した。
「リスタルテさん、すいませんでしたっ!!」
「おぅ、無事に帰って来たか」
確実に怒られる。場合によっては手が出るかも、とバンジェット商会に戻ったキカの悲痛な覚悟はあっさりと打ち破られた。
キカの出奔など忘れたかのような気安さで一行を迎え入れたリスタルテは咥え煙草をギュッとねじ消す。
「で? カザクラは何て言ってた?」
「いや、何で俺がカザクラ家に行ったって……」
「そりゃあさ」
リスタルテの視線がキカの後ろに立つフェスタローゼ達をなぞった。
「この面々が来たってことはカザクラ以外ないだろ。後、行ったきりで戻って来ていない誰かさんとかな」
「あら、そんな人いるの? 大変ね、支店長さん」
ハルツグがしゃあしゃあと肩を竦める。
「お前は後で説教だ」
「私が素直に聞くとでも?」
「やだ、怖い怖い」
1歩前に踏み出して好戦的に笑うハルツグに、傍らのラムダがさっとフェスタローゼの影に隠れた。
「姫様も離れた方がいい。えげつないからあの2人」
「お前は俺達を何だと思っているんだ」とにっこり笑ったリスタルテにキカの必死な声が縋った。
「あの、ガザン先生がどうなったか聞いてませんか?」
んー、と首を捻ってリスタルテは新たな紙巻煙草に指をかざす。その指先にポッと小さな火が灯って、煙草から一筋の煙が立ち上った。
「戻って来てはないな。エルマイネは何て?」
「……手は回すけれど時間はかかるだろうって」
キカの目が暗く沈む。そんな彼の前でリスタルテは悠然と煙を吐いて、「だろうなぁ」と頷く。そんな彼の様子にキカはいよいよ俯いて唇を噛み締めた。
「まぁ、ウチから手を回しても結果は同じだろうよ」
「……でも早くしないと」
キカはさっと顔を上げて、リスタルテに詰め寄った。
「早くしないと先生が危ないよ! あのボズ=ロッソって野郎は前から先生に目をつけていたし! このままじゃ先生が……!!」
切実に訴えるキカの叫びが突き刺さる。フェスタローゼは手を伸ばして彼の肩に手を添えた。
するとキカは悔しそうに「そんなに待ってられないよ……」とまた下を向く。
「あのさぁ」
リスタルテは煙草を挟んだ方の手の親指でこりこりと頭を掻いて、キカに投げ掛ける。
「あの先生は白緑士なんだから、生きて利用することに価値があるんだよ。だから滅多なことはされないさ。お前は何をそんなに焦っているんだ」
キカは答えない。彼は依怙地に拳を握りしめて床を睨み付けている。2年が経過して随分と逞しくなったはずの背中に滲むのは、ピッケと旅していた頃の幼さだ。
「どうしたの、キカ」
「……だってさ」
返る声は野太く、低い。
「見極めろ、キカ。それしかない」
キカの激情に注がれるリスタルテの言葉はあくまで冷静だった。
精一杯に目を見開いて肩をいからす少年に彼は紙切れを突き出す。
「今は自分にできる事をする。というわけでお使い行って来い」
「……何これ」
「いやさね。我が商会には熱烈なファンがいてな。店頭に商品を並べるとすぐに持って行くんだよ。惜しむらくは一向に代金を払ってくれないことだがね?」
「え? じゃあ何で仕入れるの?」
「面白いくらいに何でも持っていくから、色んな商店の持て余している在庫を安値で買ってるのさ」
当惑気に訊いたフェスタローゼにリスタルテは笑い含みで答えた。
「そういえば、昨日だったか。ここから持って行った品で複数人が腹壊したとか言って来たなぁ」
「どうしたんですか、それ」とぶっきらぼうにキカが問う。
「ちゃんと丁寧に謝罪したぞ。誠に申し訳ございません、お代は購入金額の3倍にしてお返し致しますってね」
「金払わずに持って行った商品にか」
「0を3倍にしても0ね」と言って、ハルツグがくすくすと笑う。
「ま、ここで地団駄を踏んでいても仕方ない。とりあえずお前は働け、キカ。お前に今できる事はそれだ」
「……分かりました。行ってきます」
ぎゅう、と紙切れを握り込んだキカはぞんざいに頭を下げて部屋を出て行った。
ぱたん、と無表情に閉じた扉を見届けてフェスタローゼはリスタルテに視線を戻した。
「あの」
「ローザ、お前はカザクラ領に帰れ」
「でも、こんな事放っておけない。治安維持隊のやり様は目に余る」
すかさず返された言葉に思わず言い返す。リスタルテは、最後の一吸いを実に美味そうに吸いきると手元の灰皿で押し潰した。
「じゃあどうする? 自分の父親と戦うのか」
叩きつけられた言葉に咄嗟に言い返せずにフェスタローゼはただ彼を見つめた。
リスタルテはゆったりと腕を組んで、そんな彼女を見返す。その顔に浮かぶのは人を食った得体のしれない薄笑いだ。
「確かに奴らはクソみてぇなゴロツキ共だ。だがな、あいつらを治安維持隊として編成して、その職権を与えたのは他ならぬ皇帝自身だ。つまり奴らは帝国のれっきとした正規部隊だ。それに異を唱える。意味するところが何なのか分かっているのか」
分かっている、とは言えなかった。
幾ら振る舞いがひどかろうと、彼等に異を唱えることは皇帝に弓引くことになる。
皇帝、つまりは父と戦う。
その現実を目の前に突きつけられた瞬間、フェスタローゼは自分の中にその覚悟が全くなかったことを悟ってしまった。
カザクラから南都に向かう間に聞かされた治安維持隊の悪辣ぶりに燃え盛っていた胸の内が、もやもやと燻っていく。
彼女の胸中を知ってか知らずか、リスタルテは更に詰めて来た。
「国の行く末を決めるのは玉都だ。南都で何を叫ぼうが玉都には届きゃしねぇ。お前にできる事はない。大人しくカザクラに帰れ」
「いや、そんな言い方は……! そもそも姫様を玉都から連れ出したのは俺達の方だろ?」
「身の安全は保障する。俺達には俺達の古き約定がある。昔々の王子様との約定がね」
「だからって!」
「もういい、やめて。ラムダ」
「姫様」
やめて、とフェスタローゼは首を振った。
リスタルテの言葉は容赦ない。容赦がないが、彼の言葉は真実だ。的確に今のフェスタローゼの立場を言い表している。
それは痛い程に分かる。先程までのキカと同じ位に、痛い程に。
だが分かっていてもなお、胸中の燻る伏せ火までは消し去れない。
フェスタローゼは深々と外套をかぶって他の3人に背を向けた。
「少し歩いて来る。……戻ったらカザクラに帰る」
「でも1人じゃ」と進み出たハルツグに彼女はきっぱりと首を振った。
「1人にして」
冷たく言いきって、フェスタローゼは部屋を後にした。
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