第13話


 平安時代の初期には、蝦夷のアルテイが朝敵として立ちはだかり、中期は「新皇」を名乗る平将門の反乱に悩まされた。其の後も、地方に土着した下級貴族(国司)の子孫たちが武装化し、反乱を起こし、朝廷の力で鎮圧されていたが、いよいよ脅威が増し始めていた。貧・瞋・痴の心中に巣食う鬼の仕業でもあるかのごとく、人と人との争乱により大勢の屍を残した。

 天意と民意が一致し、為政者が悪政を行っていると人々が確信したとき、革命思想が現れ潮目が変化する。民衆を巻き込んで濁流となった大河は決壊し、革命の大義が成就しないままに、あとに悲惨な現実を残して行く。

 それが、果たして人間的な愚かさの故なのか、歴史の必然なのかは誰も知らない。平安時代は、奈良時代からの律令政治を継承しつつも、藤原氏による荘園拡大の結果、支配体制を改め、土地を対象に課税するものへと転換した。これにより、民間の有力者に権限を委譲し、筆頭国司(受領)が統括する王朝国家体制を築いた。

 しかし、皮肉にもこうした体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄せざるを得なくなった。地方では治安が悪化し、武士の台頭を許す状況になり、日本各地で何世紀にもわたり戦乱が続く史実に繋がって行った。

 二十世紀、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングは「神話や伝承には、民族や人類に共通する無意識が含まれている」と指摘している。どの民族であろうと、豊かな想像力は闇を切り拓き、想像力の欠如は魔物を生み出した。

 時代の闇が生み出す不安や恐怖が妄想を駆り立て、誤った確信や当惑が不可解な伝承を創り出した。平安京では鬼の伝説に加えて、菅原道真や平将門などの非業の死を遂げた英雄の怨霊伝説が人々の間でささやかれ、恐れられていた。

 現代の日本では節分の日に「鬼は外、福は内」と口に唱えながら福豆を撒き、年齢の数だけ豆を食べて厄除けを行う。これによって、邪心や不運、病気などの悪い気を追い払う。平安時代では、大晦日の宮中行事の「追儺」として執り行われたものが形を変えて伝わった。今日的には、鬼とは邪気でもある。

 鎌倉時代は百四十八年、江戸時代は二百六十五年、平安時代は三百九十八年続いている。なかでも、もっとも長く都があったとされる平安京は、比類なく美しかった。素性法師が花盛りの都を遠望して詠んだとされる「見わたせば 柳桜をこきまぜて 宮こぞ春の錦なりける」(古今和歌集)は、平安京の優美さを教えてくれる。

 あれから長い年月が流れて、人々の暮らし向きも大きく変化した。しかしながら、私は平安時代の悪夢のような幻影――鬼の眷属――は、今も日本人の心の奥深くに棲みついていて時折、不気味な姿を現しているのを知っている。

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鬼の眷属~平安京のまぼろし 美池蘭十郎 @intel0120977121

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