第10話 愚行の極み

「先生が連れて行かれたって」

 縋る女性を受け止めながら、背後の診療所を振り返る。

 起きた暴虐をとどめたままの診療所には、もちろんガザンの姿はない。


「いつもの通りに診察していたら、いきなり来やがったんだよ。あいつら!」

「そうさ。いきなり来て有無を言わさず先生を拘束してさ。先生が抵抗したもんだから、奴ら診療所内で暴れて……。で、あの有様さね!」

 手伝いの女性と近所の女性とは互いを見やって、直面した捕り物の様子を矢継ぎ早に教えてくれる。

 キカは、そっと女性を放して診療所に体を向けた。


「本当にあっという間に連れ去られて……何がどうなっているのやら」

「なんで奴らが先生を?」

 キカの問いかけに女性はただ、青ざめた顔を振る。


 治安維持隊の横暴な振る舞いは、時として南都の市民にも及ぶ。だがそれらはいつも一過性のものだ。奴らの標的は棄民であって市民ではない。にも関わらず治安維持隊は先生を捕縛し、身柄を拘束した。その違和感がキカの中に大きな不安を掻き立てる。


 先生は確かに、棄民も分け隔てなく診てはいた。そのことがこれ程の結果に繋がるだろうか。それとも個人的な繋がりを匂わせていたあのいけ好かない司令官の差し金だろうか。


 様々な可能性と疑惑がキカの脳内をぐるぐると回る。

 押し寄せる不安に泡立つ胸中を抱えたまま、キカは砂に塗れたカザクラの帯封をほぼ無意識で拾い上げた。


 そんな彼に女性の懇願が縋り付く。

「キカ、先生はどうなっちまうんだい? ちゃんと戻ってこれるんだろう? ねぇ、そうだよね?」

「大丈夫。……落ち着いて」

「でも」

「大丈夫だから」と、キカは優しく女性の肩をたたく。

 そして物が散乱した診療所を指差し、「先生はきっと帰って来るよ。だから診療所を片づけておかないと。ガザン先生が戻って来たらすぐに診療を始められるように綺麗にしておいてよ」

「……あ、あぁ。そうだね、そうだね。あの先生は帰って来たらすぐに再開するだろうからね」


 出来る事のない状況の中で提示された数少ない出来ることに、女性の顔が幾許かの安堵を宿す。それとても単なるおためごかし。絶望から目を逸らすだけのものだが、今の女性には有効な手ではあった。


「とりあえずは使える物を発掘しないとね!」と腕を捲る女性に、近所の女性や周囲の人々から「手伝うよ!」という前向きな声が上がる。

 キカは片付けに取り掛かり始めた人々を確認してから、そっと身を翻した。


 来た道を逆に駆けて、バンジェット商会への道をひた走る。

 キカの中に浮かぶのは、リスタルテただ1人。

 連れ去られた先生を取り戻してくれそうな身近な人は彼しかいない。

 

 先生が治安維持隊に拉致された事をリスタルテに伝えなければと、商会へと一心に走って来たキカだが、辿り着いた商会の前には人だかりが出来ていた。不穏などよめきに嫌な予感を感じて、ひたすらに人だかりを掻き分ける。

 ようやく目にした商会前では、リスタルテを中心とした商会員の男達とボズ=ロッソを先頭にした治安維持隊が睨み合っていた。

「何で商会にまで……」と思わず呟く。

 

 治安維持隊を引き連れたボズ=ロッソは、両腕を組んで立ちはだかるリスタルテをじろじろと不躾に眺める。ようやく開いた口から出た言葉は蔑みと嘲りに満ちた嫌味なものであった。


「リスタルテというのはあなたですか。この辺りではずいぶんと顔が広いようですねぇ」

「さて、中央から来たお貴族様にまで知られているとは光栄な事だが、ゴロツキ崩れが雁首揃えて何の用だか。あいにくと、おたくらの気に入るような商品はウチには置いていなくてね。お買い物なら他へ行きな」

「商人風情が随分と威勢の良い。皇室御用達の看板は偽りであると?」

「別に偽っちゃいねぇさ。単純にとっととケツまくって帰れって言ってるだけだ」


 毛ほども動じることなく言い返したリスタルテに治安維持隊の面々から耳障りな抗議が湧き上がる。

「てめぇっ! ロッソ様に何て口のききようだ!」

「調子に乗ってんじゃねぇぞ、おらぁっ!!」

「まぁ、待ちなさい」と優雅に部下達を制して、ボズ=ロッソはリスタルテに向き直る。


「先日とて、これまでの我々の功績を皇帝陛下がお認めになられ、更なる任務遂行の為、直々に新たなる特権が下賜されたのです。まぁ、このような田舎にいては知らぬのも当然ですがね」

「そいつぁおめっとうさん。ついでに散々振りまくったその尻尾も丸めて玉都に帰りゃいいんじゃねぇのか」

 薄く笑って返すリスタルテに、ボズ=ロッソはふん、と鼻を鳴らして胸を張った。

「皇帝陛下は我々に、独自司法権と各地方における統帥権の独立保持をお認めになられました」

「……あ?」

「この意味が分かりますか?」


 ボズ=ロッソの上唇がめくれ上がって陰鬱な笑みになる。対するリスタルテは真一文字に唇を引き結んで、厳しい顔つきになった。

 そんな彼の様子にボズ=ロッソは隠しようのない喜悦に打ち震えて、くっくと声を洩らした。


「つまり、私が罪と認めたものが罪であり、それに従わぬ者があれば各地の領地から兵を集めて討伐出来る。そういう事なのですよ」

「そりゃまあ分不相応なものを」

「減らず口を。ではこれより、あなた方には皇帝陛下よりの勅命遂行の為、物資の徴集を命じます。『皇室御用達』の看板に偽りの無いものをね」

 

 バンジェット商会の重厚な看板を前にして2人の男は睨み合う。ややあって、リスタルテが立ち塞がっていた位置から横にずれた。

「好きにしろ」

「リスタルテさん!」

「……いいから。好きにさせろ」

 そんな!、と悔しさを滲ませる商会員達をリスタルテが宥める。彼等の姿に満足そうに頷きながら、ボズ=ロッソは部下達を促した。


「お前達何をしている。とっとと運び出しなさい」

「へ、ヘい。……ってぇと、どれをですか?」

 うず高く積み上がった酒類の棚を見上げて、隊員が訊き返す。

 隊員の質問にロッソは少し考えた後、にやりと笑みを浮かべてリスタルテを見つめる。


「手当たり次第全てです。後で不足があっても困りますからね」

「……なっ、そんな」

 声を上げる商会員達を背中に、じっとロッソを睨みつけるリスタルテ。治安維持隊の男達はその様子をヘラヘラと笑いながら、商会の前にいる商会員に手を出そうとした。


「へっ、とっととどきやがれ!」

「ただし!」

 すかさずリスタルテの威勢の良い声が鞭となって治安維持隊に投げつけられる。

「くれてやるのは店にある商品だけだ。ウチの商会員に髪の毛の程でも傷をつけてみろ。その瞬間、てめぇらはこの世に生まれてきた事を骨の髄まで後悔する事になる。……気をつけろよ?」

「て、てめぇ、今のボズ=ロッソ様の言葉が聞こえなかったのか? 俺達に手を出すなら……」と叫びかけた隊員に、リスタルテの鋭い一瞥が向けられた。


「黙れウスノロ。誰がやったかなんて死体がなけりゃ分かりゃしねぇんだ。……覚えておけ。死体を残らねぇようにする方法なんてなぁ、いくらでもあるって事を」

「……ひぃ」

 リスタルテの恫喝にさしもの隊員達も及び腰になる。だがロッソだけはそれを軽く受け流し、鼻で笑った。

「南域の商人というのは負け惜しみでさえも品がない。野蛮なものですね。構いません。運び出しなさい」


 商会から商品が次々と運び出されていく。人だかりに紛れてそれを見ながらキカは唇を噛みしめた。

 リスタルテであれば、先生の事を伝えれば必ず力を貸してくれる。それは疑うべくもない。だがバンジェット商会も絶対ではない上に、治安維持隊からもしっかりと目をつけられている。


「駄目だ。先生の事を言えば商会にも迷惑がかかる。……どうすれば。どうしたらいい」

 手にした帯封を握りしめてキカは自分に問い掛ける。必死に策を巡らすその目に、帯封に印されたカザクラの紋章が映る。キカはその紋章をぐっと睨み付けた。


「……そうだ。カザクラなら。大公家なら!」


 人だかりから離れてキカは1人駆けだす。大通りを駆けて行くその後ろ姿を、リスタルテが素早く捉えた。

「……キカ? あいつ、何を」

「リスタルテさん、何か?」

「いや、何でもねぇよ。気にするな」

 そう言いながらも、リスタルテはキカがいなくなった方向へと目を向けて、しばらく通りを眺めていた。南天を過ぎた太陽が大通りの果てで美しくきらめいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る