第3話
いつからだろうか、私の中の「普通じゃない」に気づいたのは。
それこそ高校を卒業したあたりだったろうか。友達の恋の話になんの共感もできない自分に気づいた。好きなタイプと言われてもピンとこない。男に興味がないと言われれば、じゃあレズなのかと聞かれる。それもなんだか違う。それはカノが人とお付き合いしたことないからだよ、とか潔癖だなあ、と言われるたびに心の中のもやもやが深くなった。
試しに誰かと付き合ってみることも考えたけれど、考えるだけで気持ち悪い。隣に、私に好意を向けてくる第三者がいるというだけで吐き気がする。そこから発展していって、第三者が私の横にずっと並び立って、私とそのひとの血を引く子供が生まれるなんて考えるだけで怖い。だって命を生み出すんだよ、そんな大それたこと、なんでみんな選べるの。それが動物的に正解だから?繁殖ってそんなに大事?人といるって、恋をするって、そんなに必要な事?
男に恋愛感情を持てない。女にも恋愛感情が持てない。
老若男女関係ない。顔も経歴も関係ない。好きに、なれない。なりたくない。
けれど、友人たちは大事だ。家族だって好きだ。人を好きになれないわけじゃない。
人と違うことに悩んで、苦しんで、助けを求めるために取り出したスマートフォンの検索窓の中に、今の自分に寄り添ってくれるようなセクシャリティをみつけた。私の「これ」にはちゃんと名前があるんだと、その時ようやく安心して、なんだか泣きそうになったことを覚えている。
「……………はあ」
早紀と別れ、とぼとぼと帰路につく。
なんだかひどく疲れてしまった。楽しみだったはずの友人との邂逅は、ただひたすらに辛く苦しい時間になった。なんだか泣きそうだ。
………でも、あっちの方が「ふつう」で。私は、そんなふつうの話もできない子供なのだ。恋愛、結婚、育児。どれも大事なことなんだろう、でも。
「―――――――――…………」
実は今日、早紀に会ったらカミングアウトしようかと思っていた。ともだちだから、自分はこうなんだと思うって伝えたくなった。けれど、………結果的に言わなくて良かったと思う。
思わずため息が出る。……まだ日は高い。本当にお昼ご飯を食べるだけで私たちの邂逅は終わってしまった。
「(…………どうしよう、まだ時間あるし………)」
このもやもやとした気分をどうにか晴らしたい。カラオケ?いや、そんなの近所にもあるし。できればこのへんでしかできないこと………ウィンドウショッピング?ああ、さっき雀荘もあったな。いや、麻雀できないしな。占い?いや、いま未来のことなんか聞きたくない。ちゃんとしたひとを見た後に自分のことと向き合いたくない。じゃあ真っすぐ帰る?それは、ちょっともったいない。
脳の迷路をぐるぐると五周して、そうしてひとつの場所に思い至る。
「――――――――あ、そうだ…………」
「はい、じゃあ女性ひとり。4000円です。ポラ券10枚つづりはどうします?」
「ぽら……?すみません、初めてなんでちょっとよく………」
「ああ、ポラ券っていうのはね、ポラロイド券の略で。踊り子さんを写真に撮れるシステムで。撮った写真はこっちで印刷して、時間が無ければ券を貰って受付で回収、時間がある人は踊り子さんの次の公演で直接手渡してもらえるっていうやつで」
「え、直接………ですか!?」
「はい。あ、サインとコメントもついてます」
「サインとコメントも!?」
――――――私は、人生初のストリップ劇場に入っていた。
盗撮防止のため、劇場内でスマホを見るのはNG。今はなぁんも考えたくなかったので、余計な通知をしてくるスマホの電源は最初から切ることにした。カバンのポケットに仕舞い、ロビーをうろうろする。赤いソファの上でおじさんたちが新聞を読んだり、煙草を吸いながら談笑したりしていた。だから嗅ぎなれない煙草の香りがつんと鼻をさす。でもなんだか、嫌ではない。
タイムテーブルと時計を見比べて、いまは第三幕が公演中ということを知る。一日に何公演もやっていて、入る時間は自由。出る時間も自由。なんだったら一日ここで見ていてもいいし、途中お昼を食べに行ってもいいらしい。
「(いいのか………?こんなに安くて…………)」
先程のポラロイド券だって、一枚五百円くらいだ。安い。安すぎる。というかお金の使い方もロビーの煙草の匂いも、ビールだらけの自販機もすべてが新鮮でどきどきしてしまう。
私は好奇心で震える足を一歩、また一歩と進めて、奥のステージの扉の前に立った。
深呼吸し、戸を開く。
「―――――――――!」
瞬間、私の瞳に飛び込んできたのは天女様だった。
円形のステージの上で、扇子を手にひらひらと、優美に舞っている。さながらその姿は午睡に舞う蝶のようであり、穢れを知らぬ乙女のようでもあり、すべてを識る天界人のようでもあり。数メートルしか離れていないその場所には、ひとの領域を超えた美しきものがいた。
「―――――――――…………」
見惚れながら後ろの方の席に座る。懸念していたが、やっぱりお客さんはおじさんやおじいさんばかりだ。それでもなんだか居心地が悪いとは感じないのが不思議で、膝の上で鞄を抱えたまま私は呆けたようにステージを見る。
優雅な琴の音に合わせて踊る天女様。ひらひらとした生地で出来た薄手のお召し物は、やわらかい白のライトアップでさらに輝く。長い袖は動くたびに風を感じさせた。
目が、離せない。
思わずカバンを抱きしめてしまう。そうして天女の舞は、曲の終わりと共にその動きを止めた。途端に場内には拍手が鳴り響く。私もはじかれたように拍手をした。いくら拍手をしても足りない気がしたし、なんならこれは柏手の方なんじゃないかと思うくらいだ。そのくらい神聖だった。
別の曲が始まる。
天女は先程よりも更に薄い、水色の衣を纏って登場した。
「(――――――というか、う、薄すぎない………!?いや、ストリップだから当たり前か………!)」
服と言うよりも布に近い。水色のベールの下には形のわかる乳房や太ももが確かにあって、自分にもあるものだというのに――――――「ああ、そっか。服の下には裸があるんだ」なんて妙なことを考えてしまう。
天女様は優雅にステージの上に寝転び、その白い足を天井に向かってぴんと伸ばす。
その瞬間はらりとベールが落ちて、そのおみ足はライトの元に晒された。無駄な肉の無い、引き締まった足。どちらかというとアスリートのそれに近い。
一挙一動すべてに目線が動く。美しい。天女がはらりと、肩から衣を落とした。―――――瞬間、その白い肌が露わになる。ラメ入りの、黄緑色のアイシャドウで縁取られた瞳が落ち行く衣を一瞥する。天女はそんなものを気にせず、踊る、踊る、衣の上で寝転び、その足を広げ、爪の先を伸ばす。ともすれば色のあるその動きは、なんだか無邪気にも見える。水色の衣の上でしとやかに、けれど楽しげにする白い天女。
そこで私はようやく彼女の表現しているものに気づいた。
「(―――――――これ、もしかして。羽衣伝説?)」
だとしたらあの水色は湖だ。―――――なら、このあとの展開は。
天女が水色の衣を完全に脱ぎ捨てる。衣は衣であり、湖でもある。
それは舞台のはしにおかれて、ステージの上にはひとりの女性が驚きを全身で表している。
下着も何も纏っていない、生まれたままの姿。
なぜだろう、エロチックであるはずなのに。どちらかといえば心許ないような、悲壮感すら感じさせられて。
裸になった天女は何かを探すように手を彷徨わせ、そうして天井に向かって悲し気に手を伸ばした。
「(――――――――ああ、帰れなくなったんだ………)」
天女の美しさに心を奪われた男は、彼女の纏っていた羽衣を隠してしまう。
羽衣が無いと天には帰れない。帰る場所を失った天女は、―――――――
ひとすじの涙を流して、劇場は暗転した。
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