第11話
一方、権力闘争や夫婦間の諍いなどの人間的な軋轢で、人が鬼と化す事件は残り続けた。
安倍晴明に法力で敗れた芦屋道満は、弟子となった。帝は晴明の才能を評価し、四位主計頭に昇進させた。其の上で、唐でさらなる修行を積むように申しつけた。留守宅と妻の梨花は、弟子の道満が面倒を見た。晴明は寧波の港に到着し参内した。
皇帝は、陰陽暦数の妙を極めた雍州城荊山の伯道上人に、晴明を逢わせるように取り計らった。晴明は城荊山へ着くと伯道上人は涙を流して、晴明が阿倍仲麻呂の生まれ変わりである事実を告げ、「陰陽暦数天文地理加持秘符を学ぶのなら、私の教えを全力で学ぶがよい。すべてをあなたに伝えよう」と請け負った。
上人は晴明に三年間、毎日三度萱を刈って積むような雑用を申し付けた。三年が過ぎたころ、上人は赤栴檀で、晴明と等身大の文殊菩薩像を作りそれを納める堂宇を建てた。屋根は晴明が刈り集めた萱で葺いた。上人は二十一日間の斎戒の後で、『簠簋内伝』を晴明に伝え「今すぐ、日本に帰朝せよ」と命じた。
さらに、三つの戒めを言葉にした。一、七人の子をもうけたあとも、妻に気を許してはいけない。二、酒に溺れるな。三、一方的な議論をするな。以上の三つを守れば、将来は安泰だが、破れば逆に身に災難が降りかかると予言した。
皇帝の勅命を受けて晴明は帰朝した。此の時、さまざまな宝物を授けられた。晴明は無事に帰国し、参内すると、天皇は晴明の努力を褒め称えた。
一方、晴明が唐に渡っていた三年間で、道満は晴明の妻・梨花と不義の関係となっていた。道満が梨花に対して「晴明は唐の国で、何か途方もない聖典を与えられたはずだ」と問い詰めると、梨花は「四寸四方の金の箱と五寸四方の栴檀の箱を、石の唐櫃に入れて鍵をかけ、北西の蔵にしまっています」と伝えた。
道満は梨花に頼み、唐櫃を開かせると、中の二つ箱を取り出し、蓋を開いた。一つ目の箱には伯道上人から授かった『金烏玉蒐集』、もう一つの箱には吉備公から譲られた『簠簋内伝』が入っていた。道満は両書を勝手に書き写し、元のように石櫃に納め直した。
しばらくして、晴明は伯道上人の戒めを忘れ、宮中で開催される五節の夜の宴会で大酒を飲んだ。帰宅し、酔って休んでいるところへ道満が現れると「私は中国の五台山に詣でて文殊菩薩にお会いする夢を見た」と嘘をついた。
あきれた表情で、晴明が様子を見ていると、さらに「夢の中で『金烏玉蒐集』と『簠簋内伝』の書を伝えられた。目を覚ますと枕元に二書の写本があった」と告げた。晴明は酔いも醒めぬままに「夢は妄想によるもので、夢で仮に大金を手にしても覚めればなにもない。だから『聖人は夢なし』と例えられる」と軽くあしらった。
これに対して道満は、釈尊、堯王、舜王、神武天皇の夢の例を挙げて、晴明に反論した。しかし、晴明はこれにも取り合わず「お前のような心のねじ曲がった男に、聖人君子の正夢を見られるわけがない。馬鹿を申すものではない」と一方的に言い負かした。
道満は「では、写本があるかないかで、賭をしよう」と強気に出た。晴明はこれに応じ「もし、そんなものがあるのなら、命を賭けても良い」と言い渡した。
道満は、話を聞き終わると、懐から写本を取り出し、唖然としている晴明に刀で斬りつけた。晴明は仮死状態になり、屋敷の奥の間に安置された。
「晴明が死んだ」と、確信した道満は「これで邪魔者がいなくなった。梨花と二人で暮らせる」と喜んで見せた。背後で、事態の展開に驚いた梨花は、こっそり典薬寮から医師を呼び寄せ、晴明の傷の治療にあたらせた。
晴明は、夢の中で閻魔大王の前に引き出された時、不動明王が飛来して、自分の不慮の死を悼み、命乞いをしているようすを見ていた。
不動明王は「安倍晴明の力をもってすれば、大勢の人々を救える。今、死なせるべきではない」と懇願していた。
閻魔大王は、晴明を見ると「これは我が秘印である。現世には横死の難を救う。来世に此の印鑑を持ち来る亡者は必ず往生できる秘印だ。これは汝一人のために与えるものではない。娑婆へ持ち帰り、此の印鑑を施すことで、あまねく諸人を導いてほしい」と、「五行之印」を授けた。
晴明は、蘇生後しばらくは――他愛ない夢だが、命拾いしたな――と思っていた。晴明の意識がはっきりし、枕元を見ると、閻魔大王の秘印「五行之印」が置かれていた。
芦屋道満は晴明の申立てを受け、検非違使の下部の放免囚人によって捕縛されて獄所に入れられた。さらに、日中は労役に従事した。
それから、しばらくして晴明のもとに一人の男が訪ねてきた。男は、心労でやせ衰えた様子で「妻の激しい嫉妬心で呪い殺されそうなのです」と告げた。話によると、堺町松原下ルに夫婦で仲良く住んでいた。が、浮気が発覚した後は、妻は怒り狂った様子で、毎日のように責め立てられていた。
さらに、最近では夜の闇の中に忍び出て、呪いの儀式を執り行っていた。男の妻は、貴船神社に参詣すると、とうとうそこに七日間籠り「恋敵を殺したいので、生きながら鬼にしてください」と祈願した。
貴船大明神は「鬼女になりたければ鬼のような装束で二十一日間、宇治川に身を浸せばよい」と告げた。女は白装束を身にまとい、顔に白粉を塗り、頭には鉄輪をかぶり、三本の足には蝋燭を立て、手には藁人形を持ち、口に松明をくわえていた。満願成就で鬼女となった女は、恋敵や夫を呪殺しようとした。
晴明は呪詛返しのために、等身大の人形を作り、様々な呪術を駆使した。そこへ鬼と化した女が現れるが、神々の力で退散させた。鬼となった女は力尽きたのか、ついに井戸のそばで息絶えていた。
怨嗟、狭量、憤怒、嫉妬などのどす黒い人の思惑は、鬼の形相を忍ばせていた。晴明は、鬼とは他ならぬ人の変じた姿だと確信していたのが、私の心にも伝わってきた。晴明の陰陽師としての洞察力は確かなものになっていた。
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