第12話

 時が経過し、宮廷で曲水の宴が催された。男は衣冠束帯、女は十二単の正装を着て集まり、琴の音色が聞こえる中で、和歌を詠み合う。川の上流から流れる盃が自分の手元に来るまでに短冊にしたためた歌を詠み、酒を飲み干すのが決まりとなっていた。

 宴が催される中で、保昌は池田中納言国賢の娘の壮健な姿を見つけた。姫君は白く眩い肌、ほんのりと赤みを帯びた頬、切れ長で透明感のある瞳、桜桃のような唇がなまめかしくも美しく、輝きを放っているかのように見えた。

 藤原保昌は大江山から連れて帰った鶴菊姫と婚姻のために三日夜の餅を食べ、露顕の式を催した。鶴菊姫の屋敷には、両家の親戚、友人の公卿、殿上人などの大勢の賓客が訪れ盛大な祝宴となった。保昌は鶴菊との間に、男児の快範、女児の亀菊の二児をもうけた。保昌は鶴菊亡き後は、歌人として知られる和泉式部と結婚していた。

 式部は橘道貞との離婚後、為尊親王や敦道親王との熱愛を経て保昌と再婚していた。関白・藤原道長から「浮かれ女」と呼ばれるほど恋多き人生を送った。皮肉にも、保昌と和泉式部の縁談は、道長がまとめていた。

 同じ頃、和泉式部の連れ子で歌人の小式部内侍は「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」を詠んでいた。其の後、小式部内侍は母親・和泉式部に先立ち、二十代半ばで世を去った。人々の「平安」を祈念して京の都に遷都し、政が行われた時代だったが、皮肉にも病気や災害で夭折する者が多かったため、人生の無常を多くの歌人が詠んでいた。

 平安京は天皇の住まいである大内裏を中心に、東西四.五キロメートル、南北五.二キロメートルの長方形で大路と呼ばれる大きな街路、小路と呼ばれる小さな街路が碁盤のように張り巡らされた都だった。国風文化が花開き、平安京は世界有数の優れた都だともいわれていた。

 だが、都を当地に造営する途中で財政難に遭遇し、半分しか完成しなかった。幾年も経過し、清掃、修繕、警備などの行き届かない建物の中には廃屋のように衰微したものも見受けられるようになった。

 なかでも、朱雀大路の南端に位置する羅生門は「荒廃しており、上層では死者が捨てられていた」と、不穏な風聞が宮中にも届くようになった。平安京の威風堂々とした正門が、盗賊の住処になった話が伝えられた。

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