最終話 竜 -Next Level-

『竜 -Next Level-』


逝原の夜は静かになった。

相争っていたつわものたちは絶え、弱小の小悪党たちは新たな『独言髑髏』の出現によって沈黙した。

柾国が語った通り、結果だけ言えば逝原の治安は『鬼門蠱竜会』によって格段に向上した形になる。


それでもまだ夜に活気が無いのは、ひとえにその冬の寒さのせいであった。

春が来れば。

そんな期待を孕んだ夜風が、都を吹き抜けていく。


「じゃ、アタシはこの辺で」


旧於頭藩から戻ったばかりの雹右衛門とマチは、十字路で足を止めた。


「アタシは『伊弉諾』と『十束剣』を柾国に届けてくるから」

「一人で平気か」

「餓鬼扱いするなっての。アンタは早く帰って雪路を安心させてやりな」


マチはあっかんべーをすると、業物二振りを抱えて夜闇へと消えていった。

その後ろ姿を見やり、雹右衛門は息を吐く。


「『裏』の人間として、板についてきたな……」


『マチを頼む』

くも八の今際の言葉が、雹右衛門の脳裏に響いていた。


マチは、柾国の仮の姿であったマサの立場を継ぎ、新たな『裏』の支配者となった。

悪人殺し妖怪『独言髑髏』を、復讐ではなく治安維持のために続けるためだ。

くも八が大衆の前で雹右衛門に斬られ死んだにも関わらず、今も『独言髑髏』伝説はまことしやかにささやかれている。

もはや『独言髑髏くも八』が柄本雲八という一個人の領分を越えて畏れられているのか、あるいは、斬られたぐらいでは死なぬと世間に思われたのか。


「どちらにせよ、大した妖怪ぶりだ」


雹右衛門はフッとほほ笑むと、家路についた。



「ただいま」


雹右衛門は屋敷の勝手口をくぐると、寝入っているだろう雪路を起こさぬよう小さく告げた。

しかし、家の中で反応する気配があった。

屋敷に入ってみると、奥の工房からなにやら明かりが漏れている。


「雪路か?」


いや、どうにも違う。

腰の鞘に手を当て恐る恐る顔を出すと、そこにはよく知る乙女の姿があった。

寝間着姿で工房に座し、物思いに耽っている。


乙女は、ハッと顔を上げて雹右衛門を振り返った。


「お戻りでしたか、雹右衛門どの」

「絹どの。雪路は……?」

「無理せず寝るよう諭しました。雹右衛門どのは必ず勝って戻るから、と」

「恩に着ます、絹どの」

「ふふ、恩など。御身に救われた命ですから」


種田=シルクマリア=絹。

今では、棄教して種田絹と名を変えていた。


「長旅でお疲れでしょう。お茶でも淹れて来ましょう」

「いや、お客人にそんなことをお願いするわけには」

「居候の身ですから。雪路ちゃんにも良くしてもらって……悪いですから」

「……では」


絹の淹れた茶は、いつも雪路が淹れるよりも相当に濃かった。


「先生を……城銀凍理を、斬ったのですね」

「ああ」


二人は縁側に座して語らう。

見上げれば、上弦の月が煌々と輝いている。


「これで終わったのでしょうか」

「どうだろうな。まだ、何やら企みの備えがあったと見えた。父上ならば、自分が死んでも計画が進むように仕掛けているかもしれない」

「……執念深い人。いったい何が、あの人をそこまでさせたのでしょう。私ですら、ただの一度の敗北で折れてしまったというのに」

「父上は、純粋に強い業物を造りたかっただけなのだろう。ただあまり純粋に望み過ぎて、実際に今を生きる人々のことまで目に入らなかった。おれや雪路、絹どのを育てたことだって、全ては新たな戦国の下地造りだったのだろう」

「恐ろしい人……」

「ああ、恐ろしい。ゆえに、敵を作りすぎた。たとえおれが『鬼門蠱竜会』で死んでいても、他のだれかが斬っていたはずだ」

「『鬼門蠱竜会』……もう、半年も前のことですか」


絹は苦笑した。


「私の人生とは、何だったのでしょう。願いを与えられ、奪われ、傷つけ合い、喪い、いったい何のために……」

「分かりませぬ。おれにも、まだ分からないことです」


雹右衛門は、首を横に振った。


「ただ言えることがあるとすれば、今、おれたちがこうして生きているということ。おれと絹どの、どちらもがこうして生きていることは、柾国にも父にも、きっと予想しえなかった」

「ふふ、確かに。人生とは分からぬもの。ここに来てからの日々は安らかで……心がこうして休まる日がまた来るとは、かつては思いもよりませんでした」

「絹どの」


雹右衛門は、一つ咳払いをした。


「……その、数奇な縁ではありますが、貴女もわが父の教えを受けた一人、おれの妹弟子に当たります。居候と言わず、ずっとこの家に落ち着いていただいてもいいんです。雪路も、喜びます」

「あら、口説いていらっしゃる?」

「なっ!? お、おれはそういうつもりでは……」

「ふふ、冗談です」


どぎまぎする雹右衛門に、絹はクスリとほほ笑んだ。


「そういう暮らしも、きっと素敵かもしれません。ですが……」


絹は首を横に振った。


「少し、暇をいただきます。雹右衛門どのが戻った今、いくつかこの目で確かめたいことができたのです」

「……いつでも、帰って来てください。どうかご無事で」

「ええ、お互いに」


翌朝、絹は城銀兄妹に別れを告げて旅立った。

その行方は誰も知らない。





「急にお呼びたてして申し訳ありません、雹右衛門先生」

「……『先生』呼びはもうやめにしないか」

「いやぁ、やっぱり癖ですからねぇ。偉そうに指図するのは性に合わないんです」


逝原城天守にて。

三代将軍・柾国は雹右衛門の前に二振りの業物を並べた。


「加具土か」

「ええ。こちらの一本は災原禍山から回収した一本。もう一本の方は『殲姫シルクマリア』が『蠱師』城銀凍理から授けられ、死合いで振るった一本」


柾国は、雹右衛門を見やった。

「どちらが、戦国期に作られた本物オリジナルだと思いますか」


「それはもちろん、絹どのが振るっていたこちらの方だろう。威力が段違いだった」

「そう、絹姫や先生ですら、城銀凍理の詐術に騙されていた」

「なに」

「学者たちの鑑定によって、つい先日明らかになったことです。戦国期に造られたのは、災原禍山が握っていたこちらの方。そして、種田絹が振るっていたのは、城銀凍理が造り上げた『本物オリジナルを越えた贋作コピー』だったのです」

「贋作が、本物を越えた……?」

「いかにも。城銀凍理は業物を整備する仕事の傍ら、預かった業物の複製しすり替え、『裏』にバラまいては新たな戦国の火種にしようと企んでいた。我々はずっと、そう考えていました。しかし、それすらも囮。実は本物をも凌駕する複製品が密かに作られ、今もこの国のどこかで目覚めの時を待っているのです」

「莫迦な。そんな大それたこと、父にだってできるはずがない。いくら人手が有っても、業物一つ作るのにだって莫大な費用がかかるはず。業物を、それも複数なんて、それこそ、幕府ほどの財力がなければ……」

「旧帝家が、協力しているとすれば?」

「なっ……!?」

「確証はありません。が、業物を密造できる力を持つのは彼らだけです」


戦国以前の長きにわたり列島を支配してきた朝廷の主、帝家。

その権勢は戦国期に削ぎに削がれたと思われていたが……


柾国は、雹右衛門に頭を下げた。


「戦いは、目下続いております。太平の世を守るため、力をお貸しください、『虫斬り雹右衛門』先生」

「……顔を上げてくれ」


雹右衛門は言った。


「もとはと言えば、父上のまいた種だ。おれが向き合わぬ訳にもいくまい。それと……」


雹右衛門は立ち上がり、天守の高みから西を見やった。

旧帝家のおわす旧都のある、西を。


「『虫斬り雹右衛門』は『鬼門蠱竜会』で死んだ。今のおれは……」


雹右衛門は、新たな名を告げた。


「『人斬り雹右衛門』だ」



『人斬り雹右衛門』。

その名が逝原の歴史に残ることはついになかった。

ただ、彼の名はこれ以降『裏』でのみ知られ、また大いに畏れられたという。




『蠱竜陀』完

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蠱竜陀 節兌見一 @sedda

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