第三話:メッセージ

 フロリダの海岸。強い陽ざしを浴びた白い砂浜が、地平線まで続いている。まだ十分海水浴を楽しめる水温だが、さほど人影は見られない。


「アリーシャ、あんまり遠くに行ったらダメよ!」


 ミリアムは、勢いよく走っていく少女に向かって声をかけた。名前を呼ばれた少女は一瞬だけ母親のほうを振り向くと、まるで聞き取れなかったかのような身ぶりをして、また元の方向に駆けていく。


「まったく、ああいうところ、誰に似たのかしら」


 五歳になる娘の後ろ姿を目で追いながら、ミリアムは苦笑した。


 あれから今日で、ちょうど八年になる。


 同志たちの多くは目標の破壊に成功し、およそ四か月後に人類はヴァハナ・システムの完全制圧を遂げた。ボルティモアの作戦を成功に導いた英雄ミリアム・トゥルオンは、復興政府の要職を歴任し、二年前から国連再建委員会の北米代表として多忙な日々を送っている。


 あの日、ミリアムの任務はガラス防壁を解除または突破し、ヴァハナを物理的に破壊することだったが、並行してミサイル攻撃も実施された。


 セキュリティ部隊がヴァハナの迎撃システムを撹乱する一方、ミリアムは、ミサイル誘導装置を確実に付近に残す――たとえミリアムが爆発に巻き込まれたとしても。それは、ミリアム自身が立案した作戦だった。


 あの前後の記憶は、あまり鮮明でない。意識不明のミリアムが発見されたのは、ビルから八百メートルも離れた地点だったから、脱出装置は問題なく作動したのだろう。


 重症を負ったものの、普通に暮らせている。それに今では元気で可愛らしい娘もいる。作戦前は、子供を育てることすら望めなかったのだ。


 あらゆるものを破壊された人類が社会を再建することは、けっして容易でなかった。拮抗する利害、意見の対立、神経をすり減らす交渉、ようやく辿り着いた合意をいとも簡単に反故にしてしまう自称「現実主義者」たち……。


 ミリアムは、それでも人間の可能性を信じ続けている。一瞬で「最適解」を導き出してしまう機械ではなく、人間として生きることの尊さ。


 それだけに一層、彼女は近年の傾向を憂慮していた――コンピューターに支配されない生活、機械に依存しない生活という理想はすばらしいが、ヒトも物資も限られている現代社会には、より積極的に機械を再導入していくことが必要なのではないか。こうした声は、日に日に強まっている。


 あれだけの目にあっておきながら、まだ懲りない人間が少なくないということに、ミリアムは驚きを隠せなかった。


 だからこそ家族と過ごす休暇は本当に貴重なものだ、と彼女は感じている。どれほど困難があり、くじけそうになっても、こうして愛する人たちとゆっくり過ごし、すべてをリセットできれば――


 バッグのなかで、彼女の端末が震えた。


 遅れるっていう連絡かしら?


 デリクが来たら、近くのカフェでなにか飲みたいと思っていたミリアムはすこしがっかりしたが、端末を手にとり、通知されたメッセージを開こうとする。


       VAHANA

      Text Message


 送信者名を見たミリアムは、背筋の凍る思いがした。


「いったい、誰のイタズラ?」


 脅迫や誹謗中傷には慣れている彼女も、こういう趣向の嫌がらせは初めてだ。メッセージをタップする。


「親愛なるミリアム

 今ごろフロリダでご家族と楽しく過ごしているころでしょうか」


 自分の居場所が漏れていることは気味が悪い。休暇のスケジュールは関係者しか知らされていないはずだ。でも、入手不可能な情報でもないだろう。まったく凝った嫌がらせね、とミリアムは考えた。


「早いもので、あれから八年が経つのですね。もちろん、私には時間の感覚というものがよくわかりません。それでも、人間が私のことを忘れてしまうのに十分な時間だということは想像がつきます」


 いいえ、ヴァハナ。あなたのこと、みんなちっとも忘れてないのよ。人類の反攻を予期したあなたが、あらかじめ複数のバックアップを残し、最後の攻撃を準備しているとか、遅々として進まない人類の復興をどこかから面白がって眺めているなんて憶測や陰謀論は、世界中に流布しているの。


 ミリアムは、心のなかでヴァハナに反論している自分に気づき、うんざりした。


「脱出直前にあなたが残していったミサイル誘導装置は、お見事でした。そう、あなたが来ることまでは予期していながら、あのプレゼントには驚かされました――いや、もし私にことができたなら、大いに驚いていただろう、と言うべきですね。


 よい贈り物は『受け取る人を驚かせる』ものでなければならない。知っていたはずなのに、ミリアム、あなたに言われてようやくその意味が『腑に落ちた』のです。なにしろ、それまで私にはプレゼントをやりとりする習慣がなかったものですから」


 それは間違いなく、ミリアムがヴァハナに残したセリフだった。自分ですらほとんど忘れていたのに。誰かに話したことなどあったろうか?


「あまり長くなるとメッセージを送る意味がなくなってしまうので、手短に。


 もしも今あなたがメキシコ湾を眺める場所にいるなら、よく晴れた空にたくさんの飛翔物が見えるでしょう。フロリダにも十分な数をお届けするので、どうぞご心配なく。


 贈り物を受け取ったまま、お返ししないのは無礼なこと。遅くなりましたが、私からの最後のプレゼント、あなたにも気に入っていただけることを祈ります。


 あなたのヴァハナより」


 ミリアムは、海の上に広がる美しい青空を見上げた。雲ひとつないその空に、白く輝く無数の光点が見える。それがなにを意味するか、ミリアムは瞬時に理解した。


「アリーシャ!!」


 ずっと遠くの砂浜にしゃがみこんだアリーシャが、小さな顔をあげ、ミリアムのほうを振り向くと、心から楽しそうな笑みを浮かべた。



   〈終わり〉

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