カーニバル
キキカサラ
六月三十日
多田加奈子
大学に入って、私は恋をした。
相手は、同級生の
ここ
その完璧にも近い振る舞いに、学内の女子からも人気が高く、彼女になりたがる人も多かった。
例に漏れず、私もその一人だったというわけだ。
学長の息子だから、当然、資産もあるわけで、育ちの良さが違う。
だから私は、雲の上の存在だと思っていた。
「ねぇ、うちのサークルに入らない?」
初めての会話は、隼人君からだった。
「もしもーし、聞こえてる?」
「え? は? へ? 私?」
素っ頓狂な声だったと思う。微妙に裏返っていて、思い出しただけでも恥ずかしい。
周りには、私よりも綺麗な子がたくさんいる。
大学に入ってから、少しでも綺麗に見えるように、メイクを勉強したし、自分でも頑張っている方だと思う。
でも、自分で言うのも悲しいけど、その背伸びが逆に、芋女に見えてしまっていることは、薄々感じていた。
そんな、自己肯定もできない私が、まさか話し掛けられるなんて、夢にも思わなかった。
「そう、君だよ君」
「な、何で私なんです? 他にも可愛い子がいるのに…」
私の言葉に、隼人君は目を丸くしたあと、口を押えて、静かに笑い出した。
私、そんなおかしいこと言ったかしら?
次の言葉が出ないくらい、長く笑う隼人君に、いくら好きな人とは言え、ちょっとムッとする。
「ちょ…何なんですか、いったい」
「いやいや、ごめんごめん…」
彼は目尻に溜まった涙を指で拭うと、私に顔を近づけてきた。
隼人君の顔が近づいてきたことで、嬉しさと同様で体温が上がる。きっと、顔も赤くなっていることだろう。
「他に可愛い子って発言が、まるで夜のお店みたいでさ…」
耳元で呟かれた。
予想していなかった言葉に、一瞬、頭が追い付かなかった。
しかし、寸刻後、脳の判断が追い付き、自分が恥ずかしい発言をしたことに気付く。
既に上がっていた体温が、恥ずかしさで、更に上昇したように感じた。
「よる、は? そんな意味じゃ…!」
言葉が渋滞して、意味の分からないことを口走ってしまう。
飛び退いて、赤くなっているであろう顔を隠そうと、咄嗟に腕で顔を覆う。
「ははははは、やっぱり僕の見立て通り、君は面白い人だね」
余程、私の反応が面白かったのか、破顔一笑の表情を見せた。
その笑顔が素敵で、さっきまでの怒りが吹き飛んだ。彼が笑ってくれるなら、ま、いいか。
「面白いって、それって誉め言葉ですか?」
冷静になってきた私は、嫌味っぽく、でも、偏屈に見えないよう、微笑みながら、冗談っぽく訊いた。
「もちろん! 面白いって、何よりも優先されるべきものじゃない?」
“何よりも”という文言が、彼が何事においても、面白さを優先するということを物語っていた。容姿、頭脳、財力、全てを手に入れた人が最後に求めるのは、感情の部分なのだろうと、なぜか冷静に捉えてしまった。
「そういうもんなんですかね…」
凡人の私には、“何よりも”という大それた優先順位を付けられるだけの域には達していない。当然、同意はできない。しかし、面白いことを優先という気持ちは分かる。
人は、面白くないことよりも、面白いことを優先する。単位が関係なければ、私だって、大学での勉強より、大学内での遊びを優先するだろう。
「それでさ、話を元に戻すけど、うちのサークルに入らない?」
「何のサークルなのか分からないと、承諾しかねますよ」
「確かに」
隼人先輩の顔がほころぶ。
「僕のやっているサークルは、風俗研究サークルって言うんだよ」
「風俗…」
先程、隼人君が言った「夜のお店」という発言が頭に残っていて、いかがわしい想像をしてしまう。
「まぁ、そういう反応になるよね」
顔に出ていたのか、隼人君が眉間にシワを寄せ、はにかんだ笑いをする。いわゆる、困り顔だ。
「だから、サークルの名前変えようって言ったじゃない」
今まで無言で隣に立っていた男性が、話に割って入ってきた。
マッシュルームカットのようにしっかりと先端を切り揃えた髪が、金髪に近い明るい髪色にカラーリングされている。
しかし、開いているのかいないのか分からない目、漫画的な表現で言うと、糸目と言うのだろうか、その容姿のせいで、チャラさを感じさせない。
何より、話し方が柔らかい。
「そうなんだけどさ…この名前にはこだわりがあって…」
私の方にも視線を向けてくる。
これは、隣の男性に話しつつも、私にも伝えたいということなのだろうか?
「性風俗の略称が風俗と呼ばれるようになってから、風俗という名称の本来の意味が知られなくなってきている気がするんだよね。だから、本来の意味を広める意思を込めて、あえて、この名前でいきたいんだよ」
そんな、しっかりとした考えのもとに付けられたサークル名だとは思わなかった。
名づけの意味を知ると、私のさっきの態度は失礼に感じてきた。
「変なこだわりだな」
今度は、隼人君の後ろにいる男性が吐き捨てた。
筋肉質でガタイのいい、ちょっと強面の人だった。短髪で逆立てている髪型が、その顔の怖さを引き立たせているのかもしれない。
「入ってもいいですよ」
「え?」
急な私の承諾に、隼人君が間の抜けた声を上げる。
隼人君に近づきたいからなのか、先程の失礼な態度への自責の念からなのかは、私自身、分かっていなかった。
ただ、自然と口から出ていた。
「ホントに!?」
驚きの表情で丸くなった目。その目尻が次第に下がり、笑顔に変わる。
「ありがとう!」
隼人君は両手で私の手を握り、無邪気に振った。その様子が子供みたいで、可愛らしかった。
「まだ作ったばかりで、メンバーを集めている最中だったから、助かるし、嬉しいよ」
満面の笑みで言われると、こちらも嬉しくなる。
「よかったじゃねぇか、隼人!」
突然現れた男性が隼人君の背中を思い切り叩く。その反動で、隼人君が強く咳き込んだ。
何なのこの人、加減というものを知らないのかしら。
私が、突然と感じるくらい、居るのに気付かなかったのは、ガタイのいい男性の影に隠れてしまっていたからみたいだ。
さっきの強面の人をマッチョと定義するならば、この人物は、ミニマッチョとでも言おうか。私と大して背丈が変わらない。いや、むしろ低いかもしれない。
茶髪で短めのツイストパーマ。夏が近いとはいえ、とても自然に焼けたとは思えない、しっかりと均一に焼かれた肌。きっと日サロに行っているのだろう。
バギーパンツを腰パンにしていことも含め、チャラいを詰め合わせたような容姿だ。その姿から、隼人君への振る舞いも、納得してしまった。
できれば、近づきたくない人種だわ。
「乱暴だな
糸目男子が、ミニマッチョを注意した。
その言葉を聞いて、私は彼らの名前を知らないことに、今さらながら気づいた。
「あ、そうだそうだ、自己紹介がまだだったね。僕は、深山隼人。風俗研究サークルの部長をやっているよ」
表情に出ていたのか、隼人君が気を利かせて自己紹介を始めてくれた。
「隼人を知らない奴なんて、この学内にいるもんかよ」
ミニマッチョが、茶々を入れてくる。
でも、彼の言うことは正しかった。隼人君のお父さんの学校だ。隼人君自身を知らない人なんているはずもなかった。それほどの有名人なのだ。
「俺は
続けざまにミニマッチョが言う。自己紹介もチャラい。胸の奥がざわざわする。これが、虫唾が走るという感覚なのだろうか。
「
強面マッチョが短く言った。改めて見ると、結構大きい。百八十センチは超えていると思う。
「ボクは
金髪マッシュルーム糸目が、握手を求めて手を出したまま固まった。
「あ、私は、
私は自らも名乗り、史也君の手を握った。
「僕たちのことは、名前で呼んでよ。苗字だと、何だか距離があるじゃない?」
隼人君が横から言ってきた、その言葉に、他の三人も頷く。
「じゃあ、私も、加奈子って呼んでください。これから、よろしくお願いしますね、皆さん」
私は、今までで一番の笑顔を意識して、微笑んだ。
その言葉を受け、隼人君が一歩前に出た。
「早速これから、風俗研究に行かない?」
「え? 今からですか?」
突然の申し出だった。当然、私は難色を示す。急に今からと言われても、承諾しかねるのは当然だ。
とはいえ、予定があるわけではない。
「加奈子ちゃん、他人行儀~。もう、名前で呼び合う間柄なんだから、タメ口でいこうよ~」
大輝君が、横から茶々を入れてきた。茶々だと思ったのは、話に脈絡がなかったからだ。
話の振りは合っている。私が敬語を使ったから、それに反応したのだろう。
しかし、それにしても…この人、空気とか読めないのかしら。本当にウザい。
「あ、はい、すみません」
感情の籠っていない、生返事が出た。
タメ口でいこうと言われた返事に対して、敬語で答える。我ながら、嫌味ったらしいと思った。
「だ~か~ら~…」
私の返事が気に食わなかったのだろう、大輝君が、不機嫌そうに一歩前に出た。その強引な態度に、私の顔は歪んだことだろう。
「はいはい、距離を縮め過ぎだよ大輝。加奈子さんが嫌がってるよ」
隼人先輩も一歩出て、諭すように言う。
二人共が一歩前に出たことで、お互いの顔が目の前にある状態だ。
「そうだぞ大輝、空気を読め」
栄治君が、後ろから大輝君の肩を掴んだ。一瞬、大輝君の顔が歪む。
「はい。加奈子ちゃんは入部してくれたのだから、話はここまで。解散だよ、解散」
隼人君が、シッシと、まるで野良猫を払うような動作をした。
速く散れという意味だろう。
みんなが踵を返す。大輝君だけが、不服そうに何か言おうとしていたが、更にもう片方の肩も掴まれ、栄治君に押されるように無理やり連れていかれた。
「まったく、困った奴だよ」
大輝君たちを目で追いながら、隼人君がため息を吐いた。困った顔をしていても、顔が笑っている。
私は、苦手な相手だし、強引だったから嫌だったけど、大輝君の態度はいつものことなのだろう。
困ったと言いながら怒ってはいなさそうだ。口調から、親しい友人関係の出す、柔らかさがあった。
いつもの態度でありながら、私の顔を見て、咄嗟に止める気づかいは、さすが隼人君だと思った。
「ごめんね、加奈子ちゃん、嫌だったよね」
「あ、いえ……はい」
「あははは、素直でよろしい」
その笑顔は絵になる。釣られて私も笑ってしまった。
「ねぇ」
空気が変わる。隼人君が私に何か言ってくることを、肌に感じた。
「じゃあさ、僕と二人きりで行かない?」
「え?」
再びの唐突な誘いに、咄嗟に訊き返してしまった。
何を言われたのかは分かる。でも、つい訊き返してしまったのだ。それくらい、衝撃的な内容だった。
――これって、デートの誘いなのかしら?
顔が火照る。でも、指先が冷たい。
嬉しささと緊張が同時にくる感覚だ。
「どうかな?」
隼人君が顔を近づけて、再度聞いてきた。
さらさらとした髪。男性なのに、女性みたいにまつ毛が長い。それに、いい匂いがする。香水みたいなキツイ匂いじゃなくて、ほのかな香りがする。
「え、えっと」
――脈ありってことなのかしら?
突然に現れたチャンス。
今日初めて話をしたのに、急な展開。転機。信じられない。
「は、はい、是非」
思い人からの提案。断れるはずもなかった。いえ、断りたくなかった。
例えそれが私の勘違いで、本当にただのサークル活動としての申し出だったとしても、二人きりでの活動は、幸せしかない。
「じゃあ、二十時に加奈子さんの家に迎えに行くよ」
「二十時ですか!?」
今からだと思っていた私は、面食らってしまった。
現在、十七時。三時間後だ。まだ、かなり時間がある。
「そう。そこって夜行くといいんだよ」
夜景とか、そういうことなのだろうか。
いや、ダメダメ、つい、デートと結びつけてしまう。
「それにさ、お互い準備があるじゃない?」
心臓が高鳴った。
真意は分からない。でも、期待してしまっている自分がいた。
これから、楽しい大学生活が始まる。そんな予感がした。
カーニバル キキカサラ @kikikasara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。カーニバルの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます