エピローグ ――2015年 3月21日

 私が中学生になると母が教えてくれた。

 私を産む前に、母は別の命をそのお腹に宿していたのだと。けれどその命は、この世に生を受けることはなかった――

 その話を聞いた時、私は墓地で出会った不思議なお兄さんのことを思い出した。あれからもう二度と会うことはなかった、彼の優しい眼差しと、悲しげな最後の言葉と。

 母がずっとお寺にお参りに行っていた理由と一緒に、その時私はようやく彼が何者だったのかを知った。

 彼は――私の、

「あら、満。あんたまだ絵なんか描(か)いてたの? もうちょっとで出発よ? ちゃんと準備出来てるんでしょうね」

 キッチンから母の声が聞こえた。買い物から帰ってきたようだ。母は大きな買い物袋2つをキッチンのテーブルに置くと、畳一面に敷かれた新聞紙をぐしゃぐしゃと踏みつけながら寝室に入ってきた。

 私は右手に筆を持ったまま、その筆先で玄関に積んでいるダンボールを指す。

「あれで全部。やっと絵も完成したし、もうこのアパートに思い残すことはないよ」

「あんたってほんとドライよね。友達にはもう挨拶したの?」

「LIN〇があるからへーきだよ」

 本当のことを言うと、母を独りにしてここを出て行くのは心残りだけれど。

「ふーん……」と、母はよく分かっていないような相槌を打った。それから母はキャンバスに描(えが)かれた絵を見るや否や、「うわ」と半分呆れたような声をあげる。

「またそんな変なの描(か)いてる」

 私は完成した自分の絵を、少し遠くから眺めてみた。

 寝室の大きな窓。ひらめく芥子色のカーテン。

 その向こうには、妖怪たちの宴。橙色の提灯と、ヒガンバナ。真っ黒な空に金色の月。

 窓の手前には母を抱きしめる幼い頃の私と、その近くにお兄さんの姿も描(か)いた。

 私が思い出すお兄さんは、いつでも優しい微笑みを浮かべている。だから私は絵の中のお兄さんにも屈託なく笑っていてほしかったのだけど、どうしても何だか泣きそうな笑顔になってしまった。

 ……あの時のお兄さんも、こんな顔をしていたのだろうか。

「お母さんにはまだこの絵の価値が分からないんだね。将来高値がつくから大切に持ってる方がいいよ」

 私が冗談めかしてそう言うと、母は大げさに驚いた。

「えっ? この絵お母さんにくれるの? あんなに一生懸命描(か)いてたのに」

「うん。玄関に飾っといてよ」

「嫌よ、来た人がビックリしちゃうでしょ」

 なんて言いつつ、まんざらでもなさそうな顔をしている。きっと飾ってくれるのだろうなと私は思った。

「……題名は?」

「え?」

 急に尋ねられて、私は少しうろたえる。

「普通絵には題名があるでしょ?」

 私は当時に思いを馳せた。あの頃信じられなかった母の愛は、ずっと私の傍にあった。そしてそれは、ヒガンバナと共に去った彼が教えてくれたことだ。

 ヒガンバナの愛と、母の愛。それから、私が二人に抱く、決して暮れることのない愛。

「……くれない愛、とか?」

「何それ?」

 母が可笑しそうに笑った。私も何だか可笑しくなって、ふっと目を細めて微笑んだ。

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くれない愛 吉備ライズ @kibi_r_kkym

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