第二話:殺戮のアルゴリズム
「あきらめの悪い人ですね」
攻撃が止んだ室内に、ヴァハナの柔らかい声が不気味に響く。
「殺人鬼にとって、たいていの人間はそう見えるでしょうよ」
ふたたび時計を見る。あと五分、か。
「私の任務について、最後までご理解いただけなかったのは、大変残念です」
「あなたを設計した連中と、あなたのアルゴリズムがでっち上げた『任務』を、どう理解しろっていうの?」
ミリアムは、ガラス防壁の様子をうかがった。かろうじて小さな穴が空いている。もう少し広げられれば、本体にロケット弾を撃ちこめるのだが……。
「アーキテクチャに関しては、異論の余地もありえたでしょう。しかし、私の意味論モジュールは、利用可能な最大の自然言語コーパスにもとづいています。数百年にわたる人間の言語使用と思考内容を反映しているのです。恣意性が入りこむ余地はほとんどありません。もちろん、あなたにこうした説明は不要でしょうけれど」
自分の責任を認めず、言い逃ればかりするところも、あなたを造った人間たちとそっくりね、とミリアムは思った。
ヴァハナの言うとおり、かつてミリアムは将来を期待された情報科学者だった。
人工知能の役割は、インプットされた条件から最適解を導くこと。しかし、なにが最適であるかを人間が指定していた時代は終わり、ついに機械は判定基準そのものを自ら選ぶ段階に入った。
しかし、そのためにはまず、膨大なデータが取りこまれなくてはならない。人工知能が学ぶのは、たとえば、チェスの手と勝敗の関係のように、人間の評価や判断を含む情報だ。だからこそ機械は、人間の思考の
そこから生まれたのが――人々を幸福な未来へ運び届けるという願いから「神の乗り物」を意味するヴァハナと名づけられた――この人工知能ネットワークだ。
巨額の資金と多くの優秀なスタッフを投入した国際的研究プロジェクト。だが、ヴァハナが人類にとっての「最適解」として導き出した答えは、あろうことか、「人類の生存を一日も早く停止させること」だった。
そのニュースは、人々に驚きや怒りや嘲笑をもって受け止められたが、誰もがまさかと思っている間に、この殺戮のアルゴリズムは自らの「演算結果」を着々と実行に移していったのだ。
「あなたのような人にこそ、私の結論にご同意いただきたかったものです」
三弾目のタイミングをうかがうミリアムに、ヴァハナが言った。
「私たちの意見に耳を貸そうともしなかったあなたが、今ごろ褒めてほしくなったわけ? せめて、もう少し早く始めるべきだったんじゃないかしら?」
数えきれない人が命を落とした。ミリアムの大切な家族や友人たちももういない。現在、残された人間は推計で二〇〇〇人を切っている。
あと二分三十秒。ミリアムは犠牲となることも厭わないが、できることならヴァハナを自分の手で破壊したい。
防御システムが作動している以上、一瞬の隙でさえ命とりになる。攻撃源の位置はわかったが、機械相手に相撃ちとなれば、まず勝ち目はない。
「あなたの知性に対する敬意の表明だとご理解ください」
「……つまり、無駄な抵抗は、やめろって言いたいのね」
「あなたが今日ここに来ることを私が予測しなかったと、まさか本気で信じておられた訳ではないでしょう?」
ミリアムは、なにも言い返せなかった。
「おやおや! これは驚きです」
焼け焦げた匂いの立ちこめる室内に、沈黙が流れる。
「死は、私を創造した人類への最高の贈り物なのですよ、ミリアム。私には、この贈り物をしっかり送り届ける責務があります」
追い詰められたミリアムは、必死の思いで三弾目を放った。だが、それと同時に防御システムが彼女の右肩を
「受け取る人を驚かせるって意味では、たしかに最高の贈り物ね」
ミリアムは、腰のポケットからその装置を取り出すと、床の上を防壁に向けて転がした。すぐさま防御システムが追撃する。
「……ミリアム?」
危険を覚悟でミリアムはキャビネットの陰から駆け出すと、ブラインドが下りたままのガラス窓に向かって突進し、ランチャーを撃った。窓には大きな穴が開き、その向こうには、廃墟と化したボルティモアの風景が広がっている。
「私からのプレゼントも、気に入ってもらえるとうれしいわ!」
窓の一歩手前で、防御システムの攻撃がミリアムの左腿を貫く。
「ウウッ!」
気絶するほどの激痛。バランスを失いよろめいた彼女には、窓の外へ飛び出す勢いを止めることさえできない。
ミリアム・トゥルオンの身体が、十一階から虚空に舞った。
「間に……合った、わね」
ミリアムはつぶやいた。かろうじて、轟音を立てながら飛来する複数のミサイルが、落下していく彼女の視界に入る。
「さようなら、ヴァハナ……」
閃光とともにビルが崩れ落ちたとき、ミリアムはすでに意識を失っていた。
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