第4話


『ただいまよりポラ撮影に入ります―――――――』


そのアナウンスでようやく我に返る。ぱちくりと瞬きをすると、ライトはノーマルに、お客さんたちは伸びをしたりあくびをしたり、あるいは手持ちのビールを飲んだり。夢と現の合間から帰還した私は、なんだかまだふわふわとした頭でステージを見ていた。

「(…………すごかった)」

神秘的で壮大で。胸も腰も背中も、なんだったら性器までもが見えていたのに。嫌悪感を感じなかった。神々しいとさえ思った。格好良いとも思ったし、美しいと思った。ひとの体って、あんな動きができるんだ。あんな表現ができるんだ。瞼の裏に思い浮かべ、ほうと息を吐く。…………ほんとうに、すごい。純度の高い芸術を真正面から見たせいか、心地よい疲労感まで感じているくらいだ。呼吸や心音を整えるようにもう一度息を吐くと、周囲が拍手を始めた。

「(あ)」

「ありがとうございました!」

拍手と共に天女だった踊り子さんが現れる。踊り子さんは先程とはまた違った、青いサテン生地に黒いレースをちりばめた、チャイナ風の下着を付けて登場した。客席に向かって手を振る姿に、先ほどの神聖はない。けれどなんだか可愛らしいお顔をしている。変な話だが、人間味を感じた私はほっと胸を撫で下ろした。

「さあさ、どんどん来なさい来なさい」

彼女の号令にぞろぞろと男性たちが並んでいく。


そうだ、目の前にいるひとは天女ではない、人間だ。

ならば――――――話も、できるんじゃないだろうか。私は五百円玉を握り締め、列の最後に並んだ。


あれよあれよといううちに、デジカメで彼女の写真が撮られていく。ポーズも自由らしい。セクシーなポーズ、ちょっとあざといポーズ、胸を出したポーズ。さっきまで普段見ないであろう部分まで見ていたのに、白日の下では胸を出しているだけでなんだか少し驚いてしまう。………不思議と、嫌悪感は無かった。

「(………なんでだろう)」

普段は友達に、性的な話を振られるだけで厭なのに。悶々と考えて、考えて、ようやくひとつの答えに辿り着く。

「(………もしかして、自分に関係なければいやだって思わないのかな)」

例えばあの天女が私に手を伸ばして来たら?………いくら天女だろうと、私は嫌悪感を抱いてしまう。私は、羽衣を盗む男にはなれない。だって、その美しさを手に入れたいわけではないからだ。美しいものはそこにあるだけで良い。手に入れようなどと、強欲で浅ましい話だ。ガラスケースの中の宝石が一番輝いていると思うように、きっと先程の舞台と私の距離はそういうモノで。なんだか私にとっては、その距離感が一番安心するような気がした。


私は相手の領域に入らず、相手も私の領域を侵さない。


だから今私がいるこの場所は、なんだか心地よい。恋をしなくても、誰も責めない。生きているだけで常に責められているような、あの居心地の悪さは無い。

……………多分、それだって私の被害妄想なのだ。誰だって責めたくて責めているわけではない。誰のせいにもしたくない、けれど。


やっぱり痛いものは痛いのだ。


「次のおじょーさん、どうぞ」

「えっ?………あ、はいっ!」

色々と考えこんでいたら、いつの間にか自分の出番が回って来ていたらしい。

「こんにちは。ポーズ、どうしよっか」

「ひょえ、えーと……………えっ、どうしよ」

おろおろと挙動不審になる私に、踊り子さんはくすくすと笑って「緊張しすぎ。はじめて?」と優しく声を掛けてくれた。

「は、はい。………あの、さっきのって。羽衣伝説がモチーフ……ですか?」

「お!よく知ってるね。そうだよ」

「………あの、つかぬことをお聞きするんですけれど。」

「うん?」

初めて会った踊り子さんにする質問でもないと思うけれど。私の口は勝手に開いていた。


「………お姉さんは、最後。あの天女は、どうなったと思いますか……?」


羽衣伝説にはいくつかパターンがある。

舞い降りた天女が湖で水浴びをする。その様子を見て、天女に恋をした男がいた。

天女は羽衣が無いと天に帰れない。男は天女を帰らせまいと、羽衣を盗んだ。……ここまでは共通ルート。そこから、男と夫婦になり子供を成す。しかし季節を過ごす中で羽衣を見つけてしまい、天女は天へと還ってしまう……というものから、老夫婦に引き取られるというパターンもある。地域によってもまた差異があるのだが、このひとは何を思って演じていたのだろう?それが気になってしょうがなかった。

踊り子さんはうーん、と少しだけ考え、口を開いた。

「少なくとも私の演じた天女は、男と結婚しない、かな………」

「え、……そうなん、ですか?」

「うん。だってさ、自分の服盗むようなヤローと結婚したいと思う?」

思わないよお、そう言って彼女はくすくすと笑う。………確かに。現代の価値観ならそうかもしれない。

「でも………天女は、ただの人になってしまったんですよね。……心許ないとか、寂しいとか。……家族を持ちたいとか、思わなかったんでしょうか」

「どうかなあ。寂しいって気持ちはあるかもね。だって家に帰れないんだから」

「じゃあ―――――――――」


「欠けた穴を埋めるのは、べつにそれだけじゃないと思うよ」


「――――――――――」

「……………へへっ、なんか色々語っちゃった。じゃあ、改めて。ポーズ、なにがいい?」

「………お、お好みで………」

「ええー?わかった。じゃあかわいいポーズしちゃお」

ファインダー越しに彼女を見る。とびきりかわいらしいポーズで、シャッターを下ろす。カメラを触るのなんていつぶりだろう。

「ありがとう……ございました」

「こちらこそありがとう。あ、お名前書いてってね。サイン書くから」

「―――――――――あ、は、はい!」

ポラ撮影の名簿に名前を書く。ちらりと上の欄を見れば、名前から名字からニックネームまで、結構自由度が高くて。


一瞬だけ、「カノ」と書こうとした。

けれど私はそれを持ち込むことを拒んで――――――「鹿子」と書いた。


「はい、どーも。………わ、これって読み方、『かのこ』でいいの?」

「は、はい」

「かわいい名前」

にこりと笑った彼女は、包容力のある大人の女性と、無邪気な女の子の両面を持つ笑みを浮かべた。私はなんだかその笑顔にひどく癒されて、思わず上ずった声でこう言った。


「………あの!お姉さん、すっごく、すてきでした…………!………ありがとうございました………!」

深々と頭を下げる。頭の上から「おねーさんじゃないよ」と声が聞こえて、顔を上げた。


「私。宮間。宮間ルカって言うの。覚えてね?」


「――――――――は、はい………!」

「じゃあ鹿子ちゃん、次の演目でも会おうね」


ルカさんは両手で手を振る。私はもう一度頭を下げて、その列を向けた。

「―――――――――……………」


なんだか、胸のつかえがすとんと落ちたような気がした。

不安やもやもやが、すっと消えた気がした。

きっと私はこの会場の外に出たら、また同じことで悩むし、苦しむのだろう。それは私が私である限り抜けられないし、世界が世界である限り消えてくれない棘だ。


けれどきっと私は、一枚のポラロイドを見るたびあの天女を思い出す。

もしかしたらひとりでも、裸でも。そのまま進んで生きていく、強く美しい天女のことを。―――――――誇りに思って、きっとこれまでの自分よりはずっとマシになる。


「……………ありがとう」


届くはずの無い小さなお礼を言って、私は歩く。次はどんな世界が待っているのだろう?どんな演目が、どんな光が、どんなひとがそこにいるのだろう。私はサンタを待つ子供のような心持で、もういちど席に着いたのだった。


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青のポラロイド 缶津メメ @mikandume3

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