第11話 失望の連鎖

「すぐに執務室に来るように」


 フェスタローゼがその報せを受けたのは、一通りの鍛錬を終えて修練場から戻った直後の事だった。

 日も昇ったばかりの早朝。いつもなら走り込みをする予定なのにと不審に思いつつも、手早く着替えを済ませて言われた通りに執務室へと急ぐ。 


「急いでかきこむからだ。ほれ、慌てなくて良いからゆっくりと飲み込め」

「……はぁ。あ、ありがとうございます」

「……キカ?」

 部屋に入った途端、そこにいる筈のない見知った顔を見て、フェスタローゼは思わず戸惑いを露わにした。


 あちこち擦り傷だらけでボロボロになったキカが、何故か執務室で目の前に並べられたおにぎりを両手に抱えて頬張っている。心なしか顔色も悪い。まさに疲労困憊といった感じだ。


 キカはナギハから手渡された湯呑みを飲み干すとペコリと頭を下げ、それでようやく、今にも泣き出しそうなその顔をフェスタローゼに向けた。


 部屋には他にハルツグとラムダ、それにエルマイネもすでに揃ってはいるが、状況の理解に頭が追いつかない。先だってカザクラで商会の買い付けをして南都に戻った筈のキカが、何故こんな所でナギハと向かい合っておにぎりをがっついているのか。


「森の中で行倒れておったのでな。拾って来た」

「ナギハ様。……言い方」


 フンッと鼻を鳴らすナギハをエルマイネがやんわりと諭す。フェスタローゼはますますもって訳が分からなくなり、「はぁ」と返す。


「南都から一昼夜かけて飲まず食わずで走ってきたらしい。途中の森は野生の獣も多く、活動期を過ぎたとはいえ樹人に襲われる事もある。勇猛と無謀を履き違えるなバカモノが」

「南都から、……一人で!?」


 ナギハに叱られたキカが申し訳なさそうに顔を伏せる。

 なるほどそれでと、ボロボロな様子への理由は腑に落ちたものの、なんでそんな無茶をという言葉が喉まで出かかった。


 そんなフェスタローゼにナギハが座るようにと促す。

 一体何から問い詰めれば良いのか。ソファに腰をおろしつつも一生懸命に状況を整理しようとしているフェスタローゼを確認すると、ナギハはエルマイネへと声をかけた。


「確認は取れたのか?」

「……残念ながら、まず間違いないようです」

「そうか」


 鎮痛な面持ちで頷くエルマイネに、ナギハがそっと息を洩らす。その様子にただならぬ不安を感じて、何が、と訊きかけた所で、顔を伏せたままのエルマイネが先に口を開いた。


「ガザン先生が南都で身柄を拘束されたそうです」

「ガザン先生が? ……なんで」

「あいつらが! あいつらが先生を!」

「……キカ?」

「あいつら、先生が棄民の人達を助けるのが気に食わないんだ! 先生はいつもあいつらから棄民の人達を守るから! だからあいつらが先生を!」

「落ち着いてキカ。棄民の人達がどうしたの? あいつらって誰? 先生に何があったの?」


 拳を強く握り締め、肩をワナワナと震わして声を上げるキカに、フェスタローゼが宥めるように問いかける。


「何が治安維持隊だ! ふざけるな! 皇帝陛下の命令だからって散々好き勝手やりやがって……っ!」

「あの食わせ者……、リスタルテは? バンジェット商会はどうしておる?」

「状況的に厳しいようです。どうやら徹底的に目をつけられているようで、商会としての活動が今は難しいかと」

「……南都で何が起きてるんですか? 皇帝陛下が何を?」

「順を追って話そうか……」


 知らず、顔を青ざめさせたフェスタローゼにナギハが向き直る。


「そもそもの発端は、ランディバル侯グリゼルダが皇帝陛下に棄民排斥を認めさせた事にある」

「皇帝陛下が、……認めた?」


 その言葉に一瞬、目眩にも似た感覚が襲う。それはありえない事だった。

 棄民とはそもそも税金を払いきれなかったり、治安の悪化などで領地を離れ、放浪する民のことだ。誰も好き好んで生まれた土地を離れている訳ではない。只、已むに已まれぬ事情で放浪の身となる民は残念なことにいつの時代でもいる。

 特に放埓な圧政を敷いた先帝の治世では帝国史上類を見ない程の大量の棄民が生まれ、それは現在に至るまで解消されてはいない。


 玉都にいた頃の父はそんな棄民達をどうにか救済できないか、と心砕いて事に当たっていた。フェスタローゼ自身も父の采配の元で、棄民救済の措置を何度も行っている。

 

「どうして……」、と思わず呟いたフェスタローゼを余所にナギハは先を続ける。

「グリゼルダはその為に、警務師の中に特別部隊を組織した。官制八師の通例に無い、大務直属の実働部隊だ」

「それが、治安維持隊……」

「名前だけは立派だがな。何を考えての事か知らぬが、その実態は粗暴なゴロツキの集まりだ。だがそれも、皇帝陛下のお墨付きとなると話も変わってくる」

「各領地での悪評は散々に聞いています。棄民相手に略奪、暴行と好き勝手し放題らしいですね。本来であればそれらを取り締まる筈の警務師所属の者達がそれをするのですから余計にタチが悪い」

「……なっ!?」


 ナギハの話を引き継いだエルマイネが憎々しく言い放つ。その内容にはフェスタローゼも言葉を失うより他に無い。この帝国内で一体何が起きているのか。


「尚悪い事に、噂ではその者達に司法権と統帥権の独立保持が新たに認められたのだそうだ。……何かの間違いであろうと半ば程は疑っておったのだがな」

「それもどうやら本当のようです」

「司法権と統帥権の独立保持……」


 更に耳を疑うような話に血の気が失せていく。それは帝国全土といえど、唯一東都代宰にのみ許された特権の筈だ。


 それは霊珠という唯一無二の神宝を管理保有する東都という特別な場所だからこそ許されているのであり、それと同等の権利を有するという事、その意味する所の重大さに肝が冷える。


「だから俺、先生を助けて欲しくて、それで、ここに来れば、ここに来ればきっと助けてくれるって! お願いします! どうか先生を、先生を助けてください! どうか、お願いします!」


 言葉を失ったフェスタローゼを尻目に、キカがエルマイネに必死になって懇願する。カザクラ大公家は帝国の辺境を守る八大公の中でも特に、頭一つ抜き出た存在でもある。ただの地方領主ではなくカザクラ大公家ならばという、期待がその顔にはっきりと現れていた。


「……気持ちは同じですが。難しいかもしれません」


 だが、カザクラの御曹子であるエルマイネは厳しい表情でキカに否定の言葉を返した。


「カザクラの名を以てガザン先生の身柄の受け渡しを要求する事は出来ます。ですが、彼らがそれに応じるかどうか。最悪彼らには、分不相応に手に入れた統帥権をたてに、南域の領地から集めた兵でカザクラ討伐の軍を集める事も出来ますので」


「例えそうなったところで負けはせぬがの」

「……ナギハ様。勝ち負けの問題ではないのです。ガザン先生は確かに得難い人材ですが、ただ一人の為にこのカザクラが南域全体の領主軍、ひいては帝国全土を敵に回すことにもなりかねないとなれば、慎重にならざるをえません」

「……小僧、あれを寄越せ」


 頑として譲らないエルマイネにナギハが軽く眉をひそめると、すぐ前にいるキカから千切れた帯封を受け取った。するとナギハは、その帯封に印された紋章をエルマイネへとつきつける。


「カザクラの名を蔑ろにする者を、私は決して許しはせぬ。それがこの地で生きる我らの生き様よ。……エルマイネ」

 ナギハとエルマイネの目がかち合う。数瞬の葛藤の果てに、エルマイネは顔を伏せた。


「……手は尽くします。時間はかかるかもしれませんが」

「俺、すぐに南都に戻ります!」

「キカ、……くん?」

「ごめんなさい。ありがとうございます! 俺もまだ、南都に戻って何か出来る事を探してみます! リスタルテさんや商会の事も、先生の周りにいた人達とか、他にも何か、俺にもやれる事があるかもしれませんし!」


 ガバっと立ち上がったキカが、そのままの勢いで胸の内をまくしたてる。それは、カザクラ大公家にさえ来れば何とかなる。そう思っていたに違いないその希望と落胆の大きさをひた隠しにするような必死なものだった。


 そしてそのまま立ち去ろうとするキカだったが、ナギハがその襟首をひょいと摘んで引き戻す。


「たわけか。一人で道中の森を抜けるのは無謀だと言っておろう。まだ分からぬのかお前は」

「でも、俺……!」

「引き止めはせぬ。一人で行くなと言っておるのだ」

「私が行きます」

「……ローザ?」


 それまでずっと黙っていたフェスタローゼが声を上げる。エルマイネを始めとしてその場にいる者達がきょとんとする中で、ナギハだけはただ、フェスタローゼに「ほぅ」と声を返す。


 この間。キカを見送った時から胸の内で燻っている思い。

 強くならねばならない。しかし、その間に取りこぼすものがあるのでは。

 それを打ち払うがごとくに鍛練に没頭すればする程に、より鮮やかに輪郭を成して来る葛藤。その葛藤がフェスタローゼを突き動かす。


「私が行っても何も出来ないかもしれない。何の力にもなれないかもしれないけど、それでも。キカと一緒に南都に戻ります。……いえ、私は行かなければいけないんです」

「姫様、ですが」

「お願いハルツグ。分かってる。このままここにいた方が良いんだと。けど、それでも私は、南都に行かなければならないんだって、そう思ってる」

「ローザ。……いや、フェスタローゼよ。己の身も守れぬお前が南都へ行ってどうする? そこで何をするつもりだ?」

「……分かりません。やっぱり何も出来ないのだと思い知らされて、また自分で自分が許せなくなるかもしれません。けど、私はキカや先生を、南都の人達の事も、このまま見て見ぬふりをしたままではいられないんです」


 まっすぐに顔をあげて見据えるフェスタローゼの視線をナギハが受け止める。

 気負いもある。焦りもある。だがそれ以上に何か譲れないものがあるのだと、その意思をこそ見定め、ナギハはふと表情を緩ませた。


「行くがよい」

「ナギハ様!? そんな急に。無茶ですって!」

「行ってその目で見て、耳で聞き、己が何をすべきか見定めてまいれ。……ずっと迷っておったのであろう? その答えを、見つけてこい。この無謀な小僧と一緒にな」


 フェスタローゼはすっと背筋を伸ばした。そして深々とナギハに頭を垂れる。


「はい。……ありがとうございます。ナギハ様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る