第31話 氷解 -Ice Break-

『鬼門蠱竜会』から半年の月日が経った。

四季は巡り、葉は枯れ落ち雪が舞い、白く閉ざされた裏街道に再び土の色が見え始めた頃。


於頭藩、旧種田城廃墟のはずれにて。

寒々しい風が吹きすさぶ浜に、一人の虚無僧らしき男が佇んでいた。

編目笠で顔を覆い、何か思うところがある様子で海を見つめている。


「……しつこい連中だ」


虚無僧の呟きは、寒風にさらわれて掻き消えた。

笠の内で、その瞳がぎょろりと左右に蠢いた。


「侍どもの追手では私には敵わぬとみて、小娘を寄越してくるとはな。しかも、我が娘と同じ年ごろの娘を」


虚無僧が振り向くと、少女がぽつりと立っている。

少女は、僧をにらみながら口を開いた。


「雪路のこと? 何年もほったらかしにしておいて、よく『我が娘』なんて言えるわね」

「……そう言う貴様は何者だ」

「妖怪『独言髑髏』」


少女は懐から業物『八岐大蛇』を抜き放った。

その銃口を向け、左手には小刀を構えた。


「『蠱師』、アンタの正体は柾国から聞いてる。アンタが『裏』にバラまいた業物を手に入れた賊が、アタシの家族を殺したことも……」


少女は、大蛇の引き金に指をかけた。


「顔ぐらい見せなさいよ、卑怯者」

「くく、我が娘を人質に取った貴様に言われたくはないな、柄本くも八の孫娘よ」


蠱師は、笠に手を掛けた。


「大蛇ごときでつわものの真似事のつもりか。幕府も相当人手が足りぬと見える」


蠱師は笠を取り払った。

その下から現れたのは、刃のように鋭い眼差しを光らせた中年のつわもの。

その男の顔つきを見るや、マチはより強く彼をにらんだ。


「流石に親子ね。爺ちゃんを殺した忌々しい雹右衛門に、よく似てる」

「あんな出来損ないと一緒にされては困るな」


城銀凍理は無表情で答えた。


「奴は確かに才があった。だが、城銀一族が代々培ってきた『人を憎む血』があまりに薄かった。『虫斬り』の頃は成ったかとも思ったが、所詮は太平の世に迎合し、柾国の狗に成り下がった軟弱者よ」


凍理は忌々し気に舌打ちした。


「教育を誤った。あの晩、雪路は殺しておくべきだったかもしれぬ」

「やっぱり、アンタが雪路の目を……」

「いかにも。見られていては、殺した幕府の刺客と入れ替われぬからな」


平然と答える凍理を、マチは強くにらみつけた。


「アンタ、中身は雹右衛門と全然別ね。生かしておけない外道だわ」

「ならば殺せばよい。柾国は『蠱毒』で私を殺せるつわものを造ろうとしたようだが、残ったのは二人の半端者のみ」


凍理は歯を剥いて笑った。


「誰も私を止めることはできない。於頭・種田の煽動は失敗したが、次の計画は既に始動している。私が作り出した業物たちが、新たな戦国を作り上げるだろう」


凍理は恍惚として空を見上げた後、ぎょろりと目だけでマチを見やった。


「それとも、貴様が私を殺すか? 『独言髑髏』の血と名ばかりを継いだ小娘よ」

「……ううん」


マチは、首を横に振った。


「無理を言って連れてきてもらったけど、今のアタシじゃアンタを殺せそうにない。つわものじゃなくたって、格の違いぐらいは分かる」

「だったら、私の気が変わらん内にどこへなりとでも消えるがいい」

「そうはいかないわ。アタシは見届けなくちゃならない」

「何を」

「アンタの死を」


凍理の背後で、ザッと浜の砂を踏みしめる音がした。

振り返り、その先に立つ若武者の姿に凍理は目を見開いた。


「雹右衛門か。絹を庇い『御射軍神』に貫かれてなお、生きていたとはな」

「……死の淵は彷徨いましたが、この通り」


雹右衛門は右手をかざした。

軽く手首を捻ると、その掌から刃が飛び出した。

仕込み義手だ。

刃からは白煙が生じ、極低温の冷気が周囲の気温を押し下げる。


「羽々斬の隕鉄刃か」


凍理は眉をしかめた。


「家宝を別の業物に組み込むとは、城銀への冒涜も甚だしい」

「鍛冶師『城銀』の家は終わります。おれはもう、業物の技術は後世に伝えませぬ」

「いいや、絶えぬ。貴様がどうなろうと、私が西の鍛冶師たちに伝えた技術の中に、城銀は生き続ける。これからは血ではなく、技術と悪意のみが『城銀』の証となる」

「それも、今代で絶えます。おれが断ちます」


凍理は名もなき白刃を構えた。


「まあそう急くな。冥途の土産代わりに少し聞いておけ」


凍理は海の方を顎で示した。

彼方の沖合に、小さな点が浮かんでいるのが見える。


「見よ。今、沖合から我が仲間の船が、こちらを遠眼鏡で覗いておる。あの迎えの船に乗り、私はしばらくこの国を後にするつもりだ」


凍理は雹右衛門へと向き直った。


「最後の機会をくれてやる、雹右衛門。私と共に来い。大陸でさらなる技術を吸収し、より強い業物を造り上げるのだ。望むなら、雪路を合流させることもできる」

「すべては業物作りのためですか」

「いかにも。戦国期に作られた業物たちが後世に残した影響を見よ。どんな大名も達人も、業物ほどは世界に影響を残しておらぬ」

「後世、世界……あなたは今を生きる人々のことは、巻き込まれた命のことは眼中にないのか」

「無論。路傍の虫けらに意識を割き、大義を見失うことほど愚かなことはない」

「分かりました。もういい」


雹右衛門は改めて、義手刀を構えた。


「最初から決めていたことです。雪路の目を焼いた『虫』は必ずこの手で斬る、と」

「やってみよ。やれるものならな」


凍理は腰に差した業物に手をやった。


「見せてやろう。『伊弉諾いざなぎ』と『十束剣とつかのつるぎ』……私の知る百数十以上の業物の中で、最強にして万全の武装を」


マチが見守る中、浜に立つ両者は数歩の距離を隔ててそれぞれ構えた。

海岸線に白波の砕ける音がざざと響き、遠くで鴉の鳴く声がする。


「……」

「……」

「……」



 ひときわ大きな波が砕け、飛沫が二人の間に跳ねた。

 陽を乱反射してキラキラと輝く水滴を蹴散らすように、両者は同時に動き出す。


「ぃアァッ!」

「ハァッ!」


互いに直進し業物を抜き合い、そしてすれ違う。

光の筋が一本、二本、いやそれ以上。


両者の間を剣閃が煌めいたのが辛うじて見えたのみで、マチにはどちらが勝ったかまではとても見えやしなかった。


「まだまだだな、若造が」


凍理は雹右衛門とすれ違って数歩を歩むと、足を止めた。


「調子に乗るなよ、雹右衛門。その程度の動きならば、若い頃の私が勝っていた」

「……」


雹右衛門は答えない。

ただ、振り抜いた義手刀を残心に置いたまま、静止している。


「『伊弉冉いざなみ』さえ、生老病死の一切を否定するあの業物さえ私の手にあれば、こうはならなかった」

「……さらばです、父上」

「おのれ……ッ!」


凍理は絞り出すような声を吐いて、倒れた。

刃を納めた雹右衛門が検めると、確かに絶命していた。


「失礼いたす」


雹右衛門は凍理の後頭部を切開し、中から鈍く光る歪んだ形状の針を取り出した。


「あらゆる身体的制限を解除し、潜在能力を開花させる業物『伊弉諾いざなぎ』。そして、『十束剣とつかのつるぎ』。確かに回収し申した」


雹右衛門は父の遺体を検め、他に何も持っていないことを確認すると、十束剣を腰に差した。

伊弉諾の方は付着した血と髄液を拭き取ると、マチへと手渡す。


「? なんでアタシに渡すのさ」

「針用の入れ物を持ってきていない。吹き針を使うお前なら、しまいようもあるだろう」

「ふん、用意が悪い奴」


マチは伊弉諾を受け取ると、裁縫用の針入れにしまい込んだ。


「これを使えば『天下無双の王槐樹』みたいな怪物にだってなれるんでしょう? アタシがこれを自分の頭にぶっ刺してアンタを殺しにかかるかも、とか思わないワケ?」

「そこまで莫迦じゃないだろう」

「ちぇ、ナメやがって」


針入れを懐に収めながら、マチは毒づいた。


「アタシはアンタを許しちゃいない。爺ちゃんを斬ったアンタを、絶対に許さない」


でも。

マチは海を見やった。


「アンタにはまだやることがある。アンタの父親が撒いた毒を喰らう役割が」

「分かっている。だが、気に入らなければいつでも殺しに来い。覚悟はできてる」

「ちぇっ」


二人は海を見やった。

彼方に小さな点と映っていた船が、水平線の彼方へと去っていくのが辛うじて見える。

凍理の敗北を観測し、彼の回収を諦めたのだ。


「あの船は、ほっとこう。柾国の忍びたちが行き先を調べてるって」

「ああ、分かってる。それでも……」


雹右衛門は去り行く船影を睨み続けた。


「絹どのは、あの船に乗ろうとしていたんだ」


そう思うと、雹右衛門は去り行く黒い影から、目を離すことが出来なかった。

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